3日の朝日新聞変転経済は、金融危機10年の第3回、1991年末に日銀が利下げをした際に、金融機関の巨額の不良債権を意識していたことを取り上げています。それへの対策が遅れ、日本は不況に悩むことになったのです。
90年代の経済を簡単に整理すると、バブル経済がはじけ、資産価格が下落し、銀行は不良債権を抱え、企業も体力がなくなりました。そこに、銀行の自己資本比率の規制がかかり、貸し渋りと貸しはがしが生じました。しかし、金融政策は、不良債権処理に乗り出しませんでした。転換できなかったのです。
国際的には、冷戦の崩壊やアジア各国の経済発展で、日本の物作りの優位が崩れました。地球規模での市場経済、金融市場、IT化で、これまでの物作りでは競争できなくなりました。
今から見ると、90年代の不況は、日本の金融問題と国際経済環境の変化の両者による、複合的・構造デフレだったのです。しかし、当時は景気循環によるもの、いずれ回復すると、多くの人が思っていました。不良債権も、地価が上がれば解決する、と考えていました。そして、従来型需要喚起の公共事業を、追加したのです。もちろん、80年代にジャパン・アズ・ナンバーワンという自信を持ったことも、裏目に出ました。