カテゴリーアーカイブ:社会の見方

朝日新聞、報道検証第三者委員会報告

2015年1月2日   岡本全勝

新年2日の話題にはふさわしいとは思いませんが、このような休みの時期でないと、ゆっくり読めないので。
朝日新聞が、慰安婦報道に関して、間違った記事を書き、さらに取り消しや謝罪が遅れたことの検証です(12月22日報告書など)。大きく報道されたので、多くの方がお読みだと思います。報告書の最後の部分(14 問題点の指摘と第三者委員会のからの提言。p85以下)を拾い読みして、なるほどと思った点を書いておきます。
1 「(7)言論機関における第三者委員会設置についての注意喚起」に、次のような記述があります。
・・民主主義社会において、「報道の自由」は、憲法21 条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり、日本の判例上もそのように認められてきた(最1判昭53年5月31日刑集32巻3号457頁)。この点に鑑みれば、特定の新聞社のあり方について、たとえさまざまな不祥事や事件があったからとはいえ、そのあり方や評価をメディアの外部に委ねることは、必ずしも最良の措置とは言えない。
当報告書は、この点を十分に認識した上で、朝日新聞社に対して、あえて社外から見た問題点を多岐にわたって指摘した・・
私も、これは疑問に思っていました。2重の意味で、問題だと思います。
まず一つは、問題を起こした組織が自ら検証をせず、他者に委ねることの問題です。「身内の調査では不十分だ」との批判があることは承知していますが、自ら検証せず他者に委ねることは、責任を果たしたことにならないと思うのです。他人に任せると、しばしばマスコミは「自浄能力が試される」と批判します。
また、報告書に、朝日新聞社はどこまで責任を持つのでしょうか。第三者委員会も、人選やテーマの設定、さらには議事の進め方によって、必ずしも客観的とは言えないこともあるのです。かつて各省が設置した審議会について、「官僚の隠れ蓑」と批判されたことは、記憶に新しいです。今回の検証委員会のメンバーは、日本を代表するすぐれた人たちであることは間違いありませんが。
もう一つは、報告書が指摘しているように、報道の自由を主張する新聞社が、報道のあり方を第三者に委ねることは、大きな問題です。製造業の会社が、事業のあり方の検討を第三者に委託することとは、意味が違います。そんなことはないと思いますが、将来何らかの事件があって、国会や政府に「マスコミの報道のあり方に関する第三者委員会」が設置されるようなことがあったら、マスコミはどのように反論するのでしょうか。
この項続く

新約聖書はどのようにしてできたか

2014年12月28日   岡本全勝

先日の『聖書時代史旧約篇』(12月21日の記事)に続き、佐藤研著『聖書時代史新約篇』(2003年、岩波現代文庫)を読みました。こちらは、ユダヤ教からどのようにしてキリスト教ができたかの歴史、その推察です。イエスと言われる人は、いたらしい。しかし、その人がキリスト教を作ったわけではないようです。ユダヤ教の中の一つの派「ユダヤ教イエス派」が信者を増やし、ユダヤ民族以外に広げる際にユダヤ教から独立していったようです。なるほど。新約聖書の中の文書が書かれたのは、紀元1世紀から2世紀半ばまで。それが正式に新約聖書として確定されたのは、393年です。イエスが生まれてから、400年も経ってからです。
・・「キリスト教」と呼ばれるに至った宗教が、その基盤のユダヤ教から自覚的に自らを切り離して独り立ちを始めたのは―全体は一つの漸次的なプロセスであったとはいえ―実は紀元70年から1世紀の終わり頃である。それまでは、ユダヤ教の内部改革運動の一つであったと見なすのが、事態に最も即している。したがって、イエスもパウロも、「キリスト教」なるものは知っていなかったのである・・(まえがき)
キリスト教(の前身)以外にも、ユダヤ教にはいろんな派がありました。またキリスト教にも、その中にいろんな派がありました。その中で、現在のキリスト教が勝ち残りました。ユダヤ教から独立するまでは、本流になれず分派した過程です(しばしば、分家の方が本家より発展する場合があります。新大陸とか)。その後は、傍流を異端として排除した過程です。勝ち残るには、それだけの教義とともに、力業も必要であったのでしょう。政治に政策とともに権力が必要なのと同様です。組織の運動論、派閥抗争としては、このような見方もできます。

伊藤隆敏先生

2014年12月23日   岡本全勝

日経新聞夕刊「人間発見」12月15日から19日は、伊藤隆敏・政策研究大学院大学教授の「理論の力で政策を正す」でした。この欄は、いわば私の履歴書の短縮版で、5日間で1人の人を取り上げるようです。先生の学生時代から、留学、若手研究者の頃の努力が書かれています。
先生には、経済財政諮問会議議員をしておられた頃に、親しくしていただきました。第1次安倍内閣の頃です。私は内閣府の経済財政部局で官房審議官をしていて、民間委員のお世話をしていたのです。他に、八代尚宏国際基督教大学教授、御手洗冨士夫・経団連会長(キヤノン会長)、丹羽宇一郎・伊藤忠会長でした。
これまで付き合いのない分野の方、また一流の方と接することができて、非常に勉強になりました。 身内とのおしゃべりより、異業種との交流は、面白く勉強になります。
当時は、民間委員が議論のたたき台(民間議員ペーパー)を出して、諮問会議の議論を方向付けるのです。ペーパーを作る勉強会に陪席させてもらったり、説明をしたりします。伊藤先生から経済学的な議論や諸外国との比較を教えてもらい、八代先生から規制改革の議論を学べるのです。「行政改革の現在位置~その進化と課題」年報『公共政策学』第5号p37~(2011年3月、北海道大学公共政策大学院)を書いた時も、八代先生にアドバイスをもらいました。
伊藤先生はこの連載で、「世界で戦える日本にしたい」と考えてきた、と書いておられます。先生は東大教授から、政策研究大学院大学に移られ、来年1月からは、アメリカのコロンビア大学の教授にも就任されるとのこと。ますますエネルギッシュにご活躍です。

