カテゴリー別アーカイブ: 肝冷斎主人

中国古典に興味を持っていて「肝冷斎主人」と名乗っています。彼も元私の部下です。著作の一部を載せます。絵も彼の作です。長編がいくつもあるのですが、HPには不向きなので、短編を載せます。画像の処理は、渡邊IT技官・清重IT技官の協力を得ています。
肝冷斎は、自らHP「肝冷斎雑志へようこそ」を立ち上げました。ご覧ください。

地仙ちゃんの楽器

地仙ちゃんの楽器
 地仙ちゃんがおウチの庭で熱心に笛のようなモノを吹いています。先生は、何をしているのか興味を持ってしまって覗き込みました。
「あるトコロでこの楽器を手に入れたので鳴らちているの。これを吹くとニョロが踊りだちてオモチロいの」
「ほう。それはオカリナだな。ニョロは地面の振動を敏感に感じ取るチカラを持っているから、空気中の一定の音波の振動に反応してもおかしくはないね。
 オカリナはチュウゴクでは「ケン」と呼ばれる。紀元前四千年ぐらいのヤンシャオ文化の遺跡からも発掘されている古い楽器だ。
①に示したのが「ケン」を現す文字。アもイも左側は素材の「土」。アの右側は「員」だ。員はおカネでもある貝を集めて数える、というような意味だが、「圓」(「円」の本字)という字もあるように、「丸い」という意味もあって、アは「アヒルやニワトリの卵のごとし」というケンの形態を指している。イの右側は「燻す」(いぶす)の右側と同じ(これは古代の食生活の一端を現すオモチロい字だが、今回は説明省略)。粘土を焼く、というオカリナの作り方を示した文字だな」
「ツチでできているの? じゃあ、地仙ちゃんの楽器?」
 地仙ちゃんのメが輝きました。
「チュウゴクでは楽器の素材を八種類に分類する(「八音」)。その中にツチがあって、その代表がケンとされている。その音は「キョウ」というそうだ(参考の文字参照)。ということで「大地の精霊」地仙ちゃんの楽器と言ってもおかしくないね。
 土の楽器にはケンのほか、②の缶(フ)がある。胴体がドラム缶みたいになっていて口のすぼまった土器で、食器でもあるが「秦の地方のひとはこれを楽器として使って歌の節をとるのに使う」(説文解字)らしい。ちなみに、今「ドラム缶」と言ったけど、これは器の一種を指す「罐」(カン)という文字の変わりに「缶」を借用しているのだよ。
 『荘子』の中に、荘子のヨメがチんだときに荘子がツチ楽器を叩いて歌っていて、友人から不謹慎だと叱られる話がある。荘子は「妻は大宇宙という家に帰っただけ。悲しんだりするのは、ナニも知らないオロカモノだ」と理屈をコネるが、ホントはホントにウレしかったのじゃないかなあ、と疑っているのだが・・・」
 そこへ半ベソになったムスコを連れて陳さんの奥さんがやってきて怒鳴りました。
「地仙、うちのボクから奪い取ったオカリナを返しなさいザマスっ」
「ダ~メ。これはツチでできてるから地仙ちゃんの楽器だとセンセイにも認められたの」と地仙ちゃんが言います。「どういうことザマスかっ」と攻撃は先生に移りました。
「地仙ちゃん、さっきの発言は素材に着目したモノで、ニンゲンには所有権という概念があるんだ。返してあげなさいっ」
と先生は青くなりながら地仙ちゃんを叱りますが、地仙ちゃんは返しません。先生は取り上げようとしますが、相手は強いオンナのコ。互角です。・・・もみ合っているうちに、オカリナは二人の手から滑り落ちて地面に落ちて、「ぱりん」と壊れてしまいました。
「うひゃあ」「あーあ、コロちてちまいまちたね」
 陳さんのムスコはついに泣き出しました。陳さんの奥さんは、
「なんてことを・・・。こうなったら何としてもおマエたちを追い出してやるザマスっ」と激怒しながらムスコを連れて帰って行きます。エラいことになってきました。

