「できあがったものか、つくるものか2」の続きです。
この項を書き始めた趣旨は、実は「日常の行動が、思考を制約する」ということでした。 社会学では、カール・マンハイムの「存在被拘束性」ですね。科学史では、トーマス・クーンの「パラダイム」にも通じます。
解釈法学を学んでいると、また、できあがった政治の分析を学んでいると、現在の制度や社会を固定したものと見るようになりがちなのです。歴史学は過去を分析しますが、社会科学系の学問一般に、未来の制作より過去の分析に重点が置かれます。
歴史学が過去との対話であるのに対して、官僚は現在と未来の国民に責任を持つために「未来との対話」が必要だと、日経新聞コラムにも書きました。
公務員・行政組織は、社会の新しい事態に対応することが任務の一つです。しかし、解釈法学の世界に住んでいると、そして制度はできあがったものだと考えていると、この制約にはまり込みます。すなわち、現在の仕事が、あるいは仕事のやり方が正しいと思ってしまいます。そのやり方を変えるという視点を持たなくなるのです。
インフラ整備・公共事業も、気をつけないと、造ることが目的になってしまいます。
例えば、公営住宅です。かつては、不足する住宅を補うために、戸数を整備することが任務でした。今は、住宅は戸数だけ見ると余っていて、空き家が問題になっています。他方で、公営住宅での孤立、孤独死が問題になっています。
すると、建設ではなく、入居者への支援が大きな課題になります。土木部ではなく、民生部の仕事になるのです。
「住宅を作る」ではなく、「住宅で何が問題か」という発想が必要になります。過去の延長ではなく、現在の課題と未来への対応という思考が必要なのです。
2000年に介護保険制度を導入したのは、良いことでした。増える高齢者・介護対象者を見越して、この制度をつくりました。多くの人が助かっています。
定住外国人の受け入れも、それに当たります。これまで受け入れた経験で、地域での共存、子弟の教育などが課題とわかっています。今後、大勢の外国人労働者を受け入れるので、その準備が必要です。
これらは、既存制度の少々の手直しでは対応できない、大きな社会の変化です。
「四角な座敷を丸く掃く」で、四角な仕事の外(大きな丸)を考える必要性を述べました。座敷の中に閉じこもっていたり、砦の中だけを深掘りしていてはいけません。