旧約聖書はどのようにしてできたか

2014年12月21日   岡本全勝

山我哲雄著『聖書時代史旧約篇』(2003年、岩波現代文庫)が、勉強になりました。旧約聖書は、古代イスラエル・ユダヤ民族の歴史を記録したものです。しかし、それは現代で言う「歴史の記録」ではありません。
・・旧約聖書の歴史書の多くは、部分的に古い伝承や資料を用いているものの、語られる出来事よりもかなり後になってからまとめられたものであり、起こったと信じられている出来事や経過についての後代の信念と解釈を伝えるものなのである・・
・・古代イスラエル人にとって歴史とは、神によって動かされるものであり、神の意志、神の行為の展開する舞台であった。例えば出エジプトという出来事は彼らにとって、神による救いの歴史、すなわち「救済史」に他ならず、王国滅亡とバビロン捕囚という破局に向かう歴史は、イスラエルの度重なる契約違反の罪とそれに対する神の審判の歴史、すなわち「災いの歴史」=「反救済史」を意味するものであった・・
神話と歴史の混合です。口承伝説が、後に書物としてまとめられました。その際には、事実の記録ではなく、信仰の拠り所という意図からまとめられています。この本をはじめ聖書時代学は、発掘結果や他の資料(古代エジプト)などから、何が事実であったか、どのようにして聖書が成立したかを研究しています。
それにしても、紀元前12世紀ごろからの(部分的な)史実を伝えているとは、驚きです。周辺にたくさんの民族があったのに、ユダヤ民族だけが連綿と伝えました。王の名前が次々に出てきて混乱しますが、ダビテ王が紀元前1千年頃で、その後中断をはさんで紀元前1世紀まで続くのですから、当然ですよね。
この後、国家としては滅亡し、世界に散らばることになります。しかし、旧約聖書は生き残ります。また、ユダヤ民族は続きます。その大きな要因が、旧約聖書とユダヤ教です。民族を民族として団結させる要素を持っていたのでしょう。中国でも古い記録が残り、しかも民族が入れ替わっても伝えられたことも、すごいことですが。
この本には続編があります。佐藤研著『聖書時代史新約篇』(2003年、岩波現代文庫)。これから挑戦します。かつてジョン・リッチズ著『1冊でわかる聖書』(邦訳2004年、岩波書店)を読みましたが、すっかり忘れてしまいました。「また、変わった本を読んでますねえ」と、F君に笑われそうです。

宗教の社会的役割

2014年12月14日   岡本全勝

ニコラス・ウェイド著『宗教を生みだす本能―進化論からみたヒトと信仰』(邦訳2011年、NTT出版)が、興味深くまた勉強になりました。注を入れて350ページの本なので、少々時間がかかりました。著者は、宗教は人類の本能に根ざしたもので、進化の過程で重要な役割を果たしたと考えます。なぜ、自分の命を投げ出してまで、信仰の名の下に集団のために戦うのか。個人の生存戦略とは矛盾するこの宗教的行為が続くのは、集団の生存戦略にかなっているからだと説明します。
宗教には、個人の信仰・神とのつながりという内面的機能と、信者が団結する・他方で異教徒を迫害するという外面的機能があります。個人を安心させる機能と信者同士をつなぐ機能は、社会を安定させる機能として大きな役割を果たしてきました。道徳もまた、人類が育ててきたものですが、道徳や法律とともに、宗教も人類が集団生活をする上で、必須だったのかもしれません。
飢餓や病気など、生きていくことが困難だった昔には、神に祈るしかなかったのでしょう。また、他部族と争うには、神の下での団結が有用だったのでしょう。それらのリスクが大きく減少した近代では、宗教の役割は変わってきています。しかし、文明が進歩した西洋でも日本でも、宗教は根強い力を持っています。さらに、新興宗教・あるいは宗教まがいのものが、若者を引きつけます。
近代文明は、道徳や法律は研究しますが、宗教はアヘンと呼ばれたり、いかがわしいものとされたり、科学や学問が関与しない分野におかれています。歴史の教科書では出てくるのですが、現代の記述になると消えてしまいます。国家は宗教とは関わらないとするのが、近代憲法の建前ですが、社会の安定を考える際には、宗教を無視してはいけないのでしょう。
この本は、宗教が社会にとってどのような役割を果たしてきたか、果たしているのか。広範な知識で、解説してくれます。3大一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)とその聖典の起源や成り立ちの解説は、勉強になりました。残念ながら、仏教や儒教、ヒンズー教は、取り上げられていません。