近藤和彦著『イギリス史10講』の続きです。
・・19世紀イギリス史を、市場経済の人類史における「大変貌/大転換」とよんだのはK・ポラニーである。第2のグローバル化にともない、次から次へと難題が続き、近代人は従来とは異なる考えや行動を迫られた。
国の秩序という面にかぎっても、第一に審査法とカトリック解放という難題があった。すでに1707年以来「一君一議会二法二教会」の連合王国[スコットランド合同。岡本による注。以下同じ]だが、1801年からは多数のローマカトリック人口を抱えている[アイルランド合同]。公務員に国教会の遵奉を強制した信教国家の原則を19世紀にも維持するのか。アイルランド政治はまさしくこの点で紛糾した。第二に議会(庶民院)の選挙法であるが、中世以来の/政治の柱石を、産業革命と功利主義の時代にもそのままで過ごすのか。自治都市参事会もこれと表裏一体だった。第三に、第二次百年戦争と財政軍事国家によって累積した国庫の赤字と金融不安をどうするのか。なにしろウィーン会議後にもずっと国債の償還が歳出の半分以上を占めていた。第四は、穀物法、すなわち農業助成金と関税による消費者負担のシステムであるが、このまま食糧の高価格を維持するのか。
すべて名誉革命後の体制原理にかかわる難題で、これを急進主義者は「古来の腐敗」と攻撃していた。既得権益の政治によって、時代のイシューが先送りされていた・・(p201)
この難題を、イギリス政治は克服していくのです。誰がどのようにしてか。それは、本をお読みください。
この項、まだまだ続く。