4日の朝日新聞も、知事アンケート結果を載せていました。「大半の知事が不満や批判を表明した」。不満の内容は、昨日書いたとおりです。評価できる点は、国と地方の協議の継続・税源移譲の実現・交付税総額確保などです。
あれほど隔たりがあった、政府(地方案)と与党が合意し、「双方五分五分」といわれるのですから、地方側は不満があるでしょう。
でも、これで終わったわけではありませんから、次に向かって頑張ればいいのです。分権は、一回の決定ですむような課題ではありません。仕掛けと手順が必要なのです。そのために、土俵も設定してあります。後は、盛り上がりを続けられるかどうかです。それは、地方団体側の努力にかかっています。観客も見ています。(12月4日)
4日の東京新聞も、全知事へのアンケート結果を載せていました。5日の産経新聞「紙面批評」は、「多角的に改革の検証を」を書いていました。「・・新聞は記事に・・という見出しを掲げたが、これでは、読者の目には国と地方、あるいは省庁同士が単に権限争いをしているように映ってしまうのではないだろうか」「マスコミが一件落着を許さず、ネチネチと報道し続けることが、改革の次のステップにつなげていくことになるのではないか」。同感です。(12月6日)
5日の読売新聞「政思万考」では、「地方の意見を聞くとは、幕末に老中阿部正弘が諸藩にペリーへの対応方法を求めたとき以来、なかったことだ」という話を紹介し、その後、幕府が滅びたことを書いていました。確かに、諸侯の意見を聞くのは、幕末開国をめぐって(1853年)以来のことですが、違う点もあります。
150年前は意見を求めたのに対し、今回は原案作成を依頼したこと。よって、前回はそれぞれ意見を出したのに対し、今回は意見をまとめたことです。今回はそれだけに、地方の対応は、すごいことなのです。
従来型の統治システムが限界に来ているという点は、類似しているように思えます。幕府も現在の日本政府も、有能な官僚をそろえながら、改革できないという点も。その後、日本が新しい時代に適応できるように「脱皮」するかどうかは、その後の政治にかかっています。明治国家は、それを成し遂げましたが。
諸侯に意見を聞いたことで、幕府の権威が落ち、政治秩序が流動化しました。今回「地方に原案作成を依頼したこと」が、新しい政治構造を作る動きへと「うねりが高まる」かどうか、これは関係者の動きにかかっています。(12月6日)
7日の産経新聞「正論」は、「教育の地方分権化が馴れ合い行政防ぐ」を主張していました。朝日新聞は文科省「補助金減でも国の権限維持」を書いていました。三位一体改革が、お金の奪い合いにとどまらないことが、よく見えます。(12月7日)
8日の朝日新聞「私の視点」は「補助金改革、地方の発想生かす運用を」を載せていました。また、日本経済新聞は、小泉総理が、「地方の意見を聞くのは幕末黒船以来のこと」と自賛しておられると伝えています。150年ぶりのことです。(12月8日)
【増税?】
来年度の税制改正が、与党でまとまりました。新聞では、「増税」「家計に負担の増」と書かれています。確かに「来年度の国民には負担の増」となりますが、この表現では一面しか伝えていません。
まず、今回の主な部分は、定率減税の廃止です。これは「減税の廃止」です。その意味では、「増税」ではありません。この半世紀間、日本が本格的増税をしたことがないことについては、拙著「新地方自治入門」p299をご覧ください。
次に、総理も発言しておられるように、この減税をした分は、赤字国債・赤字地方債で埋めています。即ち、将来の国民=子供や孫たちに負担させています。来年の国民への「増税」は、国債や地方債を減らします。それは、国債等の償還金の減=将来の国民にとって「減税」になります。もっとも、将来の国民からすると、「そもそも負担しなくてもよい、親父たちの借金の返済」が減るのですから、当たり前のことです。
この「減税廃止」をしても、なお多額の国債を発行し、将来の子供たちに送りつけているのです。現在の政治では、「将来の国民の声」が反映されません。もし彼らが発言したら、「もっと増税せよ」と言うでしょう。「自分たちの世代の受益は自分たちで負担せよ。子や孫に負担を送るな」と。このように「世代間の公平」が無視されています。その意味では、私たちの世代は「とんでもないこと」を続けています(前掲拙著p115)。
本当の増税は、赤字国債を発行しなくても良いようにすることです。(12月16日)