川北稔著『私と西洋史研究』の続きです(歴史は書き換えられるもの。2015年6月26日)。
私は、新しい遺物や古文書が発見されて、新しい学説がでて、歴史の見直しが行われるのだと、思っていました。そして、西欧史なら西欧で古文書が出てこない限り、日本で研究していても新説は出てきそうにもありません。ところが、古文書を新しく読み解くという行為は必要ですが、新しい文書が発見されなくても、歴史は書き換えられるのです。「学説は数十年で書き換えられるもの」という発言は、衝撃的でした。
他方で、極めて単純にすると、戦後日本での西洋史研究は、大塚史学を脱皮すること、そして西欧でも変化しつつあった「政治の歴史から社会の歴史への転換」であったのでしょう。
歴史学が変化していること、その意味については、このホームページでも、近藤和彦・東大名誉教授を紹介したことがあります。「歴史学って、こんなに変化しているのだ、面白いんだ」と、感激しました。そこで、川北先生の本や福井憲彦著『歴史学入門』(2006年、岩波テキストブック)を読み、E・H・カーの『歴史とは何か』(邦訳1962年、岩波新書)を再読しました。
『歴史学入門』には、次のような目次が並んでいます。もう、英雄と戦争の歴史ではないですね。
1 歴史への問い/歴史からの問い
6 グローバルな歴史の捉え方
7 身体と病と「生死観」
9 人と人とを結ぶもの
11 政治と文化の再考
もっと詳しく紹介すればよいのですが、ご関心ある方は、それぞれの本に当たってください。
ちなみに、近藤先生の本を読んだ感想を、私は「政治の役割」に分類しました。「覇権国家イギリスを作った仕組み」(2014年7月27日~)。私には、社会統合など社会の課題を、どのようにイギリスが解決していったか、それが勉強になったのです。
ところで、近藤先生のホームページ「オフィスにて」2014年8月29日は、「全勝さんのページ」です。次のように書いてくださっています。
・・・岡本全勝という方がホームページを持っていらして、じつに精力的に発言なさっています(ということに、ようやく最近に気付きました)。政治と行政のど真ん中で発言なさっているエリート官僚のお一人でしょうか。大学でも教えておられるようです。
その全勝さんが、なんと『イギリス史10講』について、全9回の連載でコメントをくださいました。こういう「公共精神の立場から国家百年の計を考え行動」なさっている「経国済民の士」(p.206)の目に止まったというのは嬉しいことです。その論評は、わが業界の若い院生や研究者とは異なるレヴェルで、実際的にしかも知的に行われていて、これも有り難いことです・・
私も、気づくのが遅くて、申し訳ありません。