昨日の続きです。原研哉さんは、次のようにも言っておられます。
・・日本は、石油や鉄鉱石のような天然資源に乏しい・・しかし、今日においては、天然資源の確保に汲々としてきたことが、むしろプラスに転じはじめている。もしも日本に石油が豊富に湧き出していたら、おそらくは環境や省エネルギーに対する意識は、今日ほどには高まってはいなかったはずだ・・
マネーという富はもっと巨大にこの国に蓄えられ、医療も、教育も、通信も、すべて無料にで国が提供するような裕福な国になっていたかもしれないが、その豊かさは、やがて訪れる次の時代に対応できず、悲惨な衰退を運命づけられていたかもしれない。
幸いなことに、日本には天然資源がない。そしてこの国を繁栄させてきた資源は、別のところにある。それは繊細、丁寧、緻密、簡潔にものや環境をしつらえる知恵であり感性である。
天然資源は今日、その流動性が保障されている世界においては買うことができる。オーストラリアのアルミニウムも、ロシアの石油も、お金を払えば買えるのだ。しかし文化の根底で育まれてきた感覚資源は、お金で買うことはできない。求められても、輸出できない価値なのである・・
私は、拙著「新地方自治入門」で、地域の財産として、自然環境、公共施設、制度資本のほかに、関係資本や文化資本を取り上げました。