カテゴリーアーカイブ:行政

全国町村会100年

2021年12月5日   岡本全勝

全国町村会が創立100年を迎えました。機関誌「町村週報」が特集号を組んでいます。そこに、大森 彌・東京大学名誉教授の「全国町村会と外部研究者とのコラボレーション」、神野 直彦・東京大学名誉教授の「全国町村会100年の歩みへの讃歌」、生源寺 眞一・福島大学食農学類長・東京大学名誉教授の「町村とともに歩んで」が載っています。貴重な記録であり、考えることが多いです。ぜひお読みください。

生源寺先生の発言から。
・・・いささか荒っぽい話をお許し下さい。日欧の農村空間は、第1に自然の産業的利用の空間、典型的には農業や林業の空間であり、第2に非農家住民を含んだコミュニティを支える居住環境としての空間であり、さらに第3に外部からのアクセスが容易で人々がエンジョイできる自然空間、ヨーロッパ流に表現すればグリーンツーリズムの空間でもあります。このうち居住環境としての空間には、地域に密着した関連産業の立地も含まれると言ってよいでしょう。そして、このような空間利用の3つのディメンションが重なり合う構造が日欧の共通項だというわけです。 少し先走って申し上げるならば、人間社会の長い歴史を有する日本や西欧においては、未開発の空間は乏しく、3つの目的での利用を同一空間に重ねるしかなかったのです。
この点については、アメリカ中西部や豪州のような歴史の浅い地域との比較を通じて、なるほどと自分なりに得心した次第です・・・

・・・さらに荒っぽい話で恐縮ですが、農村を広くカバーする自治体、すなわち町や村の行政には農村空間の三重構造による特徴と苦労が伴っています。限られた空間を複数の目的に合理的に振り分けることが求められているからです。ときには、空間をある目的に活用することが隣接する別の目的の空間利用にマイナスに作用することもあるでしょう。難しい取組なのです。 「二兎を追う者は一兎をも得ず」とは古くからの言い伝えですが、産業空間、居住空間、アクセス空間の三兎を追って、高いレベルで三兎をバランスよく確保することが求められているわけです・・・

教員の慢性的長時間残業を変える

2021年11月29日   岡本全勝

11月29日から朝日新聞で、連載「いま先生は」が始まりました。第1回は「第1部・授業が仕事なのに:1 事務作業、追われる先生 休憩も授業準備もできない」です。
・・・「定額働かせ放題」とも言われる教員の長時間労働。その実態を伝える連載「いま先生は」を始めます。第1部では、本来の仕事である授業に注力できない現実を報告し、学校現場の働き方のこれからを考えます・・・

・・・神奈川県の公立小学校の職員室。夕闇が迫るなか、4年生の担任を務める30代男性教諭は、パソコンのキーボードをたたいていた。
放課後になってからずっと、机から離れられずにいる。運動会準備の打ち合わせ、予定表の印刷、時間割の修正……。出勤して11時間近くたつのに、休憩できていない。給食は数分でかきこんだ。帰宅の準備をしながら思う。「きょうも自分の仕事ができなかった」
仕事とは翌日の授業準備だ。一番大事なことをおろそかにしているうしろめたさを、常に感じている・・・

学校教員の慢性的長時間残業、かなり以前から指摘されています。でも、改善されていないようです。私に一つ提案があります。
文科省官僚、県教委職員、市町村教委職員、校長あるいは副校長の4人を一組として、10組ほどを世界各国の学校に1年~2年ほど派遣できないでしょうか。よその国の学校は、そんなに残業をしていないようです。日本と何が違うかを、見てきてほしいのです。

政と官の役割分担

2021年11月28日   岡本全勝

11月26日の日経新聞1面連載「ニッポンの統治 危機にすくむ5」は「本末転倒の政治主導 無気力と無責任の連鎖」でした。
・・・日本の政治主導に綻びが目立つ。細かな政策に固執し、国を揺るがす危機への判断は先送りする。
菅義偉内閣だった7月、政府が緊急事態宣言下で酒を出さないよう金融機関から飲食店への「働きかけ」を求める通知を出したのが典型例だ。
銀行が飲食店に圧力をかけるのは独占禁止法が禁じる「優越的地位の乱用」にあたりかねない。それを知りつつ発出した理由を担当の官僚に聞いた。
答えは「やらないと閣僚に怒られるから」。内容を和らげる提案はしたが、当時の西村康稔経済財政・再生相に「弱すぎる」と一蹴され、抵抗を諦めた。
通知は世論の反発で撤回された。この官僚は「政治不信を招き酒を出す店が増えてしまった」と通知を止めなかったのを悔やむ・・・

・・・戦後の経済成長を支えた官僚は1990年代、業界との癒着や不祥事で批判を受けた。その官僚のお膳立てに乗るだけの政治家のふがいなさも責められた。
冷戦終結やバブル崩壊後の変化に対応すべく官僚の情報を基に政治家が判断を下す政治主導の流れが生まれた。それ自体は間違った選択ではなかったはずだ。
ところが四半世紀たち、省庁幹部の人事を内閣人事局が握っても、閣僚は国会答弁を官僚に頼りがちだ。地元会合の挨拶文をつくらせる議員さえいる。こんな政治主導の下で発言権が弱まった官僚はやる気を失い、無責任がまん延する。
国のかじ取りを任されたはずの政治が思考を止め、将来ビジョンを描くはずの官僚は気概を失った。政治も官僚も動かない本末転倒な状況に日本はある・・・
・・・政治家が役人の知恵をくみ取り、責任は引き受ける土壌は失われて久しい。官とのあるべき役割分担を踏まえて政治主導を立て直さなければ、次の危機でも同じことが繰り返される・・・

