中国改革開放政策40年その2

中国改革開放政策40年」の続きです。
共産主義政治体制でありながら、市場経済に踏み切る。よく、こんな大胆なことができたものです。
毛沢東の下、大躍進政策で、膨大な数の餓死者を出しました。また、文化大革命では、大きな社会混乱を招きました。中国指導部にとって、社会を安定させ、共産党支配を維持するためにも、経済発展は不可欠だったのでしょう。
鄧小平の指導力と、経済発展を求めた共産党幹部や国民の支持があったからこそ、成功したのだと思います。隣に、日本という見本がありました。

鄧小平の政策転換は大成功でした。日本の10倍の人口があり、広大な面積を持つ国でです。しかも、共産主義に慣れ親しんだ国民に、市場経済に転換させたのですから。

私は、国有企業をどのように処理するのかが、気になっていました。1990年代に、国有企業の工場が閉鎖され、大量の失業者が出ました。しかし、なんとか次の職に就けたようです(国有企業改革)。ソ連などの共産主義廃止の際に、混乱があり、民営化に乗じて儲ける人とそうでない人が出ました。同じようなことが、起きたのでしょうね。

経済発展が続くと、民主化の要求が強くなるという説は、天安門事件で挫折しました。胡耀邦、趙紫陽の二人の総書記が失脚しなければ、違った道を歩んだでしょう。
経済活動の自由が認められたことは、日本の明治維新に似ています。しかし、明治維新は、制限付きですが政治的自由も認めました。
いまの中国は、戦前の日本より政治的自由は制限され、国民の行動もITの発達で監視されているようです。このような体制が、長く続くのか。そして、経済発展が今後とも続くのか。日本の経験は、ある程度のところで頭打ちになることを教えています。
この項続く