カテゴリーアーカイブ:社会と政治

旧統一教会問題への国の不作為

2026年5月8日   岡本全勝

4月18日の朝日新聞オピニオン欄、宗教社会学者・桜井義秀さんの「旧統一教会問題への不作為」から。

・・・高額献金や霊感商法の問題が長年、指摘されてきた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に東京高裁が3月、解散を命じた。教団について約40年、研究してきた宗教社会学者の桜井義秀さんは、行政や捜査機関などがすべきことをしなかった「不作為」を指摘している。社会は何を見過ごしていたのだろう。

―旧統一教会の問題は長い間、指摘されてきたものの、安倍晋三元首相の銃撃事件まで、目立った対策がとられてきませんでした。
「1980年代からカルト宗教を研究してきましたが、宗教界を中心に、ほとんどの人はこのテーマに関わりたくないと思っています。カルトがもつ独善性や、自由を奪い規律で人を縛る仕組みなどは、宗教自体の特徴と通じるところもあり、宗教の負の面を見たくない、ということなのかもしれません」
「2010年に旧統一教会の研究書を出版した時も、社会的インパクトはほとんどなかった。その一方で私は、調査対象とした教団からネットでの誹謗中傷を受け、訴訟のリスクを常に抱えてきました」

「日本は『現状維持』をしたがる社会です。自ら変えようとする動きはあまり見られません。旧統一教会の問題とは、信者やその家族ら、一般市民の人権が守られていなかったということです。霊感商法や高額献金の問題が広く知られていたにもかかわらず、自民党の議員たちは選挙で教団を利用していました。メディアはその実態を報じず、国民もこうした政治家を支持してきました。教団が社会的に認められてしまうという絶望、危機感が背景にあったのが安倍元首相の銃撃事件でした」

―東京高裁が3月、教団に解散命令を出し、教団側は最高裁に不服を申し立てています。
「献金、勧誘、布教行為は信教の自由に基づくという前提がある中で、今回の決定は、信者の財産、家族への影響などから見ても、社会的相当性に照らし悪質で組織的な不法行為であると、明確に打ち出しています。非常に評価できますが、遅きに失した感は否めません」
「09年に教団が『コンプライアンス宣言』したきっかけは、信者たちが印章などを売りつけた事件でした。なぜ当時、捜査機関がもっと踏み込まなかったのでしょう」
「今回の解散命令に先立って、文部科学省は教団に質問権を行使し、解散命令を請求しましたが、質問権の行使についてはもっと前にできたのではないでしょうか。私は20年以上前から文科省主催の宗教法人対象の研修会において教団の問題性を指摘していました」
「もちろん、戦前・戦中にあった宗教統制や弾圧の歴史を顧みれば、宗教に国が安易に介入すべきではないし、管理も実質的にできません」
「ただ、国が宗教団体を宗教法人として認証するということは、非課税という、いわば特権を与えて公益法人として認めることです。そうである以上、法人が宗教活動に専心し、公益活動も行うという宗教法人本来の認証目的にかなっているのかどうか、これをチェックするという意味での質問権行使は、所轄庁として当然すべきことだったと考えています」

―同様の被害を起こさないためには、何が必要だと考えますか。
「宗教者、児童相談所のスタッフなど、現場にいる人々に関わってもらうことです。介入の難しさや孤立のしやすさを前提にして、相談できる場所、支援する人を増やしていく必要があります」
「『宗教のことだから』『信教の自由があるから』といって思考停止するのではなく、何かおかしくないか、何か自分にできることはないか、そういう手を誰もがさしのべる必要があるのではないでしょうか」
「社会に大きな影響を与える出来事が起きても、誰も責任をとらないということが繰り返されてきました。元首相銃撃事件も、旧統一教会の一連の問題も、この国が自分たちで問題を解決しようとしなかったことの表れではないでしょうか。何かしなければ、と考え、行動を起こす人間が出てくることを待つしかありません。私自身は間違いなく、その一人になろうと思います」・・・

技術の暴走とどう付き合うか

2026年5月6日   岡本全勝

日経新聞は4月21日から、「欧州発 技術の倫理」を連載していました。
・・・人工知能(AI)などの技術は文明の発展に寄与する一方、世代を超えた負の影響をも生み出しかねない。人間の能力を超えつつある技術をいかに制御すべきか。欧州では人文系の研究者が哲学や倫理学の伝統をふまえつつ、この難問に向き合っている・・・

として、次の4つが取り上げられています。
1 人工知能:AI大臣は理想の政治家か 欧州の思想界、先走る現実へ警鐘
2 気候変動:オランダ水上住宅、荒ぶる自然と共生図る 利便と正義は両立するか
3 放射性廃棄物:「核のごみ」封印計画 欧州で高まる未来への倫理的責任論
4 ゲノム解析:英国で進む全新生児のゲノム解析計画 技術と人権、両立に悩む欧州