日本の官僚、国際貢献

2021年11月24日   岡本全勝

11月24日の朝日新聞経済面「国際課税、新ルールへ:2 財務官僚主導、古城で改革議論」に、浅川雅嗣君の笑顔が出ていました。浅川君は、麻生太郎内閣で一緒に総理秘書官を務めました。「2011年1月27日の記事」「2014年1月29日の記事」。

・・・2011年10月。フランス・パリ郊外の古城・エルムノンビル城の一室にOECD(経済協力開発機構)の加盟各国の租税スペシャリストが集まった。会合を企画したのは当時、日本の財務省で副財務官だった浅川雅嗣氏(現アジア開発銀行総裁)だ。
浅川氏はこの年、アジア人として初のOECD租税委員会の議長となった。租税委の作業部会議長や日米租税条約の改正などを経験してきた国際税制の専門家としての手腕が評価されたものだった。

議長の任期は5年。会合は、任期中に取り組むことを腰を据えて話し合いたいと、浅川氏が合宿形式で開いたものだった。
ひときわ盛り上がったテーマが、多国籍企業が本社所在国でも事業を展開している他国でも納税から逃れる「二重非課税」問題だった。米国の参加メンバーが口火を切ると、「問題を放置しちゃいけない」「国際課税ルールを見直そうじゃないか」と盛り上がり、意気投合したという。
背景には2008年のリーマン・ショックの後遺症があった。危機に対応する巨額の経済対策で、各国とも財政が悪化。とくに欧州では、ギリシャなど一部の政府債務の問題が欧州全体の金融危機につながりかねないとの懸念が高まっていた。
浅川氏は「古城会合」での議論をもとに12年6月、OECD租税委を中心に多国籍企業の「課税逃れ」への対抗策を考える「BEPS(税源浸食と利益移転)プロジェクト」を立ち上げた・・・

アパルトヘイトの廃止

2021年11月23日   岡本全勝

デクラーク・元南アフリカ大統領が11月11日に亡くなったと、各紙が伝えています。11月12日の朝日新聞
・・・南アフリカのフレデリク・デクラーク元大統領が11日、西部ケープタウンの自宅で死去した。85歳だった・・・白人政権の最後の大統領として、アパルトヘイト(人種隔離)政策廃止へと導いた。民主化や改革路線の功績が認められ、故ネルソン・マンデラ氏とともに1993年にノーベル平和賞を受賞した・・・在任中は、27年に及ぶ獄中生活を続けていたマンデラ氏を釈放した。アパルトヘイト政策の廃止や、人種間の融和に努めた。朝日新聞の取材に「(アパルトヘイトを廃止しなければ)南アはさらに孤立を深め、武力対立で多くの人が命をなくし、経済は崩壊していただろう」と語っていた。さらに、南アが極秘に開発していた核兵器の廃棄も決めた。「共産主義の脅威が去り、南アが国際的地位を築くために(核兵器)保有は足手まといになった」と理由を述べた。
南アフリカでは94年に初の全人種参加選挙が実施され、マンデラ政権が誕生。デクラーク氏も副大統領に就いた・・・

13日付の松本仁一さんによる評伝には、次のように書かれています。
・・・4世紀にわたる少数白人支配をやめ、黒人勢力に権力を渡す決断をしたフレデリック・デクラークは、たまたま大統領の座についた政治家だっ・・・1989年、ボタが病で倒れ、大統領の座が回ってきた。「閣僚中の最古参だから」というだけの理由だった。
しかしそこから、歴史に残る大決断をする。アフリカ民族会議(ANC)の合法化、ネルソン・マンデラの釈放、アパルトヘイト廃止――。それまでだれもできなかったことを、2年の間に成し遂げたのである。
決断の契機になったのはマンデラとの極秘会談だった。政権についた直後の89年10月、終身刑で服役中のマンデラを大統領官邸に呼ぶ。その時の様子を、デクラークは私にこう語った。
「マンデラは、刑務所長が運転するBMWの後部座席で毛布をかぶって身を隠し、官邸の地下ガレージに乗り入れました。そこから大統領専用エレベーターで執務室に入ってきました。ずいぶん背の高い男だという印象でした」話を始めて、マンデラが頭のいい人間であることがすぐ分かった。この男だったら信頼できると感じたという。
80年代後半、黒人の暴動が各地で起きていた。南アは国際的な制裁の中で孤立し、社会は荒れた。国の将来を考えたら、権力の平和的移行しか道は残されていないと思っていた。
「アパルトヘイトは廃止しなければならない。それも小出しにではなく、ひとっ飛びにやらなければいけないと考えました」大統領である今ならそれができる。デクラークは、たまたま巡ってきたチャンスにすべてをかけた。
最大の懸念は、政権を渡した後、白人に対する暴力的報復が始まること、そして黒人政権が共産主義化することだった。マンデラに何度も念を押す。ANCの中には反対もあったが、マンデラが抑え込んだ。マンデラを信頼するしかないと腹を決めた。
決断が間違っていたらどうするか。国民への責任を考えると胃が痛くなり、眠れない夜もあったという。「結局、判断は正しかった。あの決断をしたのが自分であることを、私は誇りに思っています」・・・

平和裏に革命を起こしたのです。権力を持っている人たちが、歴史の流れを読んで、その権力を譲り渡す。なかなかできることではありません。