カテゴリーアーカイブ:私の読んだ本

ピーター・メイル「南仏プロヴァンスの25年」

2020年3月2日   岡本全勝

ピーター・メイル著『南仏プロヴァンスの25年』(2019年、河出書房新社)を読みました。
メイルさんの『南仏プロヴァンスの12か月』が出たのは、1993年のようです。私も引きつけられ、類書も読みました。確か、NHKで放映されたと記憶しています。ビデオにも撮りました。
プロヴァンスブームに火がついて、はや30年になるのですね。懐かしくなって、本書を手に取りました。

この本も、軽妙洒脱な文章で、プロヴァンスの風土や、そこを訪れる外国人たちの生態を、面白おかしく紹介しています。
メイルさんは、「25年」を書いて、お亡くなりになったそうです。今頃、空の上から、満足そうにプロヴァンスを眺めておられるでしょう。

これまでにない分野を切り開き、多くの人に喜んでもらえる。それは、仕事冥利です。
もちろん、英語の通じないフランスの片田舎に移住して、様々なご苦労もあったのでしょうが。それを笑って表現するところが、みんなに愛される秘訣でしょうね。

本作り、編集が雑に?

2019年10月8日   岡本全勝

10月7日の日経新聞文化欄に、びっくりする記事が載っていました。
相次ぐ誤記や捏造なぜ……揺らぐ書籍の信頼 出版点数増、編集現場にしわ寄せ」です。取り上げられた2つの出版社とも、日本を代表する本屋さんですから、驚きは大きいです。

深井智朗さんの事件は、新聞で大きく取り上げられたこともあり、知っていました。同氏の『プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで 』(2017年、中公新書) は、良い本だと思い、このホームページでも紹介しました。
池内紀さんの『ヒトラーの時代』(中公新書)も、つい最近、このホームページでも紹介しました。67項目もの訂正があったとは。

・・・書籍の信頼を揺るがす事案が続く背景には、厳しい出版状況がある。出版科学研究所のデータによると、18年の書籍の販売額はピークの1996年から36%減った。逆に新刊点数は13%増。刊行点数を増やして売り上げ減を補う負のスパイラルに陥っている。
その無理のしわ寄せが編集現場に及び、品質低下を招いている。校正プロダクションの聚珍社では「以前は出版社から2回の校正作業を依頼されていたが、最近は初校だけという仕事が増えてきた」(鬼頭大介社長)・・・

本を読んでいて、時に誤植などに気がつくことがあります。重大なものは、出版社に電子メールで報告することもあります(山川出版の例)。
しかし、多くは読み飛ばしているのでしょうね。まあ、寝る前に布団に寝転がって読んでいますし、精読ではなく飛ばし読みが多いですから。

講談社学術文庫、オンデマンド

2019年2月14日   岡本全勝

最近は、文庫本や新書版しか読まないと書きました。「アンリ・ピレンヌ著『中世都市』
新書は新しい動きを見る際に、役立ちます。先日紹介した「サイバーセキュリティ」はそうです。
他方で、講談社学術文庫ちくま学芸文庫は、専門的な本、古典や古典になるであろう本を手軽に読むことができて、ありがたいです。専門家は、原著に当たるのでしょうか、素人が入門するには、そして知的好奇心を満たすには、文庫本は重宝します。

2月4日の日経新聞夕刊が「1冊から注文OK PODで絶版学術書も手軽に再刊」を伝えていました。講談社学術文庫のオンデマンド出版が紹介されています。これは、ありがたいですね。

希少価値と過剰と、書物の変化2

2018年11月7日   岡本全勝

希少価値と過剰と、書物の変化」の続きです。図書館に行けば読むことができる本を、手元に置いておく。しかも、高い代金を払って購入します。なぜか。

「読みたいときにすぐに読むことができるように、手元に置いておきたい」というのが一つの理由でしょう。「読んだ本を並べておきたい」という理由もあります。
でも、私のように、たくさん買ったけど山積みになっている状態では、お目当ての本をすぐに探し出すことは不可能です。大きな書庫を持っている人は別ですが。そのたくさんの本を、いつか読むことも不可能でしょう。

本が希少価値だった時代は、蔵書とは高級な趣味でした。
しかし、私の場合は、稀覯本とか高価な本を持っているわけではありません。アマゾンで発注すれば、買えるような本ばかりです。
女性がたくさんの着物を、あるいは余裕のある男性がスーツをため込むのと同じですかね。一生かかっても、袖を通すことは不可能。「タンスの肥やし」と呼ばれるものです。

機能だけを考えれば、すぐに探し出せない蔵書は意味がありません。読んだ本と読みたい本の書名を分野別に分類して、パソコンに記録しておく方が使い勝手がよいでしょう。
そして、本の実物は持たず、アマゾンにリンクを張っておけば、目次や概要はわかります。注文すれば、1週間も経たずに届きます。しかも世界中からです。手元に置くのは、必要最小限にするのです。
もっとも、昭和の人間、紙で育った私は、なかなかそうは踏み切れません。
肝冷斎も、読み切れないほどの、冥土に持って行けないほどの漢籍をため込んでいるようです。

これからは、読書ノートも、パソコンを使って、機能的に記録できるのでしょうね。
私も、パソコンとホームページがあるから、読んだ本の感想文を書き残しています。これが、紙のノートにペンだと、記録しても二度と読まないので、書くこともなかったでしょう。10年ほど前までは、読書ノートはつけていませんでしたから。

希少価値と過剰と、書物の変化

2018年11月5日   岡本全勝

新聞の読書欄には、興味深い本が紹介されています。本屋に行くと、これまた面白そうな本が並んでいます。ついつい買ってしまいます。
しかし、1週間に読むことのできる量は限られていて、読まない本がたまっていきます。どうもいけません。
読むことのできる量だけ本を買えば、こんなことにはならないのです。でも、思ったときに買っておかないと、次いつ巡り会うかわからないし。何かの拍子に、読みたくなるのですよね。

子供の頃は、身近に本が無くて、それは貴重でした。弟と一緒に、学校や村の図書館の本を読みました。学生時代は読みたい本がたくさんあっても、財布と相談して、そんなにたくさんは買うことができませんでした。
社会人になって、そして給料が上がって、少々の値段なら悩まずに買うことができるようになりました。
他方で、出版される本の量が急増しました。新書版でも、岩波と中公と、講談社現代新書くらいだったのに。今や、数え切れないほどの出版社が新書版を出しています。

希少価値だった本が、有り余るようになって、消化しきれなくなりました。
最近は、考えを変えました。「買った本を、すべて読むことはあきらめよう」「こんな本もあるんだと、目次を見ただけでも満足しよう」「手元に置いておくことで満足することにしよう」とです。
辞書を全部読もうという人は、いません。何か知りたいときに、調べるためにあるのですから。それと同じと、割り切りますわ。目次を読めば良しとしましょう。
この項続く