7月8日の朝日新聞夕刊「代の栞」は「「鄙の論理」1991年刊、細川護熙・岩國哲人 もの申す知事」でした。
細川護熙・熊本県知事は・・・《国民生活に密着していない中央官庁が、現実に即応していない法律を盾にとって、立ちはだかるから、あちこちに矛盾が出てくる》。1991年の『鄙(ひな)の論理』で中央集権や官僚制度、東京一極集中の弊害を指摘し、「地方から反乱を起こそう」と呼びかけた。
刊行後に知事を退任。臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)部会長として地方分権策を提言したが、壁は厚かった。「朝から晩まで議論し苦心して答申したが、無視された。いよいよ官僚主導の縦割り行政に腹が立ち、それなら新党を、となったのです」
翌92年に日本新党を立ち上げ、参院選比例区で自身や小池百合子氏(現都知事)ら4人が議席を得た。日本新党ブームが起き、93年の衆院選では、くら替えした自身や小池氏に加え、野田佳彦氏や枝野幸男氏ら計35人が当選。選挙後、非自民・非共産8党派による連立政権ができ、首相に選ばれた。公選知事経験者として初めての首相だった・・・
・・・ 地方政治が国政に与える影響に詳しい砂原庸介・神戸大教授は、コロナ対応で「選挙や党派的な事情から強く発信した例があったが、総じて知事たちが大きく変わったようには思えない」と語り、知事が目立つのは国会議員や国政政党が弱くなったからだと指摘する。「個々の議員が盛んに口先介入や発信をするわけでもない。議員や党をバックアップするブレーンや専門家が手薄で、霞が関頼みになり、発信する材料すらないように見える」
危機対応時は行政の長に期待が集まりやすい、という中北浩爾・一橋大教授(現代日本政治論)は「政権がうまく対応できなかった分、首相ではなく、地方行政の長である知事が注目された」と考える。
再び感染が拡大すれば、政治はより不安定になると予測する。「既存政党は、支持組織の動きが鈍り、弱くなる。ポスト安倍も見えず、真空状態が続けば、ポピュリズムが台頭する余地ができ、何が起きるかわからなくなる」
コロナ時代ゆえの「雲の切れ間」ができたとき、知事たちは何を発信するのだろう・・・