カテゴリーアーカイブ:政と官

政治主導・小泉改革

2006年12月19日   岡本全勝
政治主導、特に小泉政権の政策決定過程を分析する記事が、目につきます。一番整理されていたのが、16日の東京新聞「変わる政策決定」での、西尾勝教授のインタビュー「党主導で政府と連結、小泉後も官僚支配には戻らぬ」です。
小泉政権の政策決定面からの評価については、
「小泉内閣以前は、官僚主導体制で、ほとんどの法案は各省庁で立案され、(利害対立する別の)省庁が事実上の拒否権を持つという仕組みだった。しかし、小泉首相は、内閣の大方針と位置づけたテーマを進めるため、省庁や与党の抵抗を突破する”バイパス”を開いた」。
「経済財政諮問会議・・で『骨太の方針』を決め、閣議決定までもっていき、内閣の方針にしてしまうルートをつくった。諮問会議には全閣僚は参加していないから、『省庁間折衝で合意しなければならない』というルールが外れたことになる」。
与党側との関係、族議員の抵抗については、
「小泉首相は、彼らを抵抗勢力と名付けた。そして、与党の事前審査を受けずに法案を国会に提出する手段を時折とった。これで与党の壁も突破した」
「21世紀臨調は・・、政治主導体制確立のため、政調会長を閣僚にも起用して政府・与党一元化を図るよう提言した。小泉首相は、それを受け入れなかったが、別の形で政府・与党の連結をやった。政調会長には自分の意向で動く中川秀直氏を据え、『偉大なるイエスマン』武部勤幹事長を続投させた。そして党の立場にいる人が、全体を取り仕切り、政府・与党を連結し始めた。政調会長が閣内にいるのに近い形を実現している」。
幹事長、政調会長が官僚機構への敵意を示しているという問に対しては、「三位一体改革、政府系金融機関の統廃合、公務員の給与引き下げや純減など、小泉首相の残りの任期で筋道をつけようという課題は、いずれも官僚機構を相手にしなければならない。最大の抵抗勢力は官僚ということだと思う」。
このような政治主導は、55年体制時に言われた政治主導とは異質ではないかという問に対しては、
「政治主導という言葉は、あいまいに受け止められることが多いが、本来は首相を中心にした内閣主導で、政治を動かすということだ。地元からの陳情あっせんを仲介する『政治家主導』とは違う。また戦後日本で続いてきたような、内閣入りしていない党幹部が勢力を振るう政府・与党二元体制での『与党主導』とも違う」。
小泉首相退陣後に、昔の姿に戻る可能性がないかとの問には、
「昔ながらの官僚主導体制に戻ることは考えられない。首相のリーダーシップに対する、国民の期待感が変わっている。リーダーシップがとれない首相では、選挙に勝てないということになってくるはずだ」。
いつもながら、鋭い指摘です。新聞も毎日の政局を追うこと以上に、このような中長期の分析をしてほしいですね。もちろん学者にも、外国の政治分析の前に、過去の日本政治分析の前に、日本の現在を分析してほしいです。

財務省の権限

2006年11月26日   岡本全勝
政府が現在進めている改革の一つに、特別会計の見直しがあります。特別会計には問題が多く、一般会計への統合、独立行政法人化や民営化などが提案されています。
財政制度等審議会の報告「特別会計の見直しについて」(平成17年11月21日)は、「固有の財源等をもって不要不急の事業が行われているのではないか、資源配分が硬直化しているのではないか、多額の剰余金が放置されているのではないか等の問題が指摘されており」と述べています。
特別会計も財務省が査定しているのに、なぜこんなことが起きるのか。また、それを、財務省の審議会が指摘するのか。この問題は、民間の人や地方団体の人には、理解しにくいことでしょう。
地方団体であるなら、予算編成と組織人事は知事や市町村長の最も重要な職務の一つです。企業であっても、金と職員をどう動かすかは、社長のそしてその企業の重要な仕事であるはずです。
たぶん、その答えは「財務省は特別会計(の一部に)ついて査定していなかった」、あるいは「査定できなかった」ということであり、「財務省だけでは、(審議会の力を借りないと)特別会計を査定できない」ということでしょうか。これは、財務省(大蔵省)の権力がどのようなものであったかの一端を明らかにしているとともに、日本の内閣制がどのようなものかを明らかにしています。

