「生き方」カテゴリーアーカイブ

生き様-生き方

千枚の服を捨てたら

2月18日の読売新聞に「1000枚の服 手放して気づいた! 心地よさ=自分のスタイル」が載っていました。原文をお読みください。

・・・ファッション誌編集者の昼田祥子さん(44)は、3年かけて1000着の服を手放した。過程をつづった著書「1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話」(講談社)は、日々の装いに悩む女性から支持を集める。流行を伝え、消費意欲を促す側の人が、なぜ、どのようにして服を手放したのか?

昼田さんは、20年超の経験を持つベテラン編集者だ。30代半ばまで「同じ服を週2回着るなんてあり得ないと思っていた」。3~4畳のウォークインクローゼットに収まらない服が、隣室のラックにも並んでいたという。
手放し始めたきっかけは、興味本位で使ってみたフリマアプリだ。ブランドの高価な限定品より、使いかけのマニキュアが売れた。「これまで編集者として訴えてきたことが通じないことに、価値観が一気に崩れた」と振り返る。

その後3年かけて1000着近くあった服を50着まで減らした。当初、編集者はおしゃれであるべきだとの思いから整理が進まなかったが、そのうち、服を買い続けてきたのは、自分を大きく見せたいという自信のなさの表れだったと気づいた。「そんなの必要? 何を着ても私は私」

では、どのように手放していったのか。
まず、装うことに対する自分の思いに誠実に向き合った。気づいたのが、「毎朝、コーディネートを考えることに苦痛を感じていた」という事実。気負わず安心できる、心地よい服を身に着けていたい。そんな本心に従って、毎日シャツとパンツで過ごすことにした。おしゃれでも不便なポケットのないパンツや汚れが目立ちやすいブラウス、肌がチクチクするセーターなどを思い切って整理した。
すると、身支度の時間は大幅に短縮されたのに、「スタイルがあるね」と言われるように。「スタイルは作り込むものではない。その人らしさが表れているか、記憶に残るかということ」と話す。
「他人の視点」は不要だ。「大事なのは、どう見られたいかではなく、どうありたいか」と言う・・・

英会話、拙くても自分の言葉で自分の文化を話す

11月1日の日経新聞夕刊コラム「プロムナード」、新見隆・武蔵野美術大学教授「総合芸術の夢」に、次のようなことが書かれています。

イギリスのステンドグラス作家、ブライアン・クラークとの交遊についてです。クラーク氏が来日して、新見さんと展覧会をし、大企業の重役たちに高級レストランで接待されました。共通の話題がありません。社交的なクラーク氏は、くだらない冗談にも楽しそうに相づちを打って愉快そうです。

その夜、二人でバーに行ったら、次のように言われます。
「リュウちゃん、奴らのような、最低な英語を絶対に使っちゃ駄目だぜ。日本のビジネスマンは、だからバカにされる。お前さんは文化人だ。英語は人まねじゃない。拙くても何でも自分の言葉で自分の文化を話す。それが真の文化だ」

会社任せの職業人生

10月29日の日経新聞に「転職で年収増」最高の4割 求められる成果厳しく、降格や退職勧奨も」が載っていました。
・・・転職によって年収が1割以上増える人の割合が約4割と過去最高水準にある。人手不足やジョブ型雇用の広がりを背景に、働き手は転職に踏み切りやすくなっている。一方、外資系企業のように結果が出ない社員に降格や退職勧奨を実施する制度を国内企業の2割が導入する。人材流動化に伴い、日本の労働市場は変化している・・・

記事には、転職希望者が1000万人を超えたこと、正社員の転職率は7%を超えていることも書かれています。
他方で、思うような結果が出ないと給与が減ること。業務改善計画を会社とその社員とで話し合って作ること。それでも結果が出ないと、降格や勧奨退職があることも紹介されています。
社員の流動性の低さは、年収の差にも出ています。外資系企業の年収は部長職で1916万円で、日本企業の1408万円に比べ、4割上回っています。

