先日、「8月も終わりです」と、書きました。なぜ、「いつの間に、8月が過ぎたのだ」と、いうような発想になるのか。思い当たりました。それは、最近、リズムに欠ける、あるいは節目の少ない仕事の仕方をしているからです。
皆さん、今年の夏は、何をしましたか。いくつかの出来事や成果を、挙げることができるでしょう。では、手帳を見てください。手帳に、それは書いてありますか。
私が指摘したいのは、そのことです。毎日の予定は、手帳に書いてあります。「何時から会議」「何時から、誰某と会う」とか。でも、1か月かけて仕上げた仕事は、手帳には出てきません。毎日の事件を書き連ねても、1か月や1年の成果はわからないのです。
私は、若いときから、このことを不思議に思っていました。「これだ」と思いあたったのは、フェルナン・ブローデルを知ったときです。拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」p256「時間の枠組み」をお読みください。
小さな時間の出来事を書き連ねても、その夏の、あるいはその年の成果はわかりません。もっと、中長期的な視点が必要なのです。そして「連続して流れる時間」に、「節目」をつくる必要があります。日記では、この夏の成果や、今年の成果はわかりません。そして、毎日の忙しさと、1か月間の成果とは比例しません。また、1か月後の満足感とも比例しません。
例えば、総理の毎日の日程が、新聞に載ります。でも、それを書き連ねても、総理の業績は出てきません。さらに言うと、何をしなかったかも、わかりません。
社会人や組織では、「今年の夏に、なすべきこと」「今年中に、成し遂げるべきこと」といった「目標」を、自ら設定しなければなりません。そして、9月になったら、どこまでできたかを、評価すべきです。小学校の時は、目標設定と達成度評価は、先生と両親がしてくれました。社会人になったら、自分でするか、上司がする必要があるのです。