社会の基礎の融解

現在の日本は、社会が大きく変わりつつある、それは時代が変わるほどの変化だというのが、私の持論です。東京大学出版会から刊行されている「融ける境、超える法」シリーズは、法律学からそれに取り組んでいる試みだと思います。
現実の人間関係・社会関係は、連続的でありまた多様です。「法」は、それを「法的関係」という観点から、人為的に切り取り、分節化するとともに、一律の枠の中に入れてしまいます。赤ちゃんが生まれてくる際に、どの時点で「人」と見なすのかが、一番わかりやすい例です。生物学では連続した過程ですが、法律学ではある時点で財産を相続できるようになり、あるいは殺人罪の対象となります。
そのほか、貸した借りたを好意ととらえるのか権利義務と位置づけるのか、主権国家の内と外(国際社会)の区分、一定の人の集まりを「法人」と位置づけるなど。
どこかで「境界」をひくのが、法律です。ところが、社会の変化が大きく、これまでの法律と法律学が想定していないことが、いろいろな分野で起きているのです。通常、ボーダーレスというとき、グローバル化と情報化がその原因とされますが、社会の基礎を融解しているのはそれにとどまりません。一番の例が、家族です。これまでの民法(家族法)はもちろん、社会保障・税制・教育などは、家族を単位に組み立てられてきました。それが自明のことでなくなってきています。こうしてみると、近代市民社会といわず、ローマ法以来の社会基礎の変化かもしれません。
もちろん、官と民の境界もです。「権利の主体」とか「権利義務」といった法的概念は変わらないのでしょうが、これまでの法が前提としていた条件、例えば家族、国家、官と民などという概念が大きく変わり、10年後には全く違った世界ができあがっているのかもしれません。行政のあり方、公務員のあり方は、もっと早く大きく変わっているでしょう。変わるべきでしょう。
豊かな社会を達成した日本社会の問題と政治の課題は、私の問題関心の一つです。12月30日の日本経済新聞経済教室では、貝塚啓明教授が「不平等化と低所得層の拡大」を書いておられました。
「効率性と公平性は、経済政策における重要な課題であり、どちらの目標を重視するかは、長年にわたり経済学の分野で議論が戦わされてきた。日本の場合には、社会保障システムは、第二次世界大戦直後に占領軍によって提案され、その後しばらくの間、若い人口構成のもと、経済の効率化と分配の公平性は両立し、日本経済は幸福な時期を過ごした。しかし、1990年代以降、効率性と公平性とは、両立しにくくなってきた。
このプロセスのなかで、日本社会は二極分化を起こし始め、閉塞感の強い社会に移りつつある。日本社会を覆いつつある陰鬱な雰囲気は、単なる経済問題ではなく、元来社会学者が論ずべき問題であり・・」
「筆者は、低所得層の増加が最も問題視されるべきだと考える。所得の低い人々、端的に言えば貧困層が顕在化して、かつて高い平等性を誇った日本の社会構造が大きく変わりつつあるということである。1990年代に進行したのは、正規社員には採用されない若者や、フリーターと呼ばれる階層が若い世代に定着したことである。この階層に属する人々の特徴は、将来、中流階級に上昇する期待も意欲も持たないこととされ、階層として固定化する傾向が強いとみられている。
このような社会の変化は、おそらく社会保障システムの機能にも影響を与えるであろう。・・公的年金の加入要件は長期継続雇用であり、その他の社会保険も多かれ少なかれ、保険料の支払いがその給付の条件である。制度が維持されることとなっても、今後拡大が懸念される貧困層のかなりの部分は、このような受給条件を満たさないであろう。このような社会的変化に対応するために、とりあえず必要な制度改革は、生活保護制度の改革である」
画面の都合上、極めて部分的な抜粋になっています。先生、申し訳ありません。ぜひ原文をお読みください。