カテゴリー別アーカイブ: 肝冷斎主人

中国古典に興味を持っていて「肝冷斎主人」と名乗っています。彼も元私の部下です。著作の一部を載せます。絵も彼の作です。長編がいくつもあるのですが、HPには不向きなので、短編を載せます。画像の処理は、渡邊IT技官・清重IT技官の協力を得ています。
肝冷斎は、自らHP「肝冷斎雑志へようこそ」を立ち上げました。ご覧ください。

チマキの秘密

「予定どおり行けばまた帰りに会うことになるのじゃなあ」
と船頭さんに送られて、先生と地仙ちゃんは湖の向こう側で少し大きな船に乗り換えました。
地仙ちゃんはお船が大きくなったので、「お船じゃぶじゃぶ~」とうれしそうです。
 先生は湖から長江に乗り出したので揺れが大きくなったからでしょう、船酔いです。
「センセイ~、お顔がどうちて青ざめているの?」
「う、うう・・・。キ、キモチがワルいんだよ・・・これではナニも食べられない」と言っています。
「地仙ちゃんはおナカがスイてきたの。コレでも食べちゃおうかちら」
と言いながら地仙ちゃんは船べりの木製の手すりにガブリとかじりつきまして、ガリガリと食いちぎって、むしゃむしゃ食べています。
「こらこら、そこのオンナのコ、手すりを食うんじゃない、そんなモノおいしいのか~」と船員さんが怒りました。
「うふふ。マズいでちゅ。でもおナカが減っていたので食べたの」
「おナカが減っているのか。それならしかたないね。端午節も近いから長江の神さまに捧げるために持ってきたチマキをひとつあげるので、これでも食ってガマンしなさい」
 船員さんは地仙ちゃんにチマキをくれました。
 包んであるササを開きますと、あんこ入りのおモチが出てきます。地仙ちゃんは、
「このクイモノはぶにょーんと延びるの。ナットウなの」と言いながらむしゃむしゃ食います。延びるモノは皆ナットウと考えているようです。
「うう・・・、ぐひー・・・、延びるのはモチゴメで作ったおモチだからだよ・・・。神さまに捧げるクイモノにはモチゴメを使う、という東アジアに共通した文化があり、その文化はナットウを食べる文化と多く重なっているという大問題があるのだけど、ナットウではない・・・。
それはそれとして、チマキは「粽子」と書く。この「粽」(ソウ)の字(①)には別字があって②のようにも書く。もともとチマキは、夏の始まりでムシムシしてくる端午の節句の際(太陽暦では六月上旬になる)、竹の筒にコメを詰めてオウチの葉で包み、色付の糸をかけて水に沈め、水の神さまに捧げるタベモノだったんだ。ちなみに、ニホンでははじめ茅(ちがや)の葉で巻いたので、チマキというようになった。
 この風習については、紀元前三世紀に政治の腐敗を憂えて投身ジサツした屈原というひとのお祭りが始まりで、クイモノが途中でワルい竜に奪われてしまわないようオウチの葉と色糸を付けて水に沈めたのだという伝説がある。屈原さんはともかく、おおむかしにイケニエのひととタベモノを水の神に捧げた古いキオクをとどめているのだろうね。
 ①②について、それぞれの米ヘンは穀物または穀物で作られたクイモノを示している。
①のツクリは先祖の位牌のある家を表す「宗」(マトメるという意味もある)、②のツクリは「足をちぢめる」という意味のソウという字だが、農業の神さまを表すショク・シュンという字(別途解説予定)に近いので、もともとは何かの神さまだろうと推測されている。やはり祭祀に使われたタベモノだということが、字のカタチからもうかがわれるね」
 地仙ちゃんは食べるのに夢中で解説はどうでもいいようです。

 