どんどん進む技術とどのよう付き合うかについては、この倫理問題ほかに、次のようなものもあります。
・インターネットを利用した武力攻撃や犯罪
・人工知能の武力攻撃への利用
・ソーシャルメディアによる世論や意識の誘導
・スマートフォンが子どもに与える悪影響
・人工知能に頼る学生の論文執筆
・環境や生物に悪影響を与えるプラスチックごみ
などなど

個人情報保護法改正案 事業者団体の圧力

2026年4月30日   岡本全勝

4月12日の朝日新聞「個人情報保護法改正案 事業者団体に力、データ活用優先し救済制度は後退」から。

・・・個人情報保護法(個情法)の改正案が7日、国会に提出された。AI(人工知能)開発などのために機微なデータも本人の同意なく集められるようにする規制緩和が盛り込まれた一方で、利用者保護のため導入を予定していた制度は、最終段階で大幅に後退した。何があったのか・・・
・・・個人情報保護委員会は改正作業に着手した当初、被害が生じた場合の事業者への制裁や、事後の救済策の導入も検討していた。違反行為に金銭的ペナルティーを科す「課徴金制度」と、違反行為の迅速な差し止めや被害回復を個人に代わって消費者団体などが行える「団体訴訟制度」だ。どちらも海外では広く採用されている。グーグルやメタのようなビッグテックから自国民を守るための「武器」にもなるからだ。
しかし、国会に提出された改正法案では、団体訴訟制度は見送られた。不正な手段で個人情報を入手するなどの違反行為に課徴金は新設される。ただ、データを漏洩させるような安全管理の不備など重要な違反行為は対象から外され、検討時より限定的な導入になる。

なにがあったのか。
「妥協するしかなかった」。個情委の幹部は打ち明ける。「事業者団体が納得しない限り、法案はいつまでも提出できない構造なんだ」
実は法改正のプロセスは、個情委の当初想定より1年ほど遅れている。原因は、産業界の反発にあった。
改正の検討が始まったのは23年秋。だが、課徴金と団体訴訟制度の導入方針に、経団連と新経済連盟、日本IT団体連盟は「企業活動を萎縮させる」などと反対した。
3団体が頼ったのが、自民党のデジタル政策の司令塔とも呼ばれる党内組織「デジタル社会推進本部」(平井卓也本部長、デジ本)だった。情報公開法などに基づき入手した資料によれば、個情委の事務局幹部は24年4月に4度、デジ本に呼ばれている。3団体のロビイストも同席する場で、議員らは「経済界が望まない課徴金の話が、なぜ出てきたのか」と事務局幹部に問いただした。
課徴金は20年改正時、参議院の付帯決議で導入の検討を求められていた。個情委がそう説明しても、議員らは「経済界が『今じゃない』と言っている」などとして応じなかった。結局、個情委は25年の法改正を断念した。状況打開のために同年3月に提案したのが、AIと統計作成の特例だった。「本人同意を要しないデータ利活用」は3団体が掲げていた要望の一つだった。

だが、成果を手にしても、事業者団体は法改正を拒み続けた。「このままでは26年も改正できない」。焦った個情委が切ったカードが団体訴訟の見送りと課徴金の縮小の方針だった。
25年12月12日、デジ本の下部組織「デジタル基盤小委員会」の役員会で数人の議員と官僚、3団体のロビイストが話し合いの場をもっている。入手した資料によれば、議員の一人は、個情委が示した改正方針を確認しながら「これで条文作成の作業に入っていいですか」と3団体に尋ねた。この会合を経て改正案はやっと国会への提出を認められた。

なぜ、事業者団体がこれほどの力を持つのか。一因は与党の事前審査制にある。法案が閣議決定される前に与党の了承を得る慣習だ。
個情法の場合、デジ本などの部会が審査の中心となる。だが、実際には、その手前で、デジ本の一握りの幹部が中身を吟味している。部会が自民党の議員なら誰でも参加できる「平場(ひらば)」なのに対し、その手前の会合は開催の事実さえ一般には公開されない。しかし、ここで議員が認めなければ、法案は日の目を見ない。そして、議員は事業者団体の声を重視する。消費者団体は蚊帳の外だ。
団体訴訟の導入に期待をかけていた全国消費者団体連絡会の菅原清明事務局次長が個情委から改正方針の説明を受けたのは、正式公表の前日だった。主婦連の河村真紀子会長も「密室の政策形成の場に事業者団体は席まで用意されているのに、我々は何も知らされない」と憤る。
食品安全や環境問題などでは産業界に目を光らせてきた消費者団体も、デジタル分野では対応が遅れている。欧米では、消費者団体が著名な法律家やエコノミストを擁して活発なロビー活動を展開している。
「『保護』の側からの声が大きくなれば、まだ『利活用』とのバランスもとりようがあるが、日本は保護側の声が極めて弱い」と個情委の職員は嘆く・・・

