カテゴリーアーカイブ:このページの歴史

復興の立ち上がり時期

2015年10月15日   岡本全勝

毎日新聞連載、五百旗頭真先生の「大災害の時代」、10月15日は、「復興構想と政治 「ねじれ国会」重い構造に」でした。復興基本法が与野党(当時は民主党政権)の意見対立で成立が遅れた。関東大震災モデルと、阪神・淡路大震災モデルの対立とだと、五百旗頭先生は表現しておられます。その協議の結果、復興庁の設立が盛り込まれました。先生は次のようにも、書いておられます。
・・・復興庁という一元的機関は結論的に言って悪くない選択だった・・・
私はこのあと、復興対策本部で、復興構想会議の提言を実行する役割を担うことになりました。
・・・とまれ、遅れて6月24日に施行された復興基本法は、翌日答申される復興構想会議の提言に公的地位を与えた。それは霞が関の行政機関によって、7月29日に「復興の基本方針」という政策文書に落とし込まれた。実質的に官僚の作文である場合はともかく、有識者が主張をぶつけ合って作られた審議会の答申が、そのまま政府の政策となるのはまれである・・
その閣議決定の準備をしている、7月29日19時15分の職場(復興対策本部事務局)を、職員が写真で残してくれました。
このほか、先生の文章には、高台移転を全額国費で負担することについての驚きも、書かれています。原文をお読みください。しばらくの間は、インターネットで紙面の形で読むことができます。「無料キャンペーン」オピニオンのページ、拡大してお読みください。

災害時のヘリコプター運用

2015年10月12日   岡本全勝

10月10日の読売新聞に、関東・東北豪雨特集で、ヘリコプターによる救助が紹介されていました。3日間で、887人が救助されました。大変な数です。自衛隊(陸、海、空)が31機で450人、消防(6隊)が7機で197人、警察(8隊)が12機で157人、海上保安庁が5機で83人です。
この記事では、初日の9月10日には救助要請が殺到し、さらに現地が水没したことで場所がわからなくなり、混乱したそうです。10日夜の県の災対本部で、4機関で地域を分担することが決まりました。狭い地域にたくさんのヘリが飛び交い、すべてのヘリを統制することより、この方が合理的でした。
活動は、どんどん進化します。ぜひ、原文をお読みください。

復興庁の仕事

2015年10月10日   岡本全勝

昨日、副大臣と政務官が決まりました。復興庁では、今日は土曜日ですが、大臣、副大臣、政務官と事務方幹部が出勤し、幹部会を開きました。副大臣と政務官の担務を決め、大臣から指示をいただきました。その後、大臣は岩手県知事との意見交換に出発。

集団移転跡地

2015年10月9日   岡本全勝

読売新聞10月9日の1面で、防災集団移転跡地が未利用のままであることを、大きく伝えていました。「被災3県で集団移転の跡地活用策、65%が未定」。
津波被害を受けた土地は、再度、津波が来る恐れがあること、また地殻変動で1メートル近くも沈下しているので、そこに街を再建することは危険です。よって、高台に移転したり、土地をかさ上げしています。高台に移転した跡地は、住居を建てることを禁止します。ただし、堤防などで守られたら、工場などの建設は可能です。夜寝るかどうかが、その違いです。昼なら逃げることは簡単ですが、寝ているところを津波が襲ったら、逃げ遅れてしまいます。
さて、高台に移転した跡地をどうするか。記事にもあるように、まだ多くの地域で、計画ができていません。理由は簡単です、まずは高台での住宅建設を急いでいるからです。役場職員の仕事の優先順位を考えても、工事関係者の投入を考えても、住宅を優先して、跡地は後で考えることにしています。