福島民報新聞、3月14日の社説は、「帰還者支援 官民挙げ、全力で」でした。
・・・東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から丸7年がたち、避難指示が解除された市町村では帰還する住民や事業を再開する人が着実に増えている。一人一人の存在が古里を取り戻すための大きな原動力になる。それぞれの思いを受け止め、官民挙げて支えていかねばならない。
住民の帰還を巡っては「全体の一割にも満たない」「戻った住民も多くは高齢者」といった悲観的な取り上げられ方が目立つ。ただ、昨春に比べて住民が千人近く増えている地域や倍以上になった町もある。生業を取り戻し、次代につなぐと前を向く高齢者や、再開された学校に元気に通う子どもたちもいる。目を向けるべきは全体を大くくりにした数字ではなく、その内実だろう。
原発事故で全住民が避難した地域を再生させるのは容易ではない。避難指示の期間が長ければ、家屋・施設、田畑・山林の荒廃が激しさを増し、さらに難易度は上がる。人々が戻るまでに時間がかかるのは当然だ。それでも「帰る」と判断した住民の存在はたとえ一人でも尊い。さまざまな事情で、帰りたくても帰れない人、避難先から通って事業を再開した人とも思いは通じているはずだ・・・
・・・これからどうしたいのか。何を目指すのか。そのために必要なものは…。古里に戻った人たちの意向や思いを丁寧にくみ取り、手詰まり感のある復旧・復興施策に反映させる仕組みや取り組みが必要だ。年代や職業などによって果たすべき役割に違いはあるにしても、意欲ある人たちの力を生かし、一歩ずつ確実に前に進んでいけば、たどり着けないところはない・・・
指摘の通りです。
一部には、「帰還者は少ない」「行政の思い通りには人は戻っていない」といった報道もあります。それは事実です。しかし、批判しているだけでは、事態は進みません。
住民にも、様々な思いの方がおられます。アンケートでは、半数以上の住民が戻る意向がない、と答えた町もあります。では、どのようにすれば良いのか。
マスコミの指摘や批判にも、2種類のものがあると思います。批判だけで終わる記事と、改善に向けて書かれた記事と。後ろ向きか、前向きかの違いでもあります。
情緒的だとお叱りを受けることを覚悟で言えば、頑張っている現地や住民に対して、愛情がある記事と、愛情のない記事の違いだと思います。他人事での批判と、その身になって考える記事との違いでもあります。
早川さん、ありがとうございます。