象形文字「チセンチャン」

象形文字「チセンチャン」
「センセイ、地仙ちゃんの文字ができまちたよ~、ほらほら」
と突然地仙ちゃんが呼びかけてきます。
「ナニができたんだって・・・」
 先生はメンドウくさそうです。春先でぽかぽかしているので反応が鈍いのです。地仙ちゃんは○とか□で作られたヘンな図形が書かれている紙を嬉しそうに見せてくれました。
「はあ・・・。で、このナニはなんと読むの?」
「チセンチャン、と読んで、カワイイとかニンキモノとかいう意味なの。どうかちら?」
「どうかしら、と言われてもねえ。文字というなら、その文字の音価と伝達する意味について、少なくともそれを用いるひとびとの合意が必要だからねえ・・・。まあ、そのナニは「地仙ちゃん」を表しているようには見えるので、字前記号の一種というべきかな」
「ジゼンキゴー? なに、ちょれ? 食べるモノ?」
「文字ができる前に、特定の意味を持たせて使われた記号のことだよ。文字ができる以前の情報伝達方式として、縄の結び方や石の置き方に一定の意味を持たせることがある。「太古の民は縄を結んで文字の代わりにしていた」と『周易・繋辞伝』にも書かれている。
そういう遙かな過去のことをよく覚えていたもんだね。・・・そのような文字以前の伝達方式の一種として「字前記号」というのがあるんだ。神の像に刻み込んで「なになにの神様」という意味を持たせた神名記号や土器や青銅器に刻み込んで「なになに族の持ち物」という意味を示す族符記号などのマークだね。「物」(ブツ)という文字はもともとこう いう記号のことを指したという説もある。
 最近は考古学的な立場から、「井」「良」「舌」などこれまで象形文字と考えられていた字の多くが実は「字前記号」からできたんじゃないか、という説も出されている。
 ①はその典型例の一つである「亜」(ア。「次順位」というような意味)という文字。 十字架みたいだね。通説ではひとの背中が曲がっている様の象形、というのだが少しムリ だ。ある説によればこれは「お墓の石室の象形」だとされていて、死者の祭儀を掌るひとを指すことになり、そういうひとが軍隊にもいたので、「にくむ」という意味を生じ、「悪」という文字を構成した、という。
 この説も大変オモチロいが、②の図形を見てほしい。これは「亜字形図象」と言われるモノ。大昔の青銅器などに人の名前を示すものとしてたくさん描かれている。「亜」に当たる図形が特定の一族を示していて、その中に書いてある記号がさらにその一族の中の個人を指しているのだ、というのが字前記号の方の考え方だ。この「亜」族が古代王朝で占めていた地位を想像すれば、「次順位」という意味や軍隊における地位を示す理由も説明できる。オハカの象形という説とも矛盾はしないね。
 ついでに、「卍」(マン、「すばすちか」)は仏教が使っていた生成を意味するマ-クからできた文字とされているが、チュウゴクでは仏教伝来の何千年も前からこのマ-クが神像などに使われている。何かが生まれてくる場所、ということについて人類共通の図像イメ-ジがあるのかも知れないね。・・・このヘンはユング心理学の世界になってくるけ ど、漢字という文字は古代のひとの使っていたモノがそのまま今も使われているので、形を見るだけで一定の感情を換起する力があると言われるんだよ」
「チセンチャンも形を見るだけでカワイイ・ニンキモノってわかるでちょ」
と地仙ちゃんは誇らしげに言っています。

 

地仙ちゃん登場

歌仙ちゃん登場の巻
 いずれの時代のことでありましょうか。春のたけなわのことでした。橘の麻呂はぽかぽかとする陽気に誘われてサクラの木の下まで散歩してまいりました。もうサクラの花は風の吹くにまかせて雪のように散り始めています。
 麻呂はサクラの花を見上げて、
「ああ、散るのだなあ・・・。えーと・・・散りぬるをサクラはいいなもろともに・・」と和歌を詠もうとしますが、なかなかいい句が出てきません。と、その時突然、どざざざーと見慣れないオンナのコがサクラの木から滑り落ちて来ました。  
「うわあ、ナニモノ?」
「あたちは和歌の精霊・歌仙ちゃんでちゅナリ」
 オンナのコは背中に自分と同じぐらいの大きさのフクロを背負っています。そのフクロを「よいちょ」と言いながら地面に下ろして、
「ニホンにはたくちゃんの和歌がありまちゅ。その時その時に合ったウタが必ずあるもの。ちゃあ、お引きなちゃいメレ」 とフクロの口を開きました。
 麻呂は言われるままにフクロの口に手を突っ込みます。中にはたくさんのカードのようなものが入っているようです。そのうちの一枚を引きました。
「こんなの出てきたけど・・・」麻呂はオンナのコにカードを渡そうとしました。しかし、オンナのコはクビを振ります。
「なりまちぇん。あたちは字が読めないの。オノレで読むナメリ」「はあ・・・」
 麻呂は仕方がないのでカードに書かれた文字を読みました。
 さくらばな ちりかいくもれ 老いらくのこむといふなるみちまがふがに(なりひら)と書かれています。
「ちゃあ、解説ちてンゲレ」
 解説までひとにさせるようです。
 
