カテゴリーアーカイブ:社会と政治

日本におけるリベラリズムの位置

2026年4月15日   岡本全勝

3月28日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思さんの「揺らぐ、リベラリズム」から。いつもながら、鋭い分析です。原文をお読みください。

・・・先の衆議院選挙における、中道改革連合の、とりわけ旧立憲民主党の大敗は何を意味するのだろうか。「リベラルの敗北」というのが大方の回答だ。だがそれでは「リベラル(リベラリズム)」とは何なのであろうか。
「リベラル」とはかなり幅を持ったいくぶんあいまいな言葉だが、その中心にあるのは「個人の自由についての平等な権利」だ。そこで、「個人の自由」を制限する、国家、家族、企業組織、宗教、伝統的慣習、共同体社会に対して、それは懐疑の目を向ける。
他方では、民主主義や人権、福祉などの社会的正義の実現を主張する。「自由な個人による民主的な政治の実現」と「古い伝統や因習の打破」によって社会の進歩をめざす。これが「リベラル」の核にある思想であろう。

戦後の日本も、個人の自由、民主主義、人権思想などを受け入れた。しかしそこにもうひとつ独特の事情が加わった。その結果、戦後日本には、「日本」をめぐるふたつの立場ができあがった。ひとつは、平和憲法の理想こそ日本の国是だとする護憲平和主義であり、他方は、日本の国家の安定を日米安保体制に委ねるとする現実主義である。
ところがそこに米ソの冷戦が始まった。その中で、護憲派は社会主義へと傾斜し、他方、日米安保体制の現実派は、米国の自由主義へと傾斜し、ここに戦後日本の政治と思想を特徴づける「革新」と「保守」の対立が生じた。
だが、この「保革対立」は、あくまで日本の特殊事情によるところが大である。それは、敗戦後の日本が、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策のもとで復興し、日米安保体制のもとで「戦後」へと移行したからだ。その結果、「革新派」の平和主義は、実際には、米国による安全保障と米国が与えた憲法を前提としたものであり、他方、「保守派」の現実主義も端的にいえば米国への「従属」を意味していた。実際には、どこにも「リベラル」などなかった・・・

・・・そこで日本に戻ろう。冷戦以降の日本の左翼革新派は、マルクス流の階級闘争や社会主義の夢を放棄し、米国流の「リベラル」に接近した。21世紀の日本の「リベラル」の課題は、もはや階級闘争ではなく、移民受け入れ、人々の個性や性的多様性の重視、夫婦別姓、それに反原発、反安保法制であり、その根本には護憲がある。
だが、米国流の「アイデンティティー・ポリティクス」を持ちこんでも大衆の心情を動かすことはできない。反原発も反安保法制も、今日の現実の前では、ほとんど説得力を持ちえない。
米国が敷いた「リベラルな国際秩序」が機能不全になれば、日本の安全保障は、切実な現実問題となってくるのであり、もはや護憲平和主義を唱えるだけではどうにもならない。これが、今日の状況なのである。
少し強い言い方をすれば、米国流の「リベラル」を持ち込み、米国が与えた平和憲法をそのまま護持することだけを唱えてきた「リベラル」が影響力を失うのも当然だろう。いや、そもそも日本には固有の「リベラル」などというものはなかったのではなかろうか。

ところで、このように書いてくれば、実は、問題は「リベラル派」に限られるものではないことに気づくだろう。「保守派」も同様なのではなかろうか。
戦後日本の「保守勢力」は、社会主義へと接近する「左翼革新勢力」から「日本を守る」という使命を自らに課した。日米安保体制もそのためであった。「保守」が大きな意味をもったのは、冷戦下で「革新」にそれなりの影響力があったからだ。ところが、社会主義も崩壊し、左翼勢力は米国流の「リベラル」へと変身してゆく。そうなれば、一体、「保守」の存在理由をどこに求めればよいのだろうか。
しかも、戦後、日本は、政治、経済、文化、学術のほとんどの分野で米国を模範とし、それに追従してきたのである。米国は、基本的に「リベラルな価値」を社会の核に据えた国であり、日本の保守勢力も、日米の親密な同盟とは「リベラルな価値の普遍性」を実現するものだと述べてきた。だとすると、その米国における「リベラルな価値」の失墜は、「リベラル派」のみならず、「保守派」にとっても大きな試練になるだろう・・・

