中国共産党、歴史問題が国内統治の軸足

5月25日の日経新聞経済教室、江藤名保子・日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員の「歴史問題、国内統治の軸足」から。誠実さだけでは国際政治は動かないことが、よくわかります。原文をお読みください。

・・・中国共産党による独裁体制は「共産党が日本の軍事的侵略に対して国民党と協力して抵抗し、『抗日戦争』勝利を導いて国家存亡の危機を救った」という歴史解釈と、「共産党の指導により高度な経済発展を維持してきた」ことを根拠に正当化されている。
つまり共産党の正統性は基本的に(1)歴史(過去の成果)と(2)経済発展(現在の成果)――の2つに依拠している。そしてこうした論理を国内に浸透させるために政府は「管理」(公権力を用いた強制的な言論統制)と「誘導」(教育やメディア、各種の党組織を通じた思想統制)を両輪とする強力な世論コントロールを行ってきた。
中国の対日政策は継続的にこの世論コントロールの影響を受けてきた。だが実のところ、1970年代まで共産党政権にとって主たる敵はソ連や台湾の国民党で、国交正常化以降の日本はむしろ経済協力の担い手として期待と憧憬の対象だった。日本政府が歴史認識を巡り批判されるようになったのは、82年の第1次歴史教科書問題からだ・・・

・・・共産党政権が歴史問題を重視し始めた背景には、70年代末に開始した改革開放政策の下で、どのように一党独裁体制を維持するかというジレンマがあった。開放政策には経済発展という恩恵と同時に、政治改革(民主化)を求める世論を拡大する副作用があった。それはすなわち、共産党が正統性の根拠である経済発展(現在の成果)を求めるほど、一党独裁体制が揺らぐという矛盾の始まりだった。
そしてこの構造的な矛盾の下で、正統性のもう一つの根拠である「歴史」の重要性が高まっていった。それは89年の天安門事件を経て、愛国主義教育キャンペーンが導入され、共産党を支持する歴史教育が強化されたことに象徴的に表れていた。

2000年代、中国の歴史解釈に重要な変化があった。大国化が国家目標となったのに伴い、中国は日本に勝利したことにより世界の平和に貢献し、中華民族の発展の礎をつくったとの解釈が加わった。そして歴史解釈の主要テーマが「被侵略の苦難の歴史」から「戦勝国・大国の歴史」へと移行した結果、侵略者としての日本のイメージがある程度相対化された。
06年の安倍首相訪中時に中国側が日本の「戦後60年余、一貫して平和国家として歩んできた」という主張を積極的に評価したのはその証左だ。
だがそれは必ずしも歴史問題の収束を意味しなかった。13年12月の安倍首相の靖国神社参拝に対し各国駐在の中国大使は、日本は「戦後国際秩序への挑戦者」と従来とは異なる趣旨の批判を展開した。
その背後には、日本という悪役と対照的に位置づけることで、国際社会に貢献する大国・中国という国家イメージを認知させたいとの思惑があったのだろう。日中の歴史問題は単なる歴史解釈や謝罪の問題にとどまらず、より広範な外交問題に波及する段階に入ったといえる・・・

・・・こうした文脈で中国の対日政策を考えるとき、昨年12月の王毅国務委員兼外相による演説が意味深い。中国外交を総括した王氏は、大国関係として米中関係、中ロ関係、中欧関係に言及し、日本は「周辺環境」の一角に位置づけた。
すなわち中国外交で日中関係は大国関係とみなさないというメッセージを発したのである。インドを「大隣国で文明古国」と評しながら「周辺環境」に加えていることから、「中国はアジアの唯一の大国」という独自の情勢認識がにじんだと考えられる。
このような中国の論法は他国からみれば独善的ですらあるが、それは論理形成の過程で国内統治の方法論(管理と誘導)を踏襲しているためだと考えられる。つまり共産党政権が何に世論コントロールの軸足を置くかにより、中国の「大国」としての語りようが定まるのである。
一方、日本を含む「周辺」の国家に対して中国は、中長期的には自国の勢力圏に引き込みたいと考えているだろう。だがそのためには文化や政策で他国をひきつけ、ソフトパワーを高めることが肝要だ。共産党政権が独善的な「話語体系」に固執するならば、実現は難しいだろう・・・