「日本の教育改革」(9月15日)の続きです。
この教育改革は、重要であり、難しい課題です。
日本のこれまでの「この国のかたち」は、欧米先進国に学ぶことであり、追いつくことでした。その基礎となったのが、教育です。教師が黒板に書くこと・教科書に書かれたことを生徒が覚えることが、日本の教育のかたちでした。生徒が自分で考える力をつけることではありません。
決められたことを覚える授業は効率が良く、一定の「品質を持った」日本人を育成できました。戦前なら「良い兵隊」、戦後なら「良い労働力」を作ることに適していたのです。
他方で、生徒は覚えることが上手になり、考えることが下手になります。
日本が先進国に追いついたことで、決められたことを覚えるだけでなく、自分で考えることが必要になりました。
それは、日本社会、行政、企業においてとともに、日本国民にも必要になったのです。すると、教育の目的・意義が変わらなければなりません。基礎は覚えつつ、自分で考える力をつけなければならなくなったのです。
しかし、150年間続いた「教育のかたち」「国民育成」は、日本中に、そして社会の隅々まで染み渡っています。これを変えるのは、部分的な改革では達成できません。
決められたとこを覚えることは、生徒にとって楽であり、決められたことを教えるのは、教師にとって楽です。それに対し、自分で考える授業は、一人一人考えることが違うので、生徒も教師も負担が増えます。そして教育としては、効率が悪くなります(効率という概念が当てはまらないのでしょう)。例えば、試験問題と採点基準を考えてください。
私も、大学の講義で直面しています。大学入試まで、ひたすら覚えることに努力した学生たちに、自分で考えること教えなければなりません。学生たちに「教育には2種類ある。高校までは教科書を覚えるのが教育。大学に入ったら自分で考える、それを助けるのが教育」と教えています。それを「高校まではティーチ、大学はコーチ」と表現しています。
レポートはもちろん、試験も記述式です。覚えるべきことを書かすなら、採点も楽なのですが、記述式は採点が大変です。
この項続く。