かつて、このページに、中西輝政教授の次のような分析を紹介したことを思い出しました。
・・サッチャー改革の敵は、たしかに野党や労働組合あるいは低所得層の庶民であったかもしれない。しかしその最大の敵は終始、与党・保守党、それも内閣の中にいた「保守穏健派(ウエット)」と称される有力政治家たちであった・・「サッチャー首相の評価、敵は身内に」(2013年5月3日)
また、自由主義諸国が中国と「戦う」には、「自由主義諸国の魅力を高め、世界政治の中心にいることが重要である」という、アイケンベリー教授の主張を紹介しました(9月15日)。
このページでの連載「責任者は何と戦うか」では、事態、決める仕組み、身内、世論など、責任者が戦うのは「正面の敵」でないことを取り上げてきました。
責任者の仕事の第一は、「本当の敵」を見抜くことです。「正面の敵」と戦いながら、あるいは戦うために、後ろにいるあるいは見えていない「本当の敵」と戦うことです。
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カタカナ英語
朝日新聞9月4日オピニオン欄「カタカナ語の増殖」でした。津田幸男・筑波大教授の発言から。
・・日本人は外来語をあまりに無防備、無神経に取り入れすぎる。背景には「英語を使ったらかっこいい」という、日本人特有の英語信仰があります。日本人は英語を上に、日本語を下に見て、自分たちの言葉の威厳を自らおとしめています。
氾濫の元凶は4者います。まず企業。商品名や社名、宣伝、看板に外来語が多すぎる。次に官公庁。難しいカタカナお役所言葉を全国にまき散らしています。日本の役所なら日本人が分かる日本語を使うべきです。
三つ目が知識人や学者。本来、翻訳や言い換えを考えるべき立場なのに、それをしないでカタカナのまま使うとは、知的怠慢です。そして四つ目が、企業・官公庁・学者が使う外来語をそのまま流している報道機関。猛省すべきです。
たしかに、カタカナ表記にすれば日本語として見なせるという考えもあります。しかし、アカウンタビリティーやコンプライアンスなどと言われても、日本語には聞こえません・・
同感です。私がカタカナ日本語を嫌いなことについては、「私の嫌いな言葉」(2006年4月27日)をご覧ください。
1 英語をカタカナにすれば、外国人に通じると思っていることが間違いです。カタカナ発音では、アメリカ人にも通じません。英語圏