中国改革開放の40年、異質論

中国改革開放の40年」の続きです。同じく12月13日の日経新聞経済教室、梶谷懐・神戸大学教授の「異質論超え独自性議論を」から。
・・・中国国内で改革開放40周年のお祝いムードが広がる中、米中間の対立が単なる貿易戦争を超えて、より深刻化、長期化するのではないかという悲観的な見方が広がっている。その根拠となっているのが、米国のペンス副大統領が10月4日、保守系シンクタンクで行った演説だ。
演説が衝撃をもって受け止められたのは、貿易問題のほか、政治、軍事、人権問題まで、トランプ政権の中国への厳しい見方が包括的に含まれていたからだけではない。それらの指摘がいわゆる「中国異質論」のトーン一色に染められていたからである。
中国の改革開放政策が始まってから、米国の歴代政権は、中国の経済発展がいずれ中間層を育て、法の支配の確立や民主化につながると考え、「関与(エンゲージメント)政策」を推進してきた。しかし民主党オバマ政権の後半のころから、中国の政治経済体制の変革に関する悲観的な見方が広がってきていた。
そして2018年3月の全国人民代表大会(全人代)で習近平氏が国家主席の任期を撤廃し、政権の長期化が明らかになったことが、米国の対中政策が「抑止」に転換する上で決定的な役割を果たしたようだ。その対中政策の変化の根幹にあるのが、中国異質論の台頭であるのは間違いない。

関与から抑止へと百八十度の転換を遂げたかにみえる米国の対中政策だが、実はこの2つの立場は、ある認識においては奇妙な一致を見せている。すなわち、現在欧米に存在する政治経済体制が唯一の普遍的なあり方であり、それ以外の体制はそこに向かって「収れん」している限りは存在が認められるが、そうではない「異質な体制」は存在してはならない、という二項対立的な認識である・・・

・・・もう一つの資本主義経済の特徴として忘れてはならないのが、権威主義的な政治体制と極めて相性がよい点にある。その理由の一つは、端的にいえば、短期的かつ不安定な取引関係をベースにした経済活動が、政治権力から独立した労働組合や業界団体などの中間団体の形成を妨げていることである。このような団体の不在は、市場経済への零細業者の旺盛な参入などある種の「自由さ」をもたらすと同時に、市場への政治介入を跳ね返すだけの「自治」の弱さと裏返しになっている。

短期的な取引について回る「囚人のジレンマ」的な相互不信の状況を、法と裁判制度で規制するのではなく、有力な仲介業者が間に入ることで解消するという中国の伝統的な商慣習も、権威主義体制との相性の良さをもたらす理由の一つである。伝統的な中国社会では、高い信頼性と独自の情報ネットワークを持つ有力な「仲介者」が、公権力との間に常に深い関係を維持し、経済秩序を支えていた。
有力な仲介者が零細な取引を仲介して束ねることで、公権力の側からの効率的な管理が可能になるという構図は、アリババ集団や騰訊控股(テンセント)など、現代中国のインターネットを通じた「仲介」のシステムにも受け継がれている。しかし、法制度に頼らなくても、仲介によって取引に伴うトラブルが回避される手法が高度に発達したことは、逆に社会における法制度への信頼度が低いままとどまり、「法の支配」がなかなか確立されないことと表裏一体であると考えられる。

総じて言えば権力が定めたルールの「裏をかく」ようにして生じてきた、極めて分散的かつ自由闊達な民間経済の活動と、法の支配が及ばない権威主義的な政治体制が微妙なバランスの上に共存しているのが現在の中国の政治経済体制の最大の特徴であり、この両者の組み合わせは今後も簡単には揺らがないだろう・・・