カテゴリーアーカイブ:社会の見方

産業別従事者数の推移

2011年1月11日   岡本全勝

1月10日の日経新聞経済面「三度目の軌跡、データで見る」に、わかりやすいグラフが出ていました。1950年代から現在までの、産業別従事者数の推移です。
農林業が、1,500万人から260万人に大きく低下しました。製造業は、700万人から増加し、1964年に農林業を抜きました。1992年には 1,569万人とピークに達し、その後減少し、約3分の2の1,000万人程度にまで減っています。建設業は200万人から、経済成長とともに増加しまし たが、最も多かったのはバブル崩壊後の公共事業拡大期です。1997年に685万人に達しましたが、その後は公共事業の削減もあり、500万人程度に減っ ています。
卸・小売業、飲食店は、700万人程度から増加し、1996年に1,463万人と製造業を抜きました。その後、少し減っています。医療・福祉は600万人で、建設業を抜きました。
このように言葉で書くとわかりにくいですが、記事に出ているグラフはわかりやすいです。日本経済や産業の移り変わりが、一目瞭然です。

社会の制度・インフラの輸出

2011年1月10日   岡本全勝

1月9日の朝日新聞経済欄で、韓国がカンボジアやラオスで、証券取引所の売り込みをしていることを伝えていました。市場経済の重要なインフラである証券取引の仕組みを、教えるのです。
新興国にとって、もの作りを輸入するだけでなく、経済や社会の制度・インフラを輸入することも重要です。日本も明治以来、たくさんの制度を欧米から輸入しました。典型が、法律や行政の仕組みです。
日本も先進国になったので、アジアなどの新興国のお手伝いをすることが、期待されています。法務省が、カンボジアなどでの法整備に協力していることが有名です(参考文献、松尾弘著『良い統治と法の支配-開発法学の挑戦』(2009年、日本評論社)など)。また、JICA(国際協力機構)が、いろんな技術援助をしています。
少し視野を転じて、先進国を含めた世界への社会インフラの貢献となると、あまり思いつきません。かつて、日本が先進国に「輸出」した法律の例として、迷惑メール防止法を教えてもらったことがあります。アメリカの国会議員が、日本に勉強に来たのです。他に、何かありますかね。

2人のゲームと第3の関係者

2011年1月8日   岡本全勝

高橋伸夫東大教授の『虚妄の成果主義-日本型年功制復活のススメ』(2004年、日経BP社。2010年、ちくま文庫)を読んでいて、長年の悩みが解決しました。
ゲーム理論に、「囚人のジレンマゲーム」があります。経済学では有名なので、ご存じの方も多いでしょう。簡単に言うと、捕まった2人組に、検事が持ちかけます。「2人とも自白したら、重い罪。2人とも自白しなかったら、軽い罪。1人だけ自白したらその容疑者は無罪、自白しない容疑者はもっと重い罪」とです。すると、2人とも相手を裏切って自白してしまい、共倒れになります。ただし、反復を続けると、容疑者は協調することが多いこともわかっています。
私は、学生の時にこれを勉強した時から、「それはその通りだけど、何か釈然としない」という気持ちを、持ち続けてきました。高橋先生の本に、フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの指摘(1944年)が、紹介されていました。すなわち、2人ゲームには、第3のプレーヤーがゲームの構造に現れていないことがあるのです(私の引用は簡略化しているので、正確には本文をお読み下さい)。そうです、このゲームは容疑者2人で成り立っているのではなく、検事が重要な参加者なのです。

少し飛躍しますが、労使の対立も、次のようになります。例えば賃上げをめぐって、使用者と労働者が対立します。一方が勝てば、相手方は負けです。しかしそうでしょうか。賃上げの場合、その原資(財源)が必要です。民間企業なら、稼ぎから出せばよいのでしょう。それだけの利益が上がらなければ、倒産です。一方、公務員の場合は、給与を上げれば、その財源は、住民・国民の負担にはね返ります。必要以上の賃上げをした場合、その「負け」を背負わされるのは、納税者です。また長らく、文部省と日教組が、対立してきました。しかし、この場合も教育という観点から考えると、最も重要な関係者は、生徒と保護者でしょう。