世界11カ国の転職者を対象にした調査では、将来のキャリア形成のために実施していることはないという比率が、日本は30%、アメリカは2%、中国は3%です。他の国に比べても、日本だけが突出しています。
自分の職業人生を会社に任せていることが、現れています。

田中一村展

東京都美術館で開催中の「田中一村展」に行ってきました。
生前には評価されず、死後に見いだされた作家です。私は1980年代後半から5年間、鹿児島に勤務しました。奄美大島も何度か訪れたのですが、この作家と作品を知りませんでした。

今回の展覧会では、子どもから晩年までの画業をたどることができます。子どもの時から神童と呼ばれただけのことはあります。7歳や8歳で立派な絵を描いています。ただ、その技だけでは、上手な日本画家で終わったのでしょうね。
途中から画風が変わり、そして有名な奄美の植物や鳥を描いた絵になります。素晴らしいです。そして独創的です。アンリ・ルソーの熱帯の植物に通じるものがありますが、一村の絵は日本画を基礎としているだけに、一種の様式美があります。

もし、もっと早くこの画風ができていたら、世の中に認められたのではないでしょうか。

夫の海外赴任同行休職

10月2日の朝日新聞「記者から「駐夫」、見えた日本社会 「海外赴任同行休職制度」、元共同通信・小西一禎さんが経験を本に」から。

東京・永田町で、政治の最前線を追いかけていた政治記者が、妻の米国赴任に同行するため仕事を休み、2児を育てる主夫に――。元共同通信記者の小西一禎(かずよし)さん(52)は今年、そんな経験をベースに「妻に稼がれる夫のジレンマ」(ちくま新書)を出しました。「駐夫(ちゅうおっと)」になって見えた、日本男性や日本社会、企業の姿とは?

――永田町の政治記者から米国で主夫。なかなかの転身です。
妻の赴任先に同行し、2017年12月から3年3カ月、米国で暮らしました。当初から、妻は1人でも当時5歳と3歳の子どもを帯同する考えでした。自分はどうするのか。決断を迫られました。
「マッチョ・オブ・マッチョ」な永田町に身を置いて生きていました。ジェンダー平等意識も低く、「ジェンダー? 女性がやっていることね」というレベル。
悩んだのは自分のことです。「俺のキャリアどうなるんだ」と。自分勝手この上ないですよね。一方で、妻が1人で子ども2人を育てながら異国で働くことは非現実的に思えました。最終的に背中を押したのは社内の「配偶者海外赴任同行休職制度」です。キャリアは中断するけど、職場に戻ることはできる。そう考え、男性として初めて取得しました。

――周囲の反応は?
肯定的な意見を言ってくれたのは女性記者や大学の友達、後輩の男性ですね。一方、私が「粘土層」と呼ぶ、長時間労働を当たり前とする昭和な価値観を引きずる男性群からは「あいつ、終わったな」といった声を間接的に聞きました。

――米国で不安がなかったとは思えません。
妻に依存する生き方に不安がありました。根源は、私の中の「男は仕事」という価値観。キャリアを中断し、収入が断たれることは「男から降りた」という認識でした。
ふさぎ込みましたよ。渡米翌年の3月、首都ワシントンで働く他社の記者の姿を見て、10日ほど起き上がれなくなりました。一方で、長時間労働と引き換えに、家事育児を免除されることを当然視していた自分に気づきました。
気持ちの波は次第になだらかになりましたが、焦りや不満を妻にぶちまけたことはあります。帰国後の自分のキャリアも気になり、難しかったですね。

――18年、SNS上で「世界に広がる駐夫・主夫友の会」を立ち上げました。会員は180人近くになったそうですね。
現地で日本人の「パパ友」と飲み会をしても、途中からは仕事の話になる。当然、入れないんです。同じ思いをしている男性がいると思い、会を作りました。今、各地で駐夫たちがリアルで交流しています。まさに私が求めていたものです。