9月1日の朝日新聞オピニオン欄は、野中郁次郎さんの「よみがえれ日本の経営」でした。
「優秀な人材を集めていたはずの東京電力が、原発事故に十分に対応できませんでした。東電の失敗の本質は、どこにあるのでしょう」という問に対して。
・・オープンな知の総動員体制を、つくれなかったことだと思います。政治や役所を忖度し、現場の判断をあまり尊重しなかった。原子力村にこもり、自分たちにない知を活用する開かれた姿勢もなかった・・
東電は木川田一隆さんが社長だった1960年代から70年代初め、他社に先駆けて「社会貢献」をめざし、現場での教育も含めて、総合的な研修体制を整えた。現場を回る人たちは電信柱に登り、地域に密着し経験を重ねた。そうした現場感のある人が、経営陣になっていったのです。
ところが、霞ヶ関との交渉がうまいとか、論理的に正しい経営計画をつくるとか、総務、企画の能力にたけた人が出世する構造に変わっていった。
こうした能力は、言語化できる知識、すなわち「形式知」が基本です。一方、言葉にうまく表せない現場経験から得られる「暗黙知」がある。私は、形式知と暗黙知を相互に変換させながら、新たな知を生み出すことが重要だと考えます・・
私の周囲でも、思い当たることが、いくつかあります。私が指摘するのは、企業とともに行政組織です。
内に閉じこもった時から、組織の発展や創造は止まります。なぜ、内に閉じこもるか。それは、業績を達成し、日本一や世界一といった評価を得た時からです。「俺たちのやり方が正しい」「俺たちの仕事の仕方と組織が、日本一なのだ」と考えるからです。慢心とも、いえるでしょう。
先輩たちは、試行錯誤して、組織と仕事の流儀を作り上げました。その組織を取り巻く環境や社会が変わらず、競争相手がいなければ、その「一番」は保てるのですが。そうは、いきません。日本一になったところで、目標は変わっているのです。社会も変わっていきます。
なぜ、転換できないか。それは、次のような構図です。しばらくは、日本一が続きます。そして、やっかいなことに、マスコミや世間が、しばらくの間、高く評価してくれます。後輩たちは、その評価に安住してはいけません。後輩たちがしなければならないことは、先輩の流儀を守り続けるのではなく、新しい目標とそれに適合した流儀を探し、挑戦することです。
これは難しいことです。先輩たちは「なぜ、変えるのか」と非難します。先輩にかわいがられた主流派は、総務や企画部門で先輩の教えを守り、保守本流=守旧派になります。改革派は、傍流になります。これが、成功した組織が陥る「失敗の構図」です。そして、成功が大きいほど、転換は難しくなります。
この項続く。