1月11日の朝日新聞オピニオン欄、田中俊一・原子力規制委員会委員長のインタビューから。
・・これまでの規制行政は、間違いがないことを条件にする無謬性が前提となっていました。そのために、あとになって規制の判断の誤りがわかっても、それを認めて修正することがなかなかできませんでした。このことが、原発の安全神話を生み出したベースになっていると思っています。これからは、新しい知識や技術が出てくれば、常に反映させて前向きに判断を変えていくつもりです・・
これまでの事故対策が、安全神話の上に成り立っていたことは、指摘されています。では、そのような安全神話を作った人、それを前提に対策を講じた人は誰なのでしょうか。もちろん、原発の設計者、運転者、規制当事者、対策責任者に、第一次的な責任があります。しかし、それを許した、またそのような状況を助長した社会も、一因があると思います。社会と言っても、そんな実態が存在するのではなく、人々によって成り立っているのですが。
「おかしい」という発言をしなかった関係者、そのような発言を許さなかった社会。それぞれの責任です。山本七平さんの言葉を借りれば、「空気の支配」を生んだものです。