カテゴリーアーカイブ:社会

イギリス労働者階級の昨今

2020年8月15日   岡本全勝

書評に取り上げられていたので、ブレイディみかこ著『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(2020年、筑摩書房)を読みました。
著者は、『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で有名です。イギリスで働き、結婚し、子育てをしつつ、その体験から、イギリスの労働者階級や貧困層の生活実態を書いておられます。

この本は、月刊誌に連載された文章を、まとめたものです。ブレイディさんが暮らしている町での出来事、特にパブから生まれた交流を通じて、地域のおじさんたちの生態が描かれています。それが副題の「ハマータウンのおっさんたち」です。
ポール・ウイリス著『ハマータウンの野郎ども』(原著は1977年)で取り上げられた労働者階級の若者たちが、年を取って初老の「おっさん」になっています。彼らの楽しく、また悲しい生活です。ブレイディさんの軽快な筆で、笑って泣いて読めます。

出てくる人たちが、結婚、離婚、同棲を繰り返します。親の違う子どもたちの面倒を見ます。失業も。そのたくましさ、優しさに、引きつけられます。
また、イギリス特有のパブが、地域のコミュニティを支えていることがよくわかります。もっとも、近年はそのパブも、閉店が相次いでいるようです。イギリスの庶民の暮らしの一面を見せてくれます。

日本の庶民の暮らしを、このような視点から捉えた書籍はありませんかね。あまりに当たり前すぎて、本にならないのでしょうか。しかし、テレビドラマなどで取り上げられるような東京の若手の勤め人でない、地方都市での普通のおじさんとおばさんの暮らしを報告して欲しいです。
連載「公共を創る」で書いているように、この半世紀で日本の庶民の暮らしは大きく変わりました。そしていま、頼るべき「人生のお手本」、歳の取り方や近所付き合いの見本がなくなっているのです。落語に出てくる横町のご隠居、長屋の熊さん八さんの世界がいまや理解しがたくなったように、昭和の暮らしは遠くなったのです。そしてさらに変わりつつあります。

カタカナ語乱造者

2020年8月14日   岡本全勝

このホームページ定番の、カタカナ語批判です(と書きつつ、ホームページもカタカナ語です。すみません)。
カタカナ語の氾濫と新作が収まりません。今回の新型コロナウィルスでも、意味が分からないカタカナ語が出ましたよね。クラスター、ロックダウン、アラート、ソーシャルディスタンス、PCRなどなど。

乱造しているのは、政治家、官僚、学者で、それを拡散しているのがマスメディアです。ここに見えるのは、日本語を大切にしない、英語をかっこよいとありがたがる拝外心理です。そして、国民に理解してもらうことを考えず、内輪の言葉をそのままカタカナにして使う無神経さです。イベントは催し物に、ステージは段階と、日本語にすれば良いでしょう。

マスメディアも、大きな責任があります。このようなカタカナ語をそのままニュースで使うのは、避けるべきです。日本語に、簡単に言うと国語辞典に載っている言葉に言い換えて伝えるべきです。
NHKニュースに「やさしい日本語のニュース」があります。日本には、たくさんの国から外国人が来るようになりました。その人たちがわかる日本語を使ってください。特にNHKは公共放送としての役割があります。(もっとも、NHKもカタカナ語なので、初めて聞いた人は困るでしょうね)。もちろん、新聞記者も同罪です。

主な過去記事「カタカナ日本語、イベント」「伝わっていないカタカナ語」「相手に通じないカタカナ語」「カタカナ英語」「カタカナ英語の弊害 ブラック企業

コロナウイルスで変わることと変わらないこと

2020年8月13日   岡本全勝

「新型コロナウィルス感染拡大で社会が変わる」とマスメディアで流行しています。でも、本当にそうでしょうか。「変わる」は、マスメディアの商売文句です。何か変わったこと、新しいことを主張し「売らなければ」ならないからです。

私は、一部変わるところがあるが、大きくは変わらないと考えています。在宅勤務がしやすくなるでしょう。しかし、それに向いている仕事以外は、元に戻ると思います。学校がインターネット授業になるか。たぶん、多くの学校でそうはならないでしょう。例えば「テレワークの短所」。
多くの人は、職場に行きたい、同僚と話したい。学校に行きたい、友達と話したいのです。飲食店や行楽地が人が戻らないか。それは困るでしょう。感染拡大に注意しながら、元の生活に戻るでしょう。

