25日の日経新聞読書欄「経済論壇から」(大竹文雄さん)から。
春闘は、ストを背景に大幅賃上げを獲得できたころの労働者の一体感はもはや存在しない。労働組合の存在感は、政治的にも小さくなった。この原因を、伊藤惇夫氏は次のように分析している(文藝春秋4月号)。かつての労働運動は、貧しさや厳しい生活環境から抜け出すため、勝ち組である経営者側から、少しでも多くを奪い取るための闘いだった。ところが、大企業の正社員と官公労働者が大半を占める連合の組合員は、いつの間にか勝ち組になっていた。春闘は、勝ち組の内輪のイベントになり、多数派である未組織労働者の共感を得られなくなった。
正社員が既得権益を守る立場になった経緯を、城繁幸氏は次のように述べている(VOICE4月号)。バブル崩壊で継続的な成長の見込みがなくなった日本企業は、労務戦略の大幅な見直しを迫られた。しかし、問題は日本には「一度上げてしまった序列も賃金も、引き下げるという慣習がまったく存在しない」ことだった。賃下げのため、日本企業がとったのは「年功序列的」な対策だった。既存の中高年世代の賃金には手をつけず、ひたすら若者の昇級昇格を難しくし、非正規雇用という形で低賃金で若者を抱え込んだ。
それぞれ、なるほどと思いますね。そして、「一度上げてしまった序列を下げる習慣がない」という指摘には、目を開きました。校長や教頭が、適格性がない場合に、一般教員に降格する仕組みがあります。管理者側からの降格だけでなく、本人の希望によるのもあります。このような仕組みも、もっといろんな職場にひろげる必要があるのでしょうか。