女性トイレの行列解消は国の仕事か

2026年4月16日   岡本全勝

社会の問題、特に地方行政について鋭い指摘をしている「自治体のツボ」、4月15日は「女性トイレの行列解消は国の仕事か」でした。

・・・国交省は男女が等しく快適に過ごせるよう、トイレの待ち時間を平等にせよ、と施設管理者らを指導していくようだ。利用者が男女同数なら、女性用を多く設計することも求めるそう。ま、内容はいいけれど、国に言ってもらわないとやらないのか、民間は。
NHKホールだけでなく、歌舞伎座も映画館も混雑している。行列を放置する商業施設は選ばれなくなるが、唯一無二の殿堂、歌舞伎座あたりはあぐらをかいて手を打たない。だから国が出てきてしまうのか。そもそも施設を造る前から配慮しておくべきことだ。
女性用トイレの混雑放置という事象に国がお出ましになる事態は、いかに日本が女性の社会進出に関心がないか如実にあぶり出すものといえる。競技場などは男性トイレを開放するなどの対策をとっているようだが、女性が人の集まる場所に出かけるのは難儀だろう・・・

続きは、原文をお読みください。

日本におけるリベラリズムの位置

2026年4月15日   岡本全勝

3月28日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思さんの「揺らぐ、リベラリズム」から。いつもながら、鋭い分析です。原文をお読みください。

・・・先の衆議院選挙における、中道改革連合の、とりわけ旧立憲民主党の大敗は何を意味するのだろうか。「リベラルの敗北」というのが大方の回答だ。だがそれでは「リベラル(リベラリズム)」とは何なのであろうか。
「リベラル」とはかなり幅を持ったいくぶんあいまいな言葉だが、その中心にあるのは「個人の自由についての平等な権利」だ。そこで、「個人の自由」を制限する、国家、家族、企業組織、宗教、伝統的慣習、共同体社会に対して、それは懐疑の目を向ける。
他方では、民主主義や人権、福祉などの社会的正義の実現を主張する。「自由な個人による民主的な政治の実現」と「古い伝統や因習の打破」によって社会の進歩をめざす。これが「リベラル」の核にある思想であろう。

戦後の日本も、個人の自由、民主主義、人権思想などを受け入れた。しかしそこにもうひとつ独特の事情が加わった。その結果、戦後日本には、「日本」をめぐるふたつの立場ができあがった。ひとつは、平和憲法の理想こそ日本の国是だとする護憲平和主義であり、他方は、日本の国家の安定を日米安保体制に委ねるとする現実主義である。
ところがそこに米ソの冷戦が始まった。その中で、護憲派は社会主義へと傾斜し、他方、日米安保体制の現実派は、米国の自由主義へと傾斜し、ここに戦後日本の政治と思想を特徴づける「革新」と「保守」の対立が生じた。
だが、この「保革対立」は、あくまで日本の特殊事情によるところが大である。それは、敗戦後の日本が、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策のもとで復興し、日米安保体制のもとで「戦後」へと移行したからだ。その結果、「革新派」の平和主義は、実際には、米国による安全保障と米国が与えた憲法を前提としたものであり、他方、「保守派」の現実主義も端的にいえば米国への「従属」を意味していた。実際には、どこにも「リベラル」などなかった・・・

・・・そこで日本に戻ろう。冷戦以降の日本の左翼革新派は、マルクス流の階級闘争や社会主義の夢を放棄し、米国流の「リベラル」に接近した。21世紀の日本の「リベラル」の課題は、もはや階級闘争ではなく、移民受け入れ、人々の個性や性的多様性の重視、夫婦別姓、それに反原発、反安保法制であり、その根本には護憲がある。
だが、米国流の「アイデンティティー・ポリティクス」を持ちこんでも大衆の心情を動かすことはできない。反原発も反安保法制も、今日の現実の前では、ほとんど説得力を持ちえない。
米国が敷いた「リベラルな国際秩序」が機能不全になれば、日本の安全保障は、切実な現実問題となってくるのであり、もはや護憲平和主義を唱えるだけではどうにもならない。これが、今日の状況なのである。
少し強い言い方をすれば、米国流の「リベラル」を持ち込み、米国が与えた平和憲法をそのまま護持することだけを唱えてきた「リベラル」が影響力を失うのも当然だろう。いや、そもそも日本には固有の「リベラル」などというものはなかったのではなかろうか。

ところで、このように書いてくれば、実は、問題は「リベラル派」に限られるものではないことに気づくだろう。「保守派」も同様なのではなかろうか。
戦後日本の「保守勢力」は、社会主義へと接近する「左翼革新勢力」から「日本を守る」という使命を自らに課した。日米安保体制もそのためであった。「保守」が大きな意味をもったのは、冷戦下で「革新」にそれなりの影響力があったからだ。ところが、社会主義も崩壊し、左翼勢力は米国流の「リベラル」へと変身してゆく。そうなれば、一体、「保守」の存在理由をどこに求めればよいのだろうか。
しかも、戦後、日本は、政治、経済、文化、学術のほとんどの分野で米国を模範とし、それに追従してきたのである。米国は、基本的に「リベラルな価値」を社会の核に据えた国であり、日本の保守勢力も、日米の親密な同盟とは「リベラルな価値の普遍性」を実現するものだと述べてきた。だとすると、その米国における「リベラルな価値」の失墜は、「リベラル派」のみならず、「保守派」にとっても大きな試練になるだろう・・・