官から民へ

2006年11月22日   岡本全勝
21日の朝日新聞では、「小さな政府改革、識者3人座談会」「官から民、なぜ今」で、北城経済同友会代表幹事、加藤秀樹構想日本代表、広井良典千葉大学教授が、議論しておられました。
「官から民へ」という言葉は、水戸黄門の「葵の印籠」のように、重宝がられています。私も使っています。もっとも、ここでも議論されているように、詳細は必ずしも詰まっていません。すなわち、なぜ官から民なのか、何をもって政府の大きさを測るのか、縮小すべきは何か、残る国の役割は何かが、問題なのです。
「官から民へ」は一つのスローガンであって、政治家がしゃべる分には良い言葉です。しかし、スローガンであるので、学問的には詳しくは定義された言葉ではありません。そして、この言葉は運動方向(ベクトル)を表しているのであって、対象物や目標は明らかではありません。もっとも、だからこそスローガンとして優れているのです。何にでも使えるからです。
なぜ官から民なのかは、赤字財政でこれ以上、今の財政支出を続けられないからです。また、官が支配することで、民間の活力が削がれるからです。
何を縮小するかは、分野別に議論しなければなりません。安全安心・社会保障などは、そうは縮小はできないでしょう、すべきでないでしょう。今後縮小すべきは、公共事業や産業振興だと思います。そしてこのような縦割り分野別でなく、横割り事務別の切り口も必要です。教育や福祉であっても、民間が実施できます、しています。官がしなければならないのは、その企画と基準作りと検査でしょう。実施は、どんどん民間に委ねることができるのです。
これからの行政や研究者の仕事は、どの分野どの事務を民に切り出すか、それを提言することでしょう。政治家は運動論、官僚と学者は理論編が仕事です。拙著「新地方自治入門」では、第8章で議論しました。機会があれば、もう少し議論を深めたいと思います。このことについて書いた本・教科書って、ないですよね。

審議会の弊害3

2006年11月10日   岡本全勝
このような分析を進めると、次のようなことも見えてきます。
これまで、審議会は「官僚の隠れ蓑」と批判されてきました。それは、委員が各省の意向で選ばれ、審議会の運営が「根回し」「ご説明」などにより実質的に官僚によって取り進められることによって、審議会は官僚が実質的に決めた政策に「お墨付き」を充てるものになっているのではないかという批判です(拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」)。私も、よくそう説明していました。
ところが、この批判もよく考えると、変な批判なのです。すなわち、この批判は、「政策は官僚が決めるもの」という観念にとらわれています。本来、民主主義国日本にあっては、政策は選挙で選ばれた政治家が決定するはずです。そこには、政策立案は政治家が官僚に丸投げし、官僚は自らは正統性がないので有識者の意見を聞いたという形を取る、という演技が透けて見えます。
例えば税制改正なら、首相・財務大臣・総務大臣のリーダーシップ、政府税制調査会、与党(税制調査会)の関係が、問題になるはずです。それは、誰が財政に責任を持つのか、また、国民に対して責任を持つのかということです。

審議会の弊害2

2006年11月9日   岡本全勝
昨日の続きです。審議会の機能一つに、利害対立の調整が上げられることがあります。労使間や、医者と支払者、企業と消費者などなど。しかし、この機能も問題です。私は、審議会の整理をしているときから、変だなあと思っていました。結論から言うと、国会は何のためにあるのかということです。
例えば、今日の日経新聞「雇用改革論議を再開、厚労省が論点整理。労働政策審議会に厚労省が新たな論点を示すことで、来年の法整備に向けた本格的な論議が再開される・・」という記事の末尾に、「労使がそれぞれの利害を主張しあう旧来型の議論のスタイルが限界にきているとの批判も多い」との指摘があります。
まず、利害調整についてです。通常、議会などでは、ある議題を審議するときに利害関係者は退席させられます。当事者に有利にならないようにです。また、当事者が議論して結論を出すとすると、折り合いがつくまで結論が出ないのです。すると、合意ができるまで先延ばしする「全会一致の政治」になります。これでは、改革は進みません。利害関係者の意見は良く聞くべきです。しかし、結論はその人達を外して決定すべきなのです。
次に、利害代表者というものについてです。このような審議会の場合、委員は既成勢力の代表であって、それ以外、例えば国民が外れていることも多いのです。労働代表は、弱者の代表と思いがちですが、実は企業組合員の代表であって、それは今や勝ち組の代表です。結果として、この労働審議会も、パートや婦人を外していたのです。教育にあっては、設置者(文科省)と日教組の対立ととらえがちですが、顧客である児童生徒・保護者を忘れていることは、三位一体の記述で何度か指摘しました。その根底には、これまでの行政が、供給者の保護育成という立場であったことがあります。金融行政、畜産行政、薬品行政などについても、このHPで指摘しました。
利害調整は、それこそ、それらの対立する集団の代表であり、国民の代表である国会議員が行うべきことです。先の記者の言葉を借りれば、「今まで、労働者の代表、弱者の代表といっていた政党は、何をしていたのでしょうか」。