14日の読売新聞「再点検小さな政府論。官民のありかを問う1」は、佐々木毅先生と山崎正和さんのインタビューでした。佐々木先生の主張は次のようなものです。
「『官から民へ』が民万能論や『民イコール善』という民性善説と混同されると、本来必要なルールの問題が見失われてしまう」「民が競争する市場にルールがなければ、悪貨が良貨を駆逐するということになりかねない。民に大きな自由を認める社会は、その分、法律や規則を細かく整備することをセットで考えるべきだ。ルールを作ったり監視をしたりするには結構人手もいるし、お金もかかる」
「官が公的な役割を独占した時代は終わり、日本は民も公の一部を担う社会にすでに移っている。官はこれまで『おれたちの言うことが公だ』と考えてきた。しかし、公は官民の区別を超えた、より上位の概念であるという考え方で物事をとらえなおした方がいい」(3月14日)
15日は佐和隆光京大教授とロバート・トムソン英ザ・タイムズ主筆による、市場主義の行き過ぎやサッチャリズムについてでした。17日は松原隆一郎東大教授と増田寛也岩手県知事による、公共分野を民間に委ねることの是非についてでした。(3月18日)
読売新聞「再点検小さな政府論。官民の在り方を問う」は、18日は桜井敬子教授と中村靖彦さんによる建築確認、食の安全問題という「安全に関する検査」についてでした。20日は、清成忠男教授、垣添忠生さん、戸塚洋二さんによる大学教育、先端医療、基礎研究といった「将来への投資」についてでした。(3月21日)
読売新聞の連載「時代の証言者」「国と地方、石原信雄」が、23回で完結しました。最終回の5日は、「地方に責任持たせる時代」でした。
「改めてこの国のかたちを考え込みます。特に気になるのは官僚のあり方です。振り返ると、たしかに、敗戦の中から国を再建して先進国になるまでの過程では、役人が輝きました・・・役人が輝いたのは、分担管理の原則を機能させ、各省が自分の責任を果たせば良かった時代だったからです」
「しかし、もうそれは通用しません。私が官邸にいた90年代前半、『主権国家としての日本』『国際社会の中での日本』が問われたのを境に、各省は連携して国全体で考えなければならなくなった。自分の省だけ走れば済んだ時代が終わったのです」
「これからの役人をどう考えればいいのでしょうか。大いに勉強させ、国際社会に生きる日本全体を考え、そのための政策立案能力をつけさせることです」
「地方との関係を考えれば、さらに変化します。国のあり方として、内政はもはや地方に責任を持たせるべきです・・・道州制に向けて分権を進めるなら、内政を担当する役人の大部分は地方公務員として活躍すべしと頭を切り換えなければなりません」
「政治家と幹部公務員には、これらを国の統治構造の問題として考えてほしいのです」
青山彰久記者、良い連載をありがとうございました。