汽車と新幹線、漱石と鄧小平

中国 改革開放政策40年」の続きです。
10月23日の朝日新聞「鄧小平氏40年前にみた日本経済」に、次のような記述も載っています。
・・・東京から京都まで新幹線に乗車した際は「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と感嘆。後に田島さん(当時の外務省中国課長)が中国側同行者から聞いたところでは、鄧氏はここでも「これは現在我々に求められているスピードだ。近代化が何であるかわかった」と述べた・・・

この話から、夏目漱石と比べました。
・・・汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け様とする・・・(夏目漱石『草枕』1906年)

19世紀半ばに開国し、近代国家への脱皮を急いだ明治日本。漱石の記述は、それから半世紀が経ち、日露戦争に勝利した時期です。近代文明の本質を喝破しています。
さらにそれから70年、近代国家への発展に遅れた中国指導者が、日本を見て、「30年遅れた」と発言します。その際に、新幹線が象徴になっています。漱石とは違い「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と思い、「スピード」を取り上げます。
鄧小平は若き日にフランスに留学していますから、西欧文明、汽車は十分に知っています。
漱石の近代文明は、人の個性を抑え、みんなを一緒に運んでいきます。鄧小平の現代文明は、みんなを後ろから金づちで打って、急がせます。

漱石の記述は、どこに書いてあったか思い出せず。『私の個人主義』かと思ってページを繰りましたが、見つからず。インターネットで検索したら、すぐにでてきました。便利なものです。「百年で読み直す漱石の文明批評
「中国改革開放の40年」はさらに次へ