カテゴリーアーカイブ:社会の見方

経営難の企業をどこまで支援すべきか

2016年4月1日   岡本全勝

公正取引委員会が、3月31日に「公的再生支援に関する競争政策上の考え方」を公表しました。新聞は、「税金を投じた救済で健全なライバル企業が不利になったり、支援を期待して経営者が緊張感を失ったりしないよう、安易な支援に歯止めをかける狙いだ」と伝えています。
放っておくと企業が破綻する。そして国力や雇用の場が失われる。そのようなときに、行政は支援すべきか。他方でそれは、公平な競争を阻害します。また、好調なときは「官の関与は最小限にすべき」と主張しておきながら、困ったときは「政府が支援すべき」とのご都合主義もおかしいです。
官と民との関係、行政はどこまで経済活動に介入すべきかを考える事例です。

新聞報道のあり方、朝日新聞

2016年3月30日   岡本全勝

3月23日の朝日新聞「紙面審議会」から。
鈴木幸一・IIJ会長
・・・朝日新聞はクオリティーペーパーを自負する一方、数百万部という発行部数からみれば、大衆紙と捉える方が妥当である。クオリティーペーパーとしての矜持を保ちつつ、発行部数を守るため大衆に受け入れられる要素も盛り込まねばならない。この矛盾を抱えながら一つの紙面をつくることが、朝日新聞の記事内容、記者の育て方、何よりも経営のあり方を難しくしているのではないか。
例えば、私の仕事であるIT分野を掘り下げ、ITという巨大な技術革新が世界をどのように変えていくのかといった視野を持ち、経営者に目を開かせてくれる記事を書ける専門記者を育てているだろうか。かつては同じ記者が長期間同じ分野を担っていたように思うが、昨今は短期間で別の記者に担当替えしているようだ。
ある出来事を報道する時、その評価については、ほとんどが学者や有識者とされる方々の意見を掲載していることが多く、新聞社としての見解は控えめだ。記事は記者が事実をなぞった、表面的な内容になっていると感じる。読者に分かりやすい、かみ砕いた記事を書き、分析もできる専門知識を持つ記者も必要なのではないか。産業以外の国内政治、国際政治、社会、文化などの分野では、専門記者が育っているのだろうか・・・
湯浅誠・法政大学教授
・・・経済的格差が広がるときは、政治的見解も二極化する。いま、そんな時代に入ったと思う。こういうときに、これまでのように、穏健な意見を社会に投げかけるだけでは足りない。テーマの選定や切り口など、「これくらいではないか」という従来の「相場観」は一度見直すべきだと考える・・・
中島岳志・東京工大教授
・・・一昨年以来の朝日新聞バッシングは、単に慰安婦報道に向けられたものではない。戦後の朝日ジャーナリズム、ひいては戦後民主主義に対する不満・鬱屈が噴出したものと捉えるべきだろう。その根源には「自分たちは正しさを所有している」という朝日の態度に対するいらだちがあるように思う・・・

鉛筆

2016年3月20日   岡本全勝

3月5日の朝日新聞別刷りbe「サザエさんをさがして」は、鉛筆がテーマでした。国内の鉛筆生産量は、1966年の962万グロス(1グロスは12ダース)がピークで、1985年頃にボールペンに逆転され、近年はボールペンが1026万グロスに対し、鉛筆は137万グロスです。
三菱鉛筆によると、1994年にはHBが5割弱だったのが、2014年には2割に減り、太くて柔らかい2Bが2割から4割に増えたのだそうです。HBを使っていた大人がボールペンに移行し、子どもが使う2Bが残っているということでしょうね。
私もボールペンと万年筆なので、鉛筆は使いませんねえ。ボールペンは、もっぱら三菱のジェットストリームです。ぺんてるのサインペンのプラマンもよく使っていたのですが、部下への指示書を書くことが少なくなり、使うことが減りました。「知的生産の技術」「知的生産の技術2」。

パリの日本人

2016年3月18日   岡本全勝

鹿島茂著『パリの日本人』(2015年、中公文庫)が面白いです。先生のいつもの軽妙な文体で、しかし明治以来のパリに学んだ日本人を綿密な調査を基に、紹介した本です。後に政治家や作家になった人だけでなく、さまざまな人が出てきます。現在と違い、フランスはとてつもないあこがれの的であり、多くの日本人にとって遠きにありて想うものでした。その中で、長期間にわたり留学した人、そこに居着いた人たちです。
パリの文化や芸術だけでなくパリジェンヌに憧れたことや、金に飽かせてお大尽をしたことが、赤裸々に綴られています。つい最近まで、パリ駐在員の仕事の一つは、日本から旅行に来た人を、「遊ぶところ」に連れて行くことだったことも。お薦めです。

目利きができる人とできない人

2016年3月3日   岡本全勝

先日紹介した「日本百貨店」(2月28日の記事)。
ある人に言わせると、「目利きができる人と、できない人の差」とのことです。お金を持っていても、自分で品質を判断できない人は、高級百貨店でものを買います。それが、百貨店の信用力です。他方で、自分で品質を判断できる人は、高いお金を払わずに、よい品物を選びます。納得。私の若い頃に、家具屋さんに聞いた話です。事務所用の応接セット。なかなか売れないときには、値段を上げるのだそうです。そしてお客さんに、「こちらの方が高級ですよ」と勧めると、売れることがあるです。
とはいえ、食品にせよ衣類にせよ、なかなか目利きになることは難しいです。その際に、かつては、百貨店が一つの「保証」でしたが、もう一つの保証は「口コミ」です。「知っている人に勧められた」です。最近はインターネットで便利になり、情報を集めやすくなりました。もっとも、ええ加減な情報もあるので、そこは要注意です。信用できる人の話かどうか。日本百貨店の設立者の意図が、ホームページに詳しく載っています。ぜひお読みください。