国民が望むのは世界一の治安

2026年4月12日   岡本全勝

3月25日の読売新聞1面に「読売・国問研 共同世論調査 「世界一の治安望む」62% 「国際秩序を主導」45%」が載っていました。

・・・読売新聞社と公益財団法人「日本国際問題研究所」(JIIA、東京)は全国世論調査(郵送方式)を共同実施し、将来における日本の国のあり方などに関して国民の意識を探った。日本が今後どのような国を目指すべきだと思うかを聞いたところ、「世界トップレベルの治安を保つ国」の62%が最多となった。世界各地で争いが絶えない中、平和で安心できる日常を望む日本人の意識は、世代を超えて共通している。

質問は18項目の選択肢から複数選んでもらった。「トップレベルの治安」との回答は、18~39歳の若年層は69%で、60歳以上の高齢層でも57%に上った。回答者全体で2番目に多かったのは「世界トップレベルの技術力を持つ国」の53%で、これに「社会福祉制度が充実している国」52%、「平和を世界に訴える国」50%が続いた。

今後、日本が国際社会で主導的な役割を果たしていくべきだと思うもの(13項目から複数回答)は、「法の支配に基づいた国際秩序の維持や強化」の45%が最も多かった。世界が不安定化する中で、国際ルールを重視する日本の取り組みが期待されている。以下、「気候変動問題、環境問題への対策」44%、「国際ルールに基づいた公正な貿易や投資の確保」42%などの順で多かった。

今後の日本の社会保障のあり方として、サービスを充実させることと、負担を軽減させることでは、どちらを優先するべきだと思うかについては、「どちらかといえば」を含めて「負担の軽減」64%が「サービスの充実」32%を大きく上回った。
国の予算を今後増やす方がよいと思う分野と減らす方がよいと思う分野を、それぞれ14項目の中から三つまで選んでもらったところ、増やす分野は「医療」43%、「年金」40%、「介護」36%、減らす分野は、「途上国への経済協力」52%、「生活保護」40%、「国債の償還」27%が上位に挙がった・・・

サービスの充実より負担の軽減を選ぶ人が多く、他方で医療や年金の予算を増やせとは、矛盾しているのではありませんか。国債の償還を減らすのは、どのような方法で行うのでしょうか。

寛容でルール重視の若者たち、自民党支持

2026年3月2日   岡本全勝

2月17日の朝日新聞「寛容でルール重視の若者たち リベラル自認層の票、自民に流れた一因か 社会学者・仁平典宏東大教授に聞く」から。

―朝日新聞と大阪大の三浦麻子教授によるネット調査では、リベラルを自認する10~30代の投票先は自民党が34%で最多となり、最大野党・中道改革連合は1割足らずとの結果でした

若者の間でリベラルな意識は定着しています。首都圏の中学校に通う生徒約2千人を対象に民主主義やルールへの意識調査をしていますが顕著です。調査に際し、「民主主義志向」や「寛容性」をリベラルな価値観、「権威主義」や「国家主義」「排外主義」を保守的な価値観の構成要素としましたが、例えば「ルールはみんなの話し合いで決めたほうがいい」という「民主主義志向」に(1)まああてはまる(2)とてもあてはまる、と回答した生徒は2018年の91・2%から25年には96%と高水準で推移しています。「考え方が違う人も受け入れることができる」という「寛容性」には、(1)(2)合計で85・8%(18年)から91・6%(25年)に増えました。

―意識の高さの背景に何がありますか

暗記より意欲を重視した1990年代の「新しい学力観」や17年の「主体的・対話的で深い学び」、さらに不登校児を守る教育機会確保法に至るまで、個や対話を尊重する改革が進みました。「お花畑」と揶揄された戦後教育学の理念が、ある程度実装されたわけです。子どもへの体罰やハラスメントも許容されない方向に変わっていますよね。

―ならば、高市政権以降、右傾化したとされる自民党が支持される理由は?

