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経済

長期の景気拡大期、その実相

日本の景気は2012年12月以降、拡大局面が続いています。もう4年半を超えています。しかし、今ひとつ景気が良くなっている実感がわかないようです。
日経新聞経済教室9月19日は、小峰隆夫・大正大学教授が「堅調景気の実相 アベノミクス効果限定的」で、わかりやすい解説をしておられます。これまでの3回の景気拡大期を比較したグラフも、わかりやすいです。詳しくは、原文をお読みいただくとして。

・・・日本の景気は2012年12月以降、拡大局面が続いている。期間は既にバブル期(1986年12月~91年2月までの51カ月)を上回る。今年9月時点でも景気の基調は変わっていないので、景気拡大期間はいざなぎ景気(65年11月~70年7月までの57カ月)を上回り、戦後2番目に長くなっている(最長は02年2月~08年2月までの73カ月)。
政府はアベノミクスの成果として強調したいようだが、話はそれほど簡単ではない。本稿では、今回の長期景気拡大を巡り多くの人が抱く疑問について考える。すなわち(1)長期景気拡大にアベノミクスはどの程度寄与しているのか(2)景気拡大が長い割には実感が得られないのはなぜか(3)この長期拡大はいつまで続くのか――という3つの疑問だ・・・
・・・まず現在進行中の長期景気拡大を一本調子の景気拡大としてとらえるのではなく、3つの期間に分けて考えたほうがいい。12年12月から14年3月までの順調な拡大期(第1期)、14年4月から16年夏ごろまでの足踏みの時期(第2期)、16年夏以降現在に至る景気の再浮揚期(第3期)だ・・・
・・・ 第1に政策との関係では、第1期についてはアベノミクスによる異次元金融緩和、財政出動が景気を好転させた。だが第2期にはその効果は次第に薄れていった。そして第3期の景気拡大は輸出主導型であり、海外経済の安定化に助けられたものだったから、これをアベノミクスの成果と言うのには無理がある。
第2に景気拡大期間が長い割にはその実感が得られない一つの有力な背景は、第2期の準景気後退局面を含んでいるため、経済活動のレベルがそれほど高まっていないことにある。今回のCI上昇幅はバブル期や02年からの景気拡大期の半分から3分の1にすぎない・・・

NHKでは、「回復を実感できない」という声に対して、中間層の年収から分析しています。「いざなぎ超え データで探る中間層の実像」。

官民ファンドの成果と評価

8月6日の日経新聞が、「国のリスクマネー試練」という表題で、官民ファンドを取り上げていました。
官民ファンドは、国と民間が特定の目的のために資金を出し合って、融資を行う仕組みです。地域産業振興や、苦境の産業へのてこ入れ、ベンチャー企業育成などがあるようです。
この記事では、産業革新機構によるベンチャー投資が、扱った案件のうち8割で損失を出しているとのことです。もっとも、確実にもうけが出るなら、銀行などが融資するでしょうから、官民ファンドの出番はないでしょう。何をもって、成功・失敗と見るのか。難しいところです。
とはいえ、国の予算(税金でなく投融資)ですから、国民への説明責任はあります。設立時に、一定の指標を設定しておくのが、よいのでしょうか。

また、関連記事「官民14ファンド乱立 予算消化優先、収益二の次」で、官民ファンドが14あることが紹介されています。これだけも設立されているのですね。
政府にも、「官民ファンドの活用推進に関する関係閣僚会議」があります。

政治と行政では、「何をする」と表明することも重要ですが、「その結果どれだけの成果が出た」ということも重要です。そしてそれを検証することも。「爬虫類行政」と「ほ乳類行政」の違いです。

アジア通貨危機から20年

1997年にアジア通貨危機が発生してから、20年になります。7月3日の日経新聞が、特集を組んでいました。発端、連鎖と、危機が発生し広がった経緯を紹介するとともに、その際に関係者はどのように対応したか、何が失敗で何を学んだかを、証言の形で紹介しています。

もう20年にもなるのですね。しかし、専門家でないと、これらの全体像や概要を知っている人は少ないでしょう。近過去のことを、このように解説してくれる新聞記事は、ありがたいです。