高橋先生の本には、1985年に旧電電公社がNTTに民営化された場合のケースが、紹介されています。規制が緩和され新規参入が可能になった時に、電電公社の幹部が、新規参入を勧めて回ったという話です。なぜ、独占企業が、ライバルを育成しようとしたか。それは、経営側と組合側が2人ゲーム状態に陥っていたことを解決しようとしたからだ、と解説されています。

スウェーデン、日本と違う社会の成り立ち

2011年1月6日   岡本全勝

先日、高岡スウェーデン公使の著作『日本はスウェーデンになるべきか』を紹介しました。「一つのモデル、スウェーデン」(2010年12月28日の記事)。そこでは、スウェーデン社会の奥底にある、社会と個人のあり方についての考え方(高岡さんの表現では「本質」)が、日本とかなり違うことを紹介しました。高岡さんの説を、もう少し紹介しましょう。この本では、4つの違いを挙げておられます。
1つは、自立した強い個人です。厳しい気候風土の中で、子供も女性も高齢者も障害者も、自分でできることは自分でやる。そして本当に世話になる必要がある時は、公的セクターが支援するのです。自分で運び自分で組み立てる、家具屋のイケアも、この現れだそうです。家具の配送に関する興味深い経験談も、書かれています。
2つめは、決まりを守るスウェーデン人です。路上駐車の例などが書かれていますが、これに比べれば、日本人は決まりを守っていませんねえ。
3つめは、透明性です。情報公開、個人番号など、なるほどと考えさせられることが書かれています。
4つめは、国境を越える連帯です。

自立した個人は、一見冷たい社会に聞こえます。しかし、決して他人に無関心ではないのです。その逆で、援助の必要な人には、みんなで手を差し伸べる。社会も国家もです。それと比較すると、日本は、これまで地縁、血縁、社縁で助け合っていたので、その機能が弱くなると助け合いや連帯が少なくなったのでしょう。またそれは、「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。もちろん、スウェーデン社会も、すべてを手放しで喜べるものではないでしょうが。
高岡さんの本は、スウェーデンと日本の、社会の成り立ちの違い、その上にある制度の違いを、わかりやすく解説してあります。経験談や数値も豊富で、なるほどと納得します。スウェーデン型国家を目指すにしても、違う道を取るにしても、日本の未来を考える際に有益です。
ところで、高岡さんは、イラン公使に転任になりました。新任地でのご活躍を、お祈りします。

一つのモデル、スウェーデン

2010年12月28日   岡本全勝

高岡望スウェーデン公使が、『日本はスウェーデンになるべきか』(2010年、PHP新書)を出版されました。高岡公使は、約10年前に省庁改革本部で一緒に仕事をし、ご苦労をかけました。全省庁を対象とした改革だったので、外交官である彼も、参加してくれたのです。
日本では、かつてスウェーデンは、福祉の先進国としてお手本とし、あるいは国連平和協力の先進国として視察先の一つでした。実は、地方分権の進んだ国でもあります。リーマン・ショック後、市場重視型経済モデル・「小さな政府」に疑問符がつき、高負担高福祉・「大きな政府」のスウェーデンが脚光を浴びています。
しかし、制度を輸入しただけでは、スウェーデン型の社会には、なれないようです。高岡公使は、スウェーデンの生き方の、より深いところにある「スウェーデンの本質」を、この本で論じておられます。2年間、彼の地で暮らした経験からの、考察です。先日までは、ノーベル賞授賞式の対応に追われておられたとのことです。今は、氷点下の寒さだそうです。
PHP新書は、たいがいの本屋に並んでいるので、ぜひご覧下さい。