カテゴリーアーカイブ:著作と講演

日経新聞夕刊コラム第24回

2018年6月21日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラム第24回「明日香村」が載りました。

正確には、私が生まれた昭和30年当時は、奈良県高市郡高市村大字岡でした。その後に合併して、高市郡明日香村大字岡になりました。飛鳥村と書かないのは、合併した旧村の一つが飛鳥村で、新しい村の名前に明日香村を使ったのです。いずれも、万葉集に出てくる「あすか」(万葉仮名)です。本籍は、そこに残してあります。

「岡」と「岡本」というのは、古い地名のようです。岡寺という有名な寺があり、その門前町で栄えました。西国33ヵ所の第7番札所で、私の子供の頃までは、巡礼の人を見ました。春や夏のお祭りや市も、賑やかでした。今となっては、過去形です。
岡本宮は、7世紀に、岡にあった大和朝廷の宮殿です。岡の麓で、岡本と名づけたのでしょう。わが家の祖先も、それにあやかって、名乗ったようです。折口信夫さんの親戚になるとのことです。書かれたものにも出て来ます。「・・大和の明日香村岡寺前の岡本善右衛門の八男・・」。

石舞台古墳は、当時は石室の上に、登ることができました。あの大きな石ですが、ある方向からは、子供でも簡単に登ることができるのです。今は、登ることは禁止されています。玄室には、入ることができます。壁や天井の巨大な石が、怖かったです。落ちてこないかと。

小学校高学年になるまで、学校にプールはなく、青年団の兄ちゃんたちが、飛鳥川をせき止めて天然プールを作ってくれました。今となっては、ぜいたくな話です。
新たにできたプールも、飛鳥川の水を引き込んでいました。その季節になると、上流の家の子供たちはチラシを持って帰ります。「川の水をプールに使うので、農薬を使わないでください」といった趣旨が書かれていました。
魚、カエル、蛍、トンボ、蝉、モグラ・・・たくさん捕まえて、殺してしまいました。生き物たちにひどいことをしました、すみません。学校の解剖に使ったカエルは、板蓋宮跡の井戸(当時はそう呼んでいました)で捕まえました。
家では蚊帳をつって寝ましたが、玉虫も飛んできました。蛇もムカデも来ましたが。
昭和30年代の故郷の話は、始めると尽きません。それはまたの機会にしましょう。

来週で、この連載も最終回です。

日経新聞夕刊コラム第23回

2018年6月14日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラム第21回「鷹の目と象の時間」が載りました。
「鷹の目と蟻の目」、あるいは「鳥の目と虫の目」は皆さんご存じですよね。視野の広さです。拙著『明るい公務員講座 仕事の達人編』でも、わかりやすい挿絵を描いてもらいました(第3章扉)。

長期的な視野と短期的な視野を、どのような比喩で例えるか。なかなか良い言葉が見つかりません。そこでお借りしたのが、本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』 (中公新書、1992年)です。
初めてこの本を読んだ時は、驚きました。へ~、そうなっているんだと。もっとも、人間はこの算式に、ぴったりとは当てはまらないようですが。

このコラムにも書きましたが、鼠も象もお互いに、自分以外の「時間の進み方」は知らないのでしょうね。人間だけが、このように他の生物の「時間」を計測して、比較することができます。
もっとも、私たち個人個人は、自分の「時間」でしか物事を考えられないことが多いのです。だから、今回のようなコラムが成り立つのですが。
少し違いますが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という金言があります。先達の経験と智恵を、どのように活用するか。ここに、できる人とできない人の差が出ます。

関西大学で講演

2018年6月11日   岡本全勝

今日11日は、関西大学に講演に行ってきました。経済学部の客員教授も、引き受けているのです。
演題は「公共政策と財政-予算でできることとできないこと」です。林宏昭教授の指示で、大震災を事例に、財政学の授業に関わる話にしました。
200人を超えると思われる大勢の学生と一般の方が、熱心に聞いてくださいました。
実務家の授業ですので、政府が何をしているか、公務員は何をしているかなどを、話してきました。

補足
5月23日の毎日新聞の私の発言は「論点 国家公務員の不祥事」です。
これからの地方自治体については、4月26日の日経新聞夕刊コラム「この国のかたち」をご覧ください。

 

日経新聞夕刊コラム第22回

2018年6月7日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラム第22回「内閣官僚」が載りました。今回は、本業の話に戻って、官僚論です。
連載を読んでいる方からは、最近の私生活編について、「カルガモが良かった」「仏像、私も好きです」という反応があったのですが。まあ、硬軟織り交ぜてと、お許しください。

政治主導、そして内閣(官邸)主導が進むと、官僚の役割が変わるとともに、その養成も変える必要があるでしょう。もはや、これまでのような、各省で完結する官僚人生、官僚の人事管理は、基本モデルになりません。
既に、課長になるまでに、ほかの省などを2か所経験させる決まりがあります。視野を広げるためにも、よその釜の飯を食べる必要があります。それとともに、内閣官房を支える官僚たちを、育てる仕組みが必要なのです。
私の経験を基に、書きました。