清明節

清明節
 いいお天気なので地仙ちゃんは朝からおウチの外にアチョビに出かけたのですが、そのうち大慌てで帰ってきました。
「センセイ~、この村からコドモがいなくなってちまいまちた~。ドコのおウチもお留守なの。みんな食べられちゃったの? センセイが食べたの?」
 先生は庭先で日向ぼっこをしていました。荷物の片付けは終わっているみたいで、あちこちに出したお手紙の返事を待っているらしく最近は何もしていません。ヒマそうです。
「食べてないよ。今は清明節だから何処のおウチも家族でお墓参りに行っているんだ」
「おハカマイリ? お骨をゴチゴチしに行っている(「フンベツする」の章参照)の?」
「それは大昔の葬法だ。今はそんなことしていないから、家ごとに立派なお墓があって、三月下旬の『清明節』の季節に家族でお弁当とかを持ってお参りに行くんだよ。ちょうど草が青々と育ってくる季節でもあるから、『踏青節』とも言うんだ」
「へー。センセイは行かないの? ご先祖さまみんな食べちゃったからお墓ないの?」
 先生は眉を顰めました。
「わたしは客遇と言って先祖のお墓のある地方(本貫という)から離れて暮らしている身分だから、お参りに行けないだけ。・・・地仙ちゃんは最近クイモノのことばかり言っているね・・・。そうだな、今日はヒマだからお墓のある郊外に行って買い食いしにいこうか。おワカレも近い予定だし・・・」
「カイグイ? 行く行く~」
 郊外の霊園に行くとたくさんひとが出歩いていて、一族ごとにあちこちに敷物を広げて野外宴会を開いています。春の行楽を兼ねて一族の結束を確かめるためのピクニックなわけです。オンナのひとがこの季節の青々とした若草を踏むと豊穣のチカラを身につけられる、とも言われるので、オンナのひとがたくさん来ています。「むかしの良家のオンナのひとはあまり外出の機会がなかったが、『踏青節』の時に外出を許されて、この時出会った若い男女が恋に陥ったりして親とケンカしてジサツする」という筋のおハナシがたくさんありますが、実はむかしの良家のお嬢さんもかなり外出の機会はあったので、あまり同情する必要はないようです。
「お墓という字は「莫」と「土」から成っている。
 ①は「莫」(バク・ボ)という字で、草の中に日が没する姿を現しており、草原放牧を知っていた古代のひとにとっては見慣れた光景だったのだろうね。
 ②の「墓」は土の中の暗い世界を意味するらしい。後に「莫」は「・・・なかれ」という助詞に使われるようになったので、日没を示すためにもう一つ「日」を加えて「暮」という字が作られた。「莫」と「暮」のような関係にある文字を「古今字」といい、漢字の成立過程を探る重要な概念なんだ。
 「莫」を含む文字には他にも、「募」「模」「漠」「貘」「謨」など、いずれもバクゼンとして先が見えない、そのような中で探る、という「莫」の意味を前提としている。
 ちなみに「恋慕う」という意味で使う③の「慕」という字は、もともとは「ハカリゴトをする」「悪企みをする」という意味だったのだよ。何かユカイだね」
 先生は何故ユカイなのでしょうね。
「センセイ、そんなコト言っているウチに日が暮れてちまいまちゅよ。早くカイグイ~」
 地仙ちゃんは早くカイグイの屋台めぐりをしたくてたまらないようです。