月刊『文藝春秋』4月号、田中俊一・前原子力規制委員長の「私はなぜ飯舘村に移住したのか」の続きです。
・・・なぜ避難指示の解除まで6年もかかってしまったのか。これは、明らかに政府の失敗です。 そもそも、国は避難指示の解除について、年間積算線量が20ミリシーベルト以下になることを条件として掲げていました。その基準であれば、5年前にはほとんど全員が帰ることができたはずです。しかし世間では、国が長期的な目標とした年間1ミリシーベルトを目指すべきだという声もあった。そのために、国はいざとなると「年間20ミリでは地元が納得しない」という理由で、ずるずると避難指示解除を先延ばしにしたのです・・・