朝日新聞夕刊連載「人生の贈り物」。今週は、料亭「菊乃井」主人の村田吉弘さんです。ロンドンで、会席料理の店を開いておられます。25日の記事に、次のような発言が載っています。京都の本店とは変わった、ロンドン風にアレンジしたメニューが話題だそうです。
・・・相手が望むもんを出すのは、料理の基本やね。「これが本物やから、これ食え」っていうのは、乱暴な話やろ・・
そこの国の食材で作らんと、日本料理は根の生えたもんになって、どこにもいけなくなる。外国のお母さんがうちで、「今日はすしつくるわ」といわはるようになって、世界に定着したといえるわけや・・
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自分の命を、役所任せにしてはいけない
朝日新聞2月26日、「釜石の奇跡」で指導的な役割を果たした、片田敏孝さんのインタビューから。
国や自治体による被害想定作りに関して。
・・・こう言っては何ですが、ハザードマップを信じてはいけません。想定を否定しているわけではありません。頼り切ることが問題なのです。マップの安全圏を信じて安心しきって、その結果、命を落とす事態が起きるのです。相手は自然だから、時にはずっと大きな災害もある。
危険な場所を地図に示すことを過度に求める、行政依存の体質が問題です。行政の肩を持つわけではないが、防災だけでなく何かにつけて行政責任を言う、日本の社会構造みたいなものに、根源があると思えてなりません。自分の命を守るのを、他人任せにしてはいけない。自己責任ですよ・・
20年後の新聞、2
先日の「20年後の新聞」(2月20日の記事)について、ある読者から、メールをもらいました。新聞が変わっているであろうことについては、同意しつつも、次のような意見でした。
・・20年ぐらい先を考えるのはおもしろいです。そしてたいてい暗澹たる気分になります。私が、まだ生きているかも知れないからでしょうか。
記者クラブ制度や戸別配達などは、変わっているでしょう。しかし、1990年から2010年の20年間を思い返すと、換骨奪胎しながらまだ残っているかもしれません。
日本語市場は、残っていますよ。この40年で壊れなかったですからね。規模拡大しているかもしれないとさえ漠然と思います・・
20年後の新聞
今日の放課後、旧知の新聞記者さんと、意見交換会をしました。そこでの話題です。
「20年後に、新聞はどうなっているか?」
いろいろと悲観的な意見が出ましたが、私は次のように考えています。
新聞は、なくならない。ニュースを見るなら、インターネットで、素早くたくさんの記事を読むことができます。しかし、新聞の「機能」は、あふれるほどのニュースから、ある基準で選択し、そして優先順位をつけて、一定の紙面の中に納めてくれることです。
忙しい社会人としては、この機能はありがたいです。そしてこの「選択」が社会での「標準」になります。重要なニュースを知っていないと、会社でついて行けません。他方で、新聞に載っていない記事は、知らなくても恥をかきません。もちろん、常に記事の取捨選択や優先順位付けが「正しい」とは限りません。そこに、各新聞社の「考え方や趣味の違い」が現れます。朝日新聞と、読売新聞と、毎日新聞と、産経新聞との違いです。
もう一つの新聞の機能は、解説です。日々のニュースを流すだけでなく、それらを歴史的社会的背景から位置づけ、どのような意味を持っているかを解説してくれることです。もちろん、この機能は専門誌などが担うことでもありますが、新聞はお手軽です。
朝刊と夕刊が、毎日宅配されているか。これは、疑問です。自宅にあるプリンターで、印刷するようになるでしょう。新聞配達員はいなくなるでしょうね。
現在、日本語という「非関税障壁」に守られている「記事の内容」「解説の水準」についても、大きな変化を受けていると思います。グローバルな記事や解説が増え、それは日本語でなく英語になっている可能性が高いです。あるいは、英語の記事が翻訳されているでしょう。
20年後には、実際はどうなっているでしょうね。私の予想は、当たったためしがありません。苦笑。
狭い国土は言い訳にならない、オランダの農業
1月29日日経新聞1面連載「ネット人類未来」は「賢い農業革命、狭い国土言い訳にしない」でした。
世界一の農業輸出国はアメリカです。では、2位はどこだと思いますか?私は、オーストラリアかなと思いましたが。
正解は、オランダだそうです。国土は九州ほどしかないのですが、輸出額は790億ドル(2008年)と、日本の30倍だそうです。ITを駆使した農業経営で、トマトでは単位面積あたり収穫量が日本の3倍です。
私は、このHPでも書いているように、日本の農業は、「稲作とそれ以外の作物」を区別して議論すべきであること、そして「産業としての農業とそれ以外の人(兼業や高齢者の農業)」を区別するべきこと、「農業と農地を持っている人」とを区別すべきであると主張しています。