11月3日の朝日新聞オピニオン欄、白川方明・前日本銀行総裁の「民主主義と中央銀行」から。一部を紹介しているので、原文をお読みください。
「でも多くの人が「デフレが日本経済の最大の問題」と信じこんでしまったのはなぜでしょう」という問に。
・・・多くの国民は物価下落というより、将来の生活不安など現状への不満を表す言葉として使ったのでしょう。他方、エコノミストにとって、デフレは1930年代の大不況を連想させる恐怖感の強い言葉でした。「失われた20年」という言葉のナラティブ(物語)の心理的作用も大きかった。アジェンダ(課題)が正しく設定されなかったように感じます・・・
「正しいアジェンダとは?」には。
・・・最も重要なのは超高齢化への対応と生産性向上です。金融緩和は将来需要を前借りし、時間を買う政策。一時的な経済ショックの際、経済をひどくしないようにすることに意味があります。でもショックが一時的ではない場合、これだけでは問題は解決しません・・・
「政治がその課題に向き合わないのは、なぜでしょうか」
・・・少なからぬ政治家は問題を十分認識していますが、痛みを伴う改革は国民に不人気です。その点、金融政策は選挙と関係なく中銀が決められる。そうなると、誰も異を唱えない金融緩和が好まれがちになります。これは世界的な傾向です。経済状況が不満足でかつ低インフレ状態なら、中銀も何か行動しなければ、という心理状態に陥りやすい。社会全体の集合的圧力に支配され、みな身動きできなくなってきます・・・
「リーマン・ブラザーズを救済すれば、あれほど危機は深刻にならなかったのではないですか」との問には。
・・・難しいところです。たしかに危機が深刻化した直接の引き金は(米国の中銀である)FRBがリーマン救済の融資をしなかったことでした。FRBは担保不足を理由にしましたが、実は議会や国民の反発の声が非常に強かったからではないかと想像します。
対照的なのが1997年、日銀が山一証券の自主廃業の際、無制限の特別融資をしたケースです。日米の置かれた状況はよく似ていた。どちらも業界4位の証券会社、銀行システムはきわめて脆弱、円滑な破綻処理や公的資金の枠組みがない。政府・日銀は日本発の世界金融危機を防ぐことを優先し、日本経済の落ち込みはリーマンの時と比べ小さくできた。だがそれゆえに抜本策の採用は遅れ、問題先送りだと批判されました。
一方、リーマンのケースでは世界経済は大混乱に陥ったが、その結果として米議会もいったんは否決した危機対応の法律の承認に動き、7千億ドルの公的資金投入が可能になった。ただし失業率は大幅に上昇し、トランプ現象に象徴される社会の分断の一因にもなりました。民主主義のもとで、誰が何を、どのように決定すべきか、今も明確な答えはありません・・・