麻呂は説明しました。
「えー、この歌は確か古今集賀歌の中に選ばれている歌で、右大臣藤原基経の四十歳のお祝いに作ったもの。サクラの花吹雪に、老いることを擬人名詞化した「老いらく」が道に迷うようにすごく散ってください、と依頼している歌だね。
 パターン化した方が賀歌としてはメデタくていいような気がするが、この歌はかなり破格。サクラの花の向こうから不気味にやってくる「老いらく」の姿は、大昔には時季を定めて村を訪れたと折口信夫のいう「まれ人」あるいは「翁」といった来訪神を連想させ、ぞくぞくするような幻想的な情景だが、お祝いの席でこんなキモチ悪い歌うたわなくていいような気がする。
 「この幻想的な花吹雪が止んだら、「老いらく」が微笑みながらオマエを待っているであろう」と言っているようなもんじゃないかね。
 ちなみに作者の在原業平は色好みの代表みたいになっているけど、若いころはともかく中年以降武官として中将、さらに官房長官に当たる蔵人頭まで勤めた実務派官僚でもあり、兄行平の死後は在原一族の棟梁として政治的にも活躍している。おエラ方のお祝いの席にも出かけたのだろうね。ちょっとがっかりだね」
 歌仙ちゃんはうんうんとうなづいて、「よくできまちたでコソアリシカー」と言いました、と伝えられています。

ドンブリはドンブリに非ず

ドンブリはドンブリに非ず
 どーん、と青空に向けて花火が上がりました。いよいよ江南大食い大会の開始です。金陵の町の広場で行われるのです。
「えー、簡単なルールを申し上げます。今回は、ドンブリ大会です。各地区から推薦されてまいりました代表選手の方々に、ドンブリものを次々とお出ししますので、次々と食べていただきます。これ以上食べられない、という状態になったら申し出てください」
と主催者からルール説明がありました。
 先生とカミナリちゃんは食堂協会のひとの紹介で来賓席に座らせてもらいました。
 この来賓席からは、参加者が一望のもとに見渡せまして、食堂協会のひとによれば、いずれも江南では有名な大食いの者たちだそうです。こんなすごいメンバーをマエにして、地仙ちゃんとはいえ優勝できるのでしょうか。
 先生は早速カミナリちゃんに対して解説しています。
「ドンブリもの・・・がチュウゴクにあるわけではないのだが・・・。さて、ニホンでドンブリを示すのに「丼」という字を使うが、この字の古いカタチは①なんだ。