東日本大震災でも、「災後」という言葉で、社会が変わると言われたことがあります。私は、意識して変えない限り、変わらないと主張しました。災害復旧の哲学を、公共施設の復旧から住民の生活の再建へと変えました。ここは確実に変わったと思います。しかし、多くの人の日常生活は変わりませんでした。

男性原理の退潮

2020年8月12日   岡本全勝

引き継がれる敗戦のトラウマ」の続きです。8月7日の日経新聞文化欄、赤坂真理さん「現代男性の心に刻まれた「敗戦のトラウマ」とは」から。その2です。

・・・このところ男性らしさや男性性を嫌悪したり、男性であることに罪悪感を抱いたりする傾向を感じる。男性のパワーを良いものとして発揮できる機会が減っているからかもしれない。
社会インフラが整ったことで、スイッチひとつで何でも動き、日常生活から力仕事が消えた。優しい男性を望む女性も増えている。そのような戦後空間に適応するために、男性性がしぼんできていると見ている。

しかし性差のダイナミズムがなければ動かないところもある。日本の夫婦形成は見合いより恋愛が主流になり、マッチングが成立しにくくなっているのがその例だ。
ひとり暮らしが増え、これまでの家族の形を前提にした社会ではひずみが大きくなっていくだろう。家族の概念を広げることもありうる。恋愛するしないにかかわらず、親密な人がいたほうが困らないことが多い。親族のつき合いや地縁が緩むなか、ひとつの家族だけで人生の不確実性に対処するのも限界があるだろう。これまでとは違ったかたちで、帰属感を持ちうるコミュニティーが求められていくだろう・・・

平成時代に、男女共同参画が広がりました。昭和憲法で男女同権をうたったのですが、実際の生活では、男性優位の暮らしが続いていました。それが、仕事場や家庭において男女対等が実現しつつあります。しかし、世の中の男たちは、男性優位の社会で育ってきたので、どのように行動して良いか戸惑っています。
結婚しない人、子どもを持たない人、片親で育てる人、定住外国人・・・これらも、これまでは「標準外」として扱われたのです。家庭の在り方、地域社会の在り方が大きく変わりつつあります。意識を追いつかせることが、課題です。

引き継がれる敗戦のトラウマ

2020年8月11日   岡本全勝

8月7日の日経新聞文化欄、インタビュー 戦後日本の行方(2)、作家の赤坂真理さん「現代男性の心に刻まれた「敗戦のトラウマ」とは」から。

・・・世代が替わり、戦争を体験した人々が少なくなっても、心の傷痕は自然には消えない。親から子、子から孫と受け継がれ、さまざまな問題を引き起こしかねない・・・

・・・戦争体験を語るとき、そこには一定のフォーマットがある。「巻き込まれて大変な苦労をした」という被害者の語り、いわば「女性の語り」だ。
男性はあまり戦争を語りたがらない。語るとしても、往々にして被害者の語り口になる。だから戦争を動かしてきた男性の声は埋もれている。戦争は悪いことだったという結論ありきでスタートするので、正直な気持ちが言えないのか。男性のプライドは傷ついているはずだ。
酒に酔ったときなどにその片りんが表れ、眉をひそめたという妻や子の証言はいくつも残っている。男性は意識的にせよ、無意識的にせよ本音を語らず、忘れたふりをするしかなかった。男性のプライドがどこに行くのか、興味がある。
経済戦争と呼ばれた時代にも、先の敗戦の傷が刻まれているのではないか。男性はワーカホリックになり、経済で世界で勝とうとした。バブル期の日本企業が米国を象徴する摩天楼を買収したとき人々が喜んだのは、心の中に敗戦による鬱屈や惨めさを抱えていたからではないか。だから経済が弱くなると体面が保てなくなってしまう・・・

鋭い指摘です。命を賭けて戦った戦争。従軍した兵士たちは、復員後、その体験について語ることは限定されました。公の場で自分たちの功績を語ることはできず、負の面はなおさら語ることを避けました。内面に押し込め、忘れたふりをしたのでしょう。負け戦とはそのようなものです。
さらに、太平洋戦争は、アメリカによる占領と改革で、戦前日本そのものを否定する結果を招きました。軍隊自体を否定されたのです。
男たちは、否定された経験を乗り越えるためにも、全力を経済成長の闘いにつぎ込んだのだと思います。
この項続く