「ルール厳格性」の高まりが関係しています。調査では「ルールを守らない人は厳しく罰するべきだ」との問いに、(1)(2)合わせた割合が、59%(18年)から79・3%(25年)に急増しました。さらに、自分の考えよりも先生や先輩の指示に従うべきだという「権威主義」、国を愛することは大切だと思うという「国家主義」を肯定する傾向も22年ごろから強まっています。

―なぜこんなことが起きるのでしょうか

民主的なルールづくりを重視することは「ルールを守れないやつは許せない」と考えることと矛盾しません。色々な考え方があってもいいけれどルールは守れよという厳格さは、集団全体の方向に従う権威主義や国家主義的な価値観を強めている可能性があります。
さらに、状況は変化しています。以前の調査では、民主主義志向や寛容性が高いタイプの子は、それに準じる層も含めて排外主義の傾向は低かった。しかし昨年の調査では「日本に住む外国人が増えると社会にとって良いことが多い」という質問への否定的な回答が増えたのです。民主主義志向や寛容性が浸透しても、排外主義が高まる十分な歯止めにはならない可能性が見えてきました。

デジタル技術を合意形成に使え

2026年2月20日   岡本全勝

1月28日の朝日新聞オピニオン欄、自然哲学者・鈴木健さんの「デジタルが民主主義を救う」から。
・・・衆院選が公示された。世界を見渡せば分断が深刻化し、「選挙で勝ったら白紙委任」とばかりに独断専横をはたらく権力者が喝采を浴びている。意見が異なる他者との対話や、熟議を取り戻す手だてはないのか。かねて社会の分断を憂慮し、「デジタル民主主義」を提唱してきた鈴木健さんに聞いた・・・

―初めてお会いしたのは12年前。複雑な世界を複雑なまま生き、誰も何も代表しないしされない「なめらかな社会」の構想にときめきましたが、いまや分断線が引かれまくりでなめらかどころかガタガタです。
「僕はトランプ氏が大統領になる前の2016年頃から米国の田舎をまわりながらアメリカの分断が加速するのを目撃してきました。アメリカの分断をどうにかして食い止められないかと試行錯誤をしてきたのですが、感情的分断が進みすぎて互いを共感できなくなってしまい、なかなかむつかしい」
「世界はどんどん専制主義に傾き、民主主義国の人口は世界全体の28%と、冷戦崩壊前の水準に戻っています。そんな中で、幸いにも母国・日本ではまだ民主主義が安定的に機能している。欧米のような激しい分断が起きていないことが大きな要因ですが、いまのうちに何か手を打つ必要があります」

―安定……。皮肉ですか?
「いえ、日本はいまや民主主義国のお手本、フロントランナーです。周回遅れで走っていたら、前を行く走者がどんどん脱落し、いつの間にか先頭にいたという感じではありますが、政治的、党派的な対立が、欧米に比べれば激しくありません」
「分断のフェーズには3段階あると言われます。政治的分極化→政治的暴力→内戦。米国はすでに第2フェーズに入り、暴動や暗殺が起きている。分断の本質的な問題は、意見が割れることではありません。たとえ意見が違っても、相手のことを尊重し、対話を通じて合意点を見いだそうとする態度が極端に希薄化し、対話不能に陥ることこそが問題なのです」

「インターネットの出現と冷戦の終結によって、情報と経済システムにおいては革命的変化がもたらされたのに、政治システムはほとんど変わっていない。これが問題の核心です。民主主義もテクノロジーのひとつなのだから、進化に応じて変えていくのは当然のことです」

―民主主義がテクノロジー? 頭が追いつきません。
「さかのぼれば、集会で拍手による『喝采』で代表が選ばれていた時代もありました。それがいつしか、誰に投票したか見られないように投票用紙に名前を書いて、後から集計する方法が一般的になった。両者は全く異なるテクノロジーです。米大統領選挙が火曜日に行われるのは、日曜日には教会に行く必要があり、投票所に行くのに馬車で1、2日かかるから。リアルタイムに人々の意見を聞くテクノロジーがなかったからそうなっているだけなのです。伝統や慣習はおろそかにするべきでないですが、それにしても、瞬時に人びとの意見を集約できるテクノロジーがあるのに、馬車の時代のやり方を続けることに理や利があるでしょうか」

