10月10日の朝日新聞オピニオン欄、周燕飛・労働政策研究・研修機構主任研究員へのインタビュー、「貧困専業主婦のワナ」から。
・・・かつては中流家庭の象徴だった専業主婦。経済の低迷により給料が下がるなどして共働きが増えると、「勝ち組」などと称されるようになった。だが一方で、「貧困専業主婦」と呼ばれる人たちもいるという。新たな格差問題につながると指摘する周燕飛さんに聞いてみた。「貧しくても専業主婦」の何が問題なのですか?・・・
問 その存在に目が向けられてこなかった理由は何でしょう。
答 本人が自ら進んで専業主婦を選び、大きな不満を持っていないため、当事者からの訴えが少ないからでしょう・・・調査では、貧困専業主婦の3人に1人が、とても「幸せ」と感じています。
問 この問題が注目されるようになったのはなぜですか。
答 日本の人口と経済構造が変わり、「夫は外で働き、妻が家庭を守る」という専業主婦モデルが崩れつつあるからです。大卒男性の生涯賃金は、1996~97年のピーク時の8割程度に減っています。世帯の消費額から算出すると、片働きでやりくりするには、およそ年収480万円以上が必要です。しかしこの基準を満たす男性世帯主は約4割しかいません。
同じ学歴の男女が結婚する「同類婚」が増えていることもあります・・・今は晩婚化で、高学歴・高所得者同士の「パワーカップル」が増えています。低学歴同士の結婚で、専業主婦を選ぶと、貧困世帯に陥りやすくなります。
問 国が、個人の生き方に介入してもいいのでしょうか。
答 問題は、本人だけでは気づきにくい「欠乏のわな」があることです。100グラム58円の豚肉をまとめ買いするために、自転車で30分かけてスーパーに行くという女性がいました。こうした生活を繰り返していると、金銭的な欠乏のほかに、時間の欠乏が起こり、余裕がなくなり思考も欠乏します。目先のやりくりで精一杯になると、長期的なことが考えられなくなってしまいます。このような貧困専業主婦には、意識と現実のズレをなくすために、軽い政策誘導が必要だと思います。
原文をお読みください。
最後の「国が、個人の生き方に介入してもいいのでしょうか」は、重い問いです。引きこもりの人などへの支援の場合も、議論になります。