追い込まれた鬱々庵

追い込まれた鬱々庵
「うう・・・困った」
 先生が書斎から出てきて、おウチの庭で困っています。
「ナニ困っているの? おナカが空いたから?」
 地仙ちゃんが質問すると先生は答えました。
「この地域から引越しするために誰か引き取ってくれるひとがいないか知り合いに手紙を書いたのだが、みんなから「おコトワリだ」という返事が来たんだ。確かにみんな貧乏だから仕方ないけど・・・。あと返事が来ないのは兄弟子の肝冷斎先生だけになってしまった。あまりアテになるひとじゃないからあまりアテにできないんだ・・・うう、地域のひとたちからは早く引越ししろ、と言われているのだけどどうしたらいいのだろう・・・」
「あ、マズいの来まちた」
と地仙ちゃんが先生の後ろに隠れます。陳さんの奥さんがズカズカとやってきたのです。
「鬱々庵センセイ、お引越しの準備は進んでいますザマスこと?」
「げげ・・・い、いや、その、着々と・・・」
「早く出て行かないと法的手段に訴えるザマスよ。あのいまいましい地仙の顔を見なくていい日がくればウチのボクも明るくなるにちがいないザマス」
と言って奥さんは行ってしまいました。
「ち、地仙ちゃんを連れて行くのは不可能なんだけど・・・」
といなくなった後で先生が一人で言い訳をしていますと、
「チン、行っちゃいまちた?」
 地仙ちゃんが床下から出てきました。いつの間にか床下に隠れていたようです。
「とりあえず行っちゃったけど、これは困ったなあ」
「ねーねー」
 地仙ちゃんは何か興味のあることが出てきたみたいです。
「カンレイサイ、てナニ? それもセンセイなの? ヘンなモノ食べたりちゅる?」
「肝冷斎先生のこと? むかし同じ先生に教えを受けた兄弟弟子だ。ヘンなものとは思わないけど、肝冷斎先生も「ソ-スご飯」とか「チャ-ハン・ライス」とかは大好きだな。
 ①が「変」という字。もともとは二本の縒られた「糸」の間に「言」(ハリを刺したハコ)があり、それを下から手で持った棒で打つ、という文字なんだ。「ハリを刺したハコ」には誓いのコトバが入っている。
 「糸」はこれを霊的に守るための飾りらしいが、もしかしたら文字ができる前の記録方法の一つである『結縄』(縄の結び方で意味を伝える方法)の記憶も残っているのかも知れない。
 「変」はそういう「大事な誓い」を棒で打ってコワシてしまって、これまでの約束事を変えてしまう、という意味。フツウでない、という意味で使うけど、「ソ-スご飯」や「チャ-ハン・ライス」はフツウだよ。
 同じ二本の糸と「言」の下に「心」を付けると②「恋」になる。これを『大切な誓いを守るココロ』とかロマンチックに考えては行けないよ。「糸」を「一方に引っ張ること」を指す「攣」(レン)という字と同じで、「ココロが一方に引っ張られること」を意味しているだけだよ」
「やっぱりカンレイサイもヘンなもの食べるセンセイなのね。オモチロそう」
 地仙ちゃんの肝冷斎への興味はさらに強くなってきたようです。

清明節

清明節
 いいお天気なので地仙ちゃんは朝からおウチの外にアチョビに出かけたのですが、そのうち大慌てで帰ってきました。
「センセイ~、この村からコドモがいなくなってちまいまちた~。ドコのおウチもお留守なの。みんな食べられちゃったの? センセイが食べたの?」
 先生は庭先で日向ぼっこをしていました。荷物の片付けは終わっているみたいで、あちこちに出したお手紙の返事を待っているらしく最近は何もしていません。ヒマそうです。
「食べてないよ。今は清明節だから何処のおウチも家族でお墓参りに行っているんだ」
「おハカマイリ? お骨をゴチゴチしに行っている(「フンベツする」の章参照)の?」
「それは大昔の葬法だ。今はそんなことしていないから、家ごとに立派なお墓があって、三月下旬の『清明節』の季節に家族でお弁当とかを持ってお参りに行くんだよ。ちょうど草が青々と育ってくる季節でもあるから、『踏青節』とも言うんだ」
「へー。センセイは行かないの? ご先祖さまみんな食べちゃったからお墓ないの?」
 先生は眉を顰めました。
「わたしは客遇と言って先祖のお墓のある地方(本貫という)から離れて暮らしている身分だから、お参りに行けないだけ。・・・地仙ちゃんは最近クイモノのことばかり言っているね・・・。そうだな、今日はヒマだからお墓のある郊外に行って買い食いしにいこうか。おワカレも近い予定だし・・・」
「カイグイ? 行く行く~」
 郊外の霊園に行くとたくさんひとが出歩いていて、一族ごとにあちこちに敷物を広げて野外宴会を開いています。春の行楽を兼ねて一族の結束を確かめるためのピクニックなわけです。オンナのひとがこの季節の青々とした若草を踏むと豊穣のチカラを身につけられる、とも言われるので、オンナのひとがたくさん来ています。「むかしの良家のオンナのひとはあまり外出の機会がなかったが、『踏青節』の時に外出を許されて、この時出会った若い男女が恋に陥ったりして親とケンカしてジサツする」という筋のおハナシがたくさんありますが、実はむかしの良家のお嬢さんもかなり外出の機会はあったので、あまり同情する必要はないようです。
「お墓という字は「莫」と「土」から成っている。
 ①は「莫」(バク・ボ)という字で、草の中に日が没する姿を現しており、草原放牧を知っていた古代のひとにとっては見慣れた光景だったのだろうね。
 ②の「墓」は土の中の暗い世界を意味するらしい。後に「莫」は「・・・なかれ」という助詞に使われるようになったので、日没を示すためにもう一つ「日」を加えて「暮」という字が作られた。「莫」と「暮」のような関係にある文字を「古今字」といい、漢字の成立過程を探る重要な概念なんだ。
 「莫」を含む文字には他にも、「募」「模」「漠」「貘」「謨」など、いずれもバクゼンとして先が見えない、そのような中で探る、という「莫」の意味を前提としている。
 ちなみに「恋慕う」という意味で使う③の「慕」という字は、もともとは「ハカリゴトをする」「悪企みをする」という意味だったのだよ。何かユカイだね」
 先生は何故ユカイなのでしょうね。
「センセイ、そんなコト言っているウチに日が暮れてちまいまちゅよ。早くカイグイ~」
 地仙ちゃんは早くカイグイの屋台めぐりをしたくてたまらないようです。