―失礼ながら12年前にはやや荒唐無稽に聞こえた構想も、AIの急速な進展を目撃した今は違いますね。人々の声をAIで収集・分析し、政策立案に活用する政党も出てきています。
「自分たちの声が可視化され、国や自治体の意思決定に反映されていく仕組みを作る。声を聞いてもらえ、場合によっては政策に取り入れられる。この回路を信じられなくなると、極端な意見を欲するようになります。SNSはそうした声を増幅する反社会的な装置として機能し、最終的には人びとを政治的暴力に駆り立ててしまいます」

―AIで意思決定を自動化するアイデアも出ていますが。
「意思決定には、不満を持っている人たちにも『納得はしていないが仕方がない』と思わせる『正統性』が欠かせません。それをAIが持つことは難しい。僕は意思決定をAIに任せるよりも、人間がAIの支援で行った意思決定を、AIを使って行政の執行を自動化する方が重要だと考えます。政策にせよ法律にせよ、意思決定通りには実行されないことがほとんどで、行政マンの裁量が入り込んで意思決定が歪曲される。執行し、苦情を集めて整理して、緊急度が高いものにはすぐに対応するようアラームを鳴らす。人間よりもAIの方がうまくやります。行政マンは市民との対話や政策デザインに時間を使えるようになります」

「総合的」とは

2026年2月15日   岡本全勝

1月27日の朝日新聞夕刊「いま聞く」は、イアン・アーシーさんの「「総合的」?何を総合してますか」でした。

・・・「総合的に判断して」「総合的・俯瞰(ふかん)的に検討しまして」。判断の理由がわかったようなわからないような……。政治ニュースでよく聞くこの言葉、著書「ニッポン政界語読本 単語編」で取り上げた翻訳家のイアン・アーシーさん(63)に聞いた。「総合的」って、総合的に考えてどんな言葉ですか?

1984年に初来日。「総合的」の言葉は「かなり早い時期から気になっていました」と言う。「何を総合するのか分からない。訳すのに苦労したことが幾度となくあります」
90年代、大学に「総合○○学部」といった名称の学部が出てきた。広い視野で物事を考え研究する学部と思いつつ、「いったい何をする学部なのか」。
2015年、自衛隊による武力行使が可能な範囲を広げる安保法制の法案をめぐる議論でも「総合的」はよく使われた。例えば、存立危機事態とは何か。当時の安倍晋三首相は「状況を総合的に判断して存立危機事態に当たり得る」(15年7月)。

20年秋に発覚した、日本学術会議の会員候補6人を菅義偉首相(当時)が任命拒否した問題でも「総合的」は頻出した。ただ、菅首相の「総合的」は「進化とも言える変化形」と言う。
例えば、20年10月5日の内閣記者会インタビューなどで、菅首相は「総合的・俯瞰的」を多用した。俯瞰的とは、高いところから全体を見下ろす、という意味。「総合的とセットになると『恐れ入った』と思わせる効果すらありますね」。この言葉はさらに進化を遂げ、以降の官房長官会見では「総合的・俯瞰的観点」と「観点」がつくようになった。
6人をなぜ任命しなかったのか、明確な理由は今に至るも分からない。「『総合的』とは判断の根拠をあやふやにするのに便利なぼかし言葉。政治家はよく言葉を分かっています」

仲間の言葉として、「原則として」「など」もあるという。特に「原則として」は、例外を無限に拡大して範囲が不明瞭になると指摘し、「総合的」に並ぶ「ぼかし言葉の二大巨頭」と位置づける。

こうした政治家の言葉に、特に記者たちはどう立ち向かっていくべきなのか。
「面倒くさいまでに具体的に列挙させること。何と、何と、何を『総合』するんですか、と。具体的にどういう項目を判断材料にしたのかを語れないのであれば、それは言葉を隠れみのに使った逃げ。『総合的』という言葉も、そんな使われ方をされたら不本意でしょう」・・・

そうですね。「総合的に勘案して」という場合にも「甲、乙、丙を総合的に勘案して」と使えば、納得してもらえるでしょうか。それぞれの要素の配分点は明らかではないのですが。「甲、乙、丙などを総合的に勘案して」となると、「など」に何が入っているかわからず、ごまかしになります。