6月16日の朝日新聞オピニオン欄、柴田直治記者の「バンコク、ニッポンの姿占う天使の都」から。
・・バンコク中心部で地下鉄、高架鉄道が交差するアソーク駅。1年半前に完成した駅直結のショッピングセンターのトイレに座り、私はこの街の変わりように改めて感じ入った。日本製の温水洗浄便座なのだ。
最近、アジア各地の高級ホテルの部屋でこそ採用されているが、だれでも入れる大規模商業施設のトイレすべてに備えられているのを見たのは初めてだった。
私は学生時代の1977年に初めて当地を訪れた。その3カ月前には反政府運動の弾圧と軍事クーデターがあった。街の空気は重苦しく、滞在した中華街は魔窟を思わせた。高層ビルもない。便所はもちろん水洗ではなく、紙もなかった・・
・・ビルはぐんぐん高くなり、道路や鉄道は整備されていく。街はきれいに、華やかになった。そしてこの便座! 公衆トイレは発展のバロメーターである・・
日本から訪れる企業や求職者は毎年2桁の伸び。一方進出企業の規模は年々小さくなる。「中小企業経営者の多くはアジア各地を回り結局タイに腰を据える。事務所の内装から登記、人材募集、会計監査まで日本語でことが足りるからです。求職者も日本語ができれば仕事はある。成長している国なので普通にやれば何とかなるんです」
バンコクの長期滞在邦人数(外務省統計)は一昨年10月で約3万5千人。首都としては世界一だ。中国・上海、米国ロサンゼルス、ニューヨークより少ないが、日本人社会の濃密さは他都市を圧倒する・・
住人も1990年代までは駐在員が多かったが、いまは起業家、現地採用組、老後のロングステイ、日本でためたお金の続く限り滞在する「外こもり」の若者ら、と多様だ。日本人美容師や保育士のニーズも生まれる。失敗し、挫折して帰国する人も多いが、それ以上に日本人はやってくる。
日本語で不自由しない、これほど大規模で豊かな邦人コミュニティーが海外に出現したのは、戦後初めてではないだろうか・・