フンベツする

フンベツする
 地仙ちゃんは、巣穴の前でニョロのシッポを掴んで振り回すという危険なあちょびをしていました。たまたま表に出てきた先生がびっくりして止めさせようとします。
「ち、地仙ちゃん、それはちょっと危険だよ。ニョロがチんじゃうかも知れないよ」
「ニョロはなかなかチなないの。チにそうでも時々皮を脱いで元気になっちゃうの」 と地仙ちゃんは言い訳をします。
「確かにニョロは脱皮を繰り返すので若返りの象徴ではあるけど、チんじゃったらもう生き返らないんだよ」
「ふうん、ちょうなの・・・。ところでセンセイ、ナゼ荷物をまとめているの?」
 そうなのです。先生は部屋にあったモノを箱に入れて、荷造りをしているのです。
「いや、言いにくいんだけど、ちょっとお別れすることになるかも知れないんだ・・・」と先生は言いにくそうに言いました。
「「別」するの? フンベツ? お部屋の中のキタナいガラクタを捨てるのね」
「何言っているんだ、大切な骨董品や書籍ばかりだから捨てるハズないじゃないか」
 先生はガラクタと言われてかなりムっとしています。すごく大切なもののようです。
「せっかくだから、少し説明しておくと、①は「別」という字。骨からニクをそぎ落す、 という意味の文字だ。それだけ聞けば料理のときの話かと思うかも知れないけど、左側は 『一部崩れたニンゲンの上半身の骨格』をさす。矢印で示したように、昔はドクロちゃん と同じ字だったんだよ。だから、ニンゲンの骨に関わる文字なんだ。右側は「刀」。
 実はこの字は大昔の葬儀の方法にからんでいる。大昔はひとがチんじゃうとまずは草原とか山中とかあるいは特別な小屋などに葬り、死体を風化させて、その後、残った骨だけを他のところに移しておマツリする「複葬」という方法がとられていて、「別」はこの「複葬」で骨を移す際に骨に残った肉をごしごし落すことを示す文字なんだ。この「複葬」 という方法は、カンコクやリュウキュウでは近代まで残るし、ニホン本土でも古代には行われていた。チュウゴクでも周の時代の終わりごろの『列子』という書物に「南方の蛮風」として紹介されているが、殷の時代には黄河流域でも行っていたんだ。
 さて、ニホンの古代の例などでは移骨のすんだ後は「故○○さん」ではなくて「祖霊」 という一般化された神格の中に入ってしまう。大昔のニンゲンにとって、骨と肉を別ける、という儀式は精神的にもそのひととおワカレするということだったのだよ。
 ②は「分」。この字は何かを刀で割いている姿。上部の「八」は数字を意味する前は二 つに分けられたナニかを示していて、このナニか、は犠牲の肉である、という説がある。
③の「半」にも「八」が入っているが、「半」は半分にされた犠牲(牛か羊の一部と思われる)の姿の象形なので、確かに「八」は割かれた肉だろうね。でも、「別」と違って、「分」や「半」のニクはニンゲンのニクでなくてもいいみたいだ。・・・くれぐれもマネ しないように。ニョロで試してみようなんて思っちゃいけないよ」
 すると、地仙ちゃんが聞きました。
「センセイ、おワカレするかもちれないということは、チんじゃうということ?」
「いや、チんじゃうというわけではないんだけど・・・いつかはチぬけどね・・・」
 地仙ちゃんは何だかぶす-っとしています。もし先生がいなくなると遊んでくれるオトナがいなくなってしまうから、困ってしまうみたいです。