 で、このモジ、要するに今では「井」と書く字なんだよ。「丼」という字はチュウゴクでは「井」の別字で、読み方は「ドン」ではなくて「セイ」「ケイ」なんだ。
ニホンでも「ドンブリ」に使われるまではひとの苗字に使い、「いのぐち」と読んだりする。
 さて、「井」の字は、木で組まれた井桁の象形とされるが、「丼」の真中の点は、水ではない。これは古い時代の鉱業の実態を残す貴重なモジなんだよ。ここで井桁の真中から出てくるモノは、水ではなく、水銀の化合物だったんだ。
 水銀は「丹」(タン)という。水銀は万能薬とも考えられたので、「丹」という字は今でも「万金丹」「仁丹」のようにクスリを示すのに手広く使われている。
さて、「丹」の古いカタチ(②)を見てもらうと、①の「井」とほとんど変わらないことに気づいてもらえると思う。
 ところで、「井」字については、原始時代に「井田法」という土地制度があって、それを表したものだという伝統的な解釈がある。
「井田法」というのは、「井」の字の形に九等分された耕地を八家で共同で耕して、それぞれの九分の一の部分での収穫がそれぞれの家のモノになり、真中の九分の一の部分で収穫されたモノが公共のために使われるという土地制度だ。一部でそういう土地制度がなかったとも言い切れない(現時点では考古学的証拠はない)が、「井」の字がそういう土地制度を表したというのはムリだな・・・」
「ピリリ~・・・」
 カミナリちゃんは困っています。地仙ちゃんは先生の説明がオモシロクなくても、自分の興味のあるところだけ聞いているだけなのでいいのですが、カミナリちゃんは「地仙ちゃんの居候」という身分なので、立場が弱いのです。そのため先生の説明を全部オトナしく聞いてあげないといけないので、退屈だし理解できなくて困っているようです。
「では大会の開始でありまーす」
 どん、どん、と花火が鳴りまして、ドンブリもの大会の開始です。
 牛丼、玉子丼、カツ丼、親子丼、他人丼、中華丼、天津丼、カレー丼などドンブリものが次々と出されてくるのです。それもどのドンブリも大盛りです。
しかしさすがは豪の者たち、次々と出されるドンブリを苦も無く平らげて行きます・・・。

地仙ちゃんのタノシミ

地仙ちゃんのタノシミ
 さて、明日はいよいよ金陵の町に入ります。
 食堂協会のひとの作戦で、「江南大食い大会」には当日、大会直前に到着するようにしたのです。地仙ちゃんはどこでメシを食べても大食いで目立ってしまうので、前日までに町に入ってしまうと秘密兵器にならないからですね。
「地仙さま、どうか今晩はおラクにしてくださいませ」
 地仙ちゃんたち一行は食堂協会のひとにおカネを出してもらって、金陵の町の郊外の宿屋に着いてラクにすることになりました。
「センセイ~、ラクにするってなんなの~?」
と地仙ちゃんが尋ねます。
「ナニもしないでいるか、スキなことだけしていること・・・かなあ」
と先生がごろごろしながら教えてあげますと、地仙ちゃんはカミナリちゃんの近くに寄って行きまして、なんと突然カミナリちゃんのほっぺたをつねったのです。
「ピリピリ~」
 カミナリちゃんは泣き出しました。
「こらこら、地仙ちゃん、ナニするんだ、カミナリちゃんがかわいそうじゃないか」と先生は叱りましたが、
「ラクにしてスキなことしてみただけなの。カミナリちゃんをイジメるのスキなの」と地仙ちゃんは叱られてもなんとも思ってないふうです。
「イジメるのはスキなことでもやっちゃいけないのっ」
と先生はついつい大きな声で怒りました。
「ではナニだったらしてもいいの?」
「イジメること以外のスキなことすればいいんだよ」
 地仙ちゃんのスキなことはイジメることのほかは食べることと寝ることです。
「おナカいっぱいだし、まだおネムじゃないからスキなことができないの」
「う~ん、地仙ちゃんもナニもしない、ということを覚えないといけないね。無為にして有為の境涯を楽しむのはとてもタイセツなことなんだよ。
 参考までに、「楽」は①のように書く。さて、このモジはナニを象形しているんだろうか、特に上部の左右についているフリフリの部分(点線内)はなんだろうか。
この部分は「糸」という字に似ているので、「楽」は「弦楽器」を指しているんだという説もあるけど、ここはやっぱり、木の柄につけられた鈴のようなモノの象形、という説が一番わかりやすい。
この「鈴のようなモノ」を持って音を出しながら踊ると、神霊が喜んで降りてくる、という降神儀礼をイメージすると、「音楽」のガクと「快楽」のラクの二義を持っているこのモジの意味がはっきりすると思う。「ラク」なことは「音楽」なんだね。

 ちなみに「音」は②。「言」(③)とよく似ているだろう。
③は神様にささげるモジを入れたハコに針を刺したカタチだと以前説明したが、「音」はそのハコの中でナニかが動いている、その音がする、という姿だ。ココロを澄ませているとそういう音が聞こえることがあるのだろうね」
「ということは音楽をするとラクなのね」
 地仙ちゃんはがんがんと茶碗を叩いたりして音楽を鳴らして楽しんでいます。