年別アーカイブ:2005年

三位一体改革62

2005年11月14日   岡本全勝
日本経済新聞「経済教室」は、1日は冨永朋義さんの「歳入改革で地方に自律性」「消費税を地方に、交付税制度は抜本改革」を載せていました。前段は、地方税である法人関係税を国税とし、国税である消費税を地方税とする案です。これで地域間税収格差は、かなりなくなります。2つめの交付税については、誤解があるようです。「自治体の収支ギャップをもとに交付額が決まる。だからある首長が歳出削減を断行すると、その自治体が受け取るお金は減る」というのは、明らかに間違いです。拙著「地方財政改革論議」p134をご覧下さい。歳出削減しても交付税は減らず、その分は余裕財源となるのです。
2日は神野直彦東大教授が「分権改革の第2弾、消費税の地方割合高めよ」「国・地方税を大改革、交付税の税目も入れ替え」を書いておられました。ここでも、消費税の取り分を地方に多く渡し、法人課税は国税に逆移譲する。交付税財源である消費税を地方消費税とし、国税となった法人税を交付税財源とする案です。地域間偏在を少なくし、また実現可能性の高い考えだと思います。私も、次はこの案だと考えています。
2日の読売新聞では、青山彰久記者が「解剖三位一体改革1、対立の重層構造」を書いておられました。一つは「分権vs集権」で、官僚が抵抗している背景には、補助金廃止が日本の統治構造の基本を変える要素があるからです。三位一体改革が、これまでの「補助金共同体構造」を破壊するからです。もう一つは「分権vs財政再建」です。よく分析されたわかりやすい解説です。是非ご一読下さい。(11月3日)
4日は、新内閣になって初めての、4大臣会合が開かれました。また、生活保護の協議会では、厚労省が、負担率引き下げや一部の一般財源化を提案しました。地方団体は猛反発していると、新聞は伝えています。(11月5日)
読売新聞・青山彰久記者の「解剖三位一体改革」は、2日が「義務教育の責任分担。国と地方、建設的議論薄く」、4日は「公共施設の補助金。廃止、権力構造の変化も」でした。(11月4日)
7日の朝日新聞1面は、三位一体改革に関する全知事へのアンケート結果でした。40人は「裁量広がらず」と厳しい評価でした。「移譲額という数字が先にあって、自由度が高まっていない」というのが主な理由のようです。また「交付金は補助金と同じで、自由に使えない」との意見も紹介されていました。
日経新聞は「義務教育費国庫負担金、私の考え1」で、中教審会長の意見を載せていました。見出しに「中教審の役割、今後も重要」とありましたが、自分の組織を「今後は不要」という人がいますかねえ。中教審がどのようなものかは、この騒ぎの中でよく見えました。国民が評価するでしょう。(11月7日)
読売新聞・青山彰久記者の「解剖三位一体改革」は、5日が「中央と地方の協議」「国のかたち変える契機に」でした。私は、三位一体の意義の一番はこれだと思っています。(11月7日)
今日の新聞は、昨日各省へ割り当てが示されたことについて、解説していました。日経新聞は「補助金削減 官邸ペース」、読売新聞は「省庁の抵抗排除狙う。官邸に危機感、反発強くなお曲折も」などです。(11月9日)
今日、官房長官が各大臣に、6,000億円の補助金削減案の各省への割当額を示したとのことです。各紙には、各省ごとの割当額も載っています。合計額は6,300億円で、5%増しの金額になっています。生活保護費については、厚労省に対し「国と地方による協議が整わなかった場合は、これを除く改革案を出してもらう」とのことです(日経新聞夕刊)。(11月8日)
10日の朝日新聞では、坪井ゆづる論説委員が「三位一体改革 決着は」を解説しておられました。「しかし、ここはあえて自治体案に沿って、分権改革の突破口として義務教育を位置づけるべきではないか・・」。
その中で、西尾理弘出雲市長(元文部官僚)が述べておられます。「文部科学省は本来、教育内容や水準を政策的に誘導する『政策官庁』であるべきだ。ところが現状は、国庫負担金を配る『人件費官庁』でしかない。分権議論を機に、政策中心の官庁に脱皮してほしい。そもそも負担金制度は、昭和20年代の公立学校中心主義の産物なんですよ。すでに制度として崩壊している」。
9日朝日新聞夕刊「窓・論説委員室から」では「最後の証言」として地方教育行政法制定に力を尽くし、後に文部事務次官になられた木田宏さんの証言を紹介していました。「この50年間、文部当局は、学校のことは市町村の仕事であるという指導をしてきませんでしたね。都道府県は国の言うことを市町村に伝達するだけでした。マスコミも、何かあると文科省にだけ目を向けて、ものを言ってきました」。
お二人の文部官僚OBの発言でした。(11月10日)
10日には、生活保護に関する国と地方の協議会が開かれました。厚労省が示した「国庫負担率を2分の1に引き下げ、住宅扶助負担の廃止・一般財源化」に対し、地方側は「三位一体改革に名を借りた地方への負担転嫁」と反発しました(11日の東京新聞)。読売新聞「論点」では、高橋はるみ北海道知事が「三位一体改革、負担押し付け許されず」を主張しておられました。11日の朝日新聞では、松田京平記者が解説していました。毎日新聞は社説で「押し付け合いはやめよう」と主張していました。
(11月11日)
11日には、官邸で「国と地方の協議の場」が持たれ、また政府主催の全国知事会議が行われました。朝日新聞によると「小泉首相は11日、政府主催の全国都道府県知事会議に出席し、06年度までの3年間で国から地方へ3兆円の税源移譲などを目指す、『三位一体改革』について、『地方の意見を尊重していく。これで終わりではありません』と述べ、07年度以降も税源移譲や補助金削減などを、さらに進めるべきだとの考えを示した」 とのことです。
日経新聞によると、麻生知事会長は、官邸が各省に対し14日までに提出を求めた補助金削減案について「官房長官が数値目標を示したのにゼロ回答だったら、内閣としての体をなさない」と牽制したそうです。その通りですよね。三位一体改革(補助金廃止)が日本の政治改革=官僚主導を止め、政治主導に変えることであることがよくわかります。(11月12日)
今日の正午が、補助金廃止の各省からの回答期限でした。
NHKニュースによれば「総務省は割り当てられた10億円の補助金を削減する案を示したほか、農林水産省は340億円の割り当てに対し、109億円を、また、経済産業省は70億円の割り当てに対し、59億円を削減する案を示したうえで、いずれも、このほかに削減する補助金を早急に決定し、目標を達成するとしています。一方、全体の80%にあたる5040億円を割り当てられた厚生労働省は、焦点となっている生活保護の補助金について、「地方側と調整がついていない」として盛り込まず、109億円と回答し、環境省は50億円の割り当てに対し、2億円あまりにとどまりました。さらに、文部科学省と国土交通省は「検討中」として金額は示さず、各省の回答は、全体として目標額の6300億円以上を大きく下回りました」とのことです。
社会の趨勢が認めている分権、そして総理の指示に対する回答が、このようなことです。私は、これが官僚にとって末期症状、各大臣にとっては政治主導を問われた試験だったと思います。(11月14日)
6,300億円の補助金削減を割り当てられた7省の回答は、合計289億円、達成率は5%に満ちませんでした。満額回答は、総務省だけでした。麻生全国知事会長は、「官房長官の指示が守られないことは驚くべきことであり、遺憾きわまりない」とコメントを出しました(11月15日づけ日経新聞ほか)。普通の人なら、そう思うでしょうね。