日米経済摩擦の歴史

4月14日の日経新聞の経済教室に、細川昌彦・中部大学特任教授が「日米経済対話の焦点 WTOの補強主眼に」を書いておられます。内容は、記事を読んでいただくとして。「世界の通商システムの変遷」という、日米間協議と多国間協議の年表がついています。
1981年からの日米間の経済摩擦、自動車などの自主規制、半導体協定、構造協議など、若い人は知らないであろう衝突と克服の歴史が載っています。
もっとも、この年表だけでは、経緯や内容、その影響はわからないので、別途その解説が欲しいですね。

この歴史を見ると、製造業の競争力を失うアメリカに対し、日本が安くて優秀な労働力と優れた技術で攻め込む構図でした。しかし今や、日本を追いかけてきたアジア各国がかつての日本の立場にあり、日本は当時のアメリカのように守勢に立っています。
さて、このあと日本の産業は、どのような道を歩むのか。今までの路線は続かないこと、アメリカのまねは難しいことは明白です。第三の道を探さなければなりません。

経済成長の軌跡

この表は古く、別に新しい図表があります(2021年9月24日)。

(日本の経済成長と税収)
戦後日本の社会・政治・行政を規定した要素の一つが、経済成長であり、その上がりである税収です。この表は、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」p125に載せたものを更新したものです。
次の4期に分けてあります。すなわち、「高度経済成長期」「安定成長期」「バブル崩壊後(失われた20年)」、そして「復活を遂げつつある現在」です。
1955(昭和30)年は、戦後復興が終わり、高度経済成長が始まった年。1973(昭和48)年は、第1次石油危機がおき、高度成長が終わった年。1991(平成3)年は、バブルがはじけた年です。第2期は「安定成長期」と名付けましたが、この間には石油危機による成長低下とバブル期が含まれています。2012年が区切りになるかどうか。それは、しばらく見てみないと分かりません。ひとまずの仮置きです。


高度経済成長が、いかにすごかったかがわかります。年率15%の成長は、3年で1.5倍、5年で2倍以上になるという早さです。池田総理が「所得倍増論」を唱えました。それは「10年で所得を倍にする」というものでした。名目値では、5年で倍になりました(もちろん物価上昇があったので実質価値では違います)。

税収も同じように伸びていますが、実はこの間に毎年のように減税をしました。累進課税なので、減税をしなければ、もっと激しく伸びたと予想されます。石油ショック後も結構な成長を続けたこと。バブル後はそれが止まったことも。
そして、参考(65歳以上人口)に示したように、高度経済成長期は日本が「若く」、社会保障支出も少なくてすみました。当時ヨーロッパ各国は、すでに10%を超えていました。現在ではヨーロッパ各国を追い抜いて、世界一の高齢国になっています。人口の増加率も、もう一つの要因でしょう。2004年をピークに減少し始めました。
なお、より細かい景気循環については、次のページを参照してください。
内閣府の景気基準日付 http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/150724hiduke.html
日本の30年 http://www.geocities.jp/sundayvoyager/index.html

(GDPの軌跡と諸外国比較)
次は、日本、アメリカ、韓国、中国の4か国のGDPの軌跡です。「新地方自治入門」p6の図表「日本の国民一人当たりGDPの軌跡と諸外国の比較」を更新したものです。この図は、縦軸が対数目盛になっています。一つ上は2倍でなく10倍です。等間隔目盛にすると、とんでもない急カーブになります(縦に100枚つないだ状態を想像してください)。
これを見ると、かつてなぜ日本が一人勝ちできたのか、そして近年そうでなくなったかが、わかります。上に掲げた、日本の経済成長の数字だけでは見えないものが見えてきます。2018年12月23日に図を更新しました。今回も、小黒桂君の助けを借りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらの図表は、昔から使っていたものです。なかなかの優れものです。日本の社会と行政を規定する経済要因を、2つの図表で示すことができます。

今回は、小黒桂君の助けを得ました。旧サイトの「戦後日本の経済成長と税収」のページ(引っ越しの際にリンクがうまく移行できなかったらしく、新しいサイトでは、一部の図表が出てきません。よって、ページを作り直しました)。