カゼが吹く

カゼが吹く
 びびゅううん、とすごい風が吹いてきました。
「ちゅごい風でちゅね。風使いの精霊・風仙ちゃんは気まぐれでちゅからね。でも昨日までと違って風が湿っていてあったかいの。吹く方向も違うみたい」 と庭先にいる地仙ちゃんは帽子を押えながら大声で言いました。
 しかし、誰も答えません。先生は地域のひとたちと話し合いをしてから、あちこちに手紙を書いたり、書籍とか骨董品の類のガラクタ(先生の宝物らしいです)を箱詰めするのに忙しいみたいで、書斎の中にこもったままです。何をしているのでしょうか。
 地仙ちゃんは春一番に吹かれて、ごろんごろん転がったりしてひとりで遊んでいましたが、そのうち飽きてきたみたいです。書斎の窓をどんどんと叩いて、
「センセイ~、ナニちてるの? あちょんで~」と言いました。
 しばらく経ってから先生が顔を出します。
「わたしは今いろいろと忙しいんだよ。荷物を取りまとめなきゃいけないのでね・・・。それに、今日は春一番で風が強いからオモテに出たくないし・・・。春一番は外国語の直訳だが、温帯モンスーン地帯にあるチュウゴク江南地方では四十五日ごとに風の向きがかわるとされていて、三百六十五÷四十五=約八になるので、一年で八方向から風が吹き、方向ごとに名前がついていて「八風」という。これによれば冬至から四十五日経つと東の風(明庶風)、九十日経つと東南の風(清明風)が吹くとされる。
 で、①②はともに「風」という字。
 そもそも漢字の基を作った殷の国は、鳥を始祖(史記では「ツバメ」)としていて、その鳥は天上にいる「帝」が姿を変えたもの、と考えていた。鳥トーテムだね。で、その鳥が羽ばたくと風が吹くのだという。だから、「風」の古い字は点線内のように冠のある鳥の形で表されていた。この字形をそのまま引き継いでいるのが「鳳」だが、これについては別に述べたい。・・・ということで、風は「神鳥」の象形が元になった字なのだよ。
 さて、殷から周にかけて、大地の四方・八方にも神鳥がいて、ある方向から風が吹いてくるのはその方向の神鳥が飛んできているからで、特定の風は特定の神鳥の性格を受けて土地やニンゲンの在り方に強い影響を与える、と考えられるようになった。こうして、「風」は、「風土」「風光」のようにその地方の地理的性格を規定するとともに、「風俗」のように民衆のならわしを決め、「風邪」のような流行病も運んでくることになった。また、ニンゲン関係の雰囲気を指すこともあり、おエラ方から「風化」が、シモジモからは「風刺」がなされる(「風」で軍隊の強弱も判断できた。「聖なる夜」の章参照)。
 さて、周の時代には王のもとに各諸侯国の民歌が集められた。その国がよく治まっているかどうかを知るには民衆の歌を聞くのが一番だという理由だけど、そのような民歌を「国風」といい、これを収集する役人を「風人」と言ったのだよ」
「へ-、風ニンゲンがいるの? 風ニンゲンも鳥だから焼いて食べちゃうの?」
「「風」の鳥は文字が生まれるずっと前から伝承される「太陽鳥」(イヌワシと推定されている。参考図参照)に淵源があると思われるので、熱には強いんじゃないかな。・・・でもこのハナシをし始めると太陽の中に住む「三本足のカラス」のハナシまでしないといけなくなるので今回はここまでにしよう・・・次回がいつかは知らないけどね・・・」
と先生は言ってますよ。