自主研究グループ「ソーシャルアクションスクール」(大阪)

2005年11月12日   岡本全勝
今日は大阪に行って、3時間しゃべって来ました。公務員や学生さんの自主研究会「ソーシャルアクションスクール」です。50人ほどの方が、熱心に聞いてくださいました。休みの日に集まって、こうして勉強されるのは、頭が下がります。私も応援します。がんばってください。
1時間目はちゃんと90分で終えたのですが、2時間目は30分勘違いして、100分もしゃべってから質疑応答をしてしまいました。三位一体改革が日本の政治改革・革命であることと、政策をどう実現していくかを、私の体験を基にお話ししました。後段がどういう話かは、企業秘密ですよ・・。そう簡単には公開・伝授できません。現場の経験のない学生諸君には、どの程度理解してもらえましたかねえ。
12日に講演に行ったメンバーから、いくつか便りが来ました。半分お世辞とと思いつつ、うれしいですね、反応があるのは。よいしょばかりじゃ、私にとっても進歩がありません。批判こそが、ものごとを進めます。それぞれに返事を書きますが、しばらく時間を下さい。(11月14日)

今週も忙しかった

2005年11月11日   岡本全勝

今週も、金曜日を迎えることができました。国会が終わったら、楽ができるかなと思っていたのですが・・。内閣改造、党の役員交代、それ以外の総務課長の仕事がいろいろ入って、今週も忙しい1週間でした。2晩は、会合はドタキャン、しかも晩ご飯を食べそびれたし。この仕事は、自分の時間をもてないのが、最大の悩みです。
まず、部屋に座っていない。記者さんが何人も顔を出してくださるのですが、ほとんど部屋にいないので、かなりの割合で無駄足を運ばせていることと思います。また、外から帰ってくると、お客さんの名刺がたくさん置いてあります。申し訳ありません、ご挨拶できなくて。お会いできても、十分にお相手する時間がなく、「失礼なやつだ」「昔はこうでなかったのに」と思っておられるかもしれません。
決裁は「不在後閲」にしてもらってます。部屋にいても、次々と報告・決裁・面会・電話が入って。まとまった時間がとれないので、書物はもちろん厚めの書類も、読むことはできません。集中できませんものね。
そして、明日は大阪で2駒講義です。うーん、これは自分で仕事を作っているのでした。

社会の基礎の融解

2005年11月6日   岡本全勝
現在の日本は、社会が大きく変わりつつある、それは時代が変わるほどの変化だというのが、私の持論です。東京大学出版会から刊行されている「融ける境、超える法」シリーズは、法律学からそれに取り組んでいる試みだと思います。
現実の人間関係・社会関係は、連続的でありまた多様です。「法」は、それを「法的関係」という観点から、人為的に切り取り、分節化するとともに、一律の枠の中に入れてしまいます。赤ちゃんが生まれてくる際に、どの時点で「人」と見なすのかが、一番わかりやすい例です。生物学では連続した過程ですが、法律学ではある時点で財産を相続できるようになり、あるいは殺人罪の対象となります。
そのほか、貸した借りたを好意ととらえるのか権利義務と位置づけるのか、主権国家の内と外(国際社会)の区分、一定の人の集まりを「法人」と位置づけるなど。
どこかで「境界」をひくのが、法律です。ところが、社会の変化が大きく、これまでの法律と法律学が想定していないことが、いろいろな分野で起きているのです。通常、ボーダーレスというとき、グローバル化と情報化がその原因とされますが、社会の基礎を融解しているのはそれにとどまりません。一番の例が、家族です。これまでの民法(家族法)はもちろん、社会保障・税制・教育などは、家族を単位に組み立てられてきました。それが自明のことでなくなってきています。こうしてみると、近代市民社会といわず、ローマ法以来の社会基礎の変化かもしれません。
もちろん、官と民の境界もです。「権利の主体」とか「権利義務」といった法的概念は変わらないのでしょうが、これまでの法が前提としていた条件、例えば家族、国家、官と民などという概念が大きく変わり、10年後には全く違った世界ができあがっているのかもしれません。行政のあり方、公務員のあり方は、もっと早く大きく変わっているでしょう。変わるべきでしょう。
豊かな社会を達成した日本社会の問題と政治の課題は、私の問題関心の一つです。12月30日の日本経済新聞経済教室では、貝塚啓明教授が「不平等化と低所得層の拡大」を書いておられました。
「効率性と公平性は、経済政策における重要な課題であり、どちらの目標を重視するかは、長年にわたり経済学の分野で議論が戦わされてきた。日本の場合には、社会保障システムは、第二次世界大戦直後に占領軍によって提案され、その後しばらくの間、若い人口構成のもと、経済の効率化と分配の公平性は両立し、日本経済は幸福な時期を過ごした。しかし、1990年代以降、効率性と公平性とは、両立しにくくなってきた。
このプロセスのなかで、日本社会は二極分化を起こし始め、閉塞感の強い社会に移りつつある。日本社会を覆いつつある陰鬱な雰囲気は、単なる経済問題ではなく、元来社会学者が論ずべき問題であり・・」
「筆者は、低所得層の増加が最も問題視されるべきだと考える。所得の低い人々、端的に言えば貧困層が顕在化して、かつて高い平等性を誇った日本の社会構造が大きく変わりつつあるということである。1990年代に進行したのは、正規社員には採用されない若者や、フリーターと呼ばれる階層が若い世代に定着したことである。この階層に属する人々の特徴は、将来、中流階級に上昇する期待も意欲も持たないこととされ、階層として固定化する傾向が強いとみられている。
このような社会の変化は、おそらく社会保障システムの機能にも影響を与えるであろう。・・公的年金の加入要件は長期継続雇用であり、その他の社会保険も多かれ少なかれ、保険料の支払いがその給付の条件である。制度が維持されることとなっても、今後拡大が懸念される貧困層のかなりの部分は、このような受給条件を満たさないであろう。このような社会的変化に対応するために、とりあえず必要な制度改革は、生活保護制度の改革である」
画面の都合上、極めて部分的な抜粋になっています。先生、申し訳ありません。ぜひ原文をお読みください。

おもしろかった本

2005年11月4日   岡本全勝

岡田暁生著「西洋音楽史-クラシックの黄昏」(2005年、中公新書)を読みました。私の音楽の素養は、フルートを吹くといっても小学校唱歌程度なので、専門的なことはわかりません。しかし、そのような門外漢にも、クラシックを中心とした西洋音楽の、歴史と社会的背景がよくわかりました。大部な本より、小さい本の方が、部外者にはよくわかりますよね。でも、書く方は、小さい本の方が大変でしょう。何を書くかより、何を削るかの方が難しいのです。そこに、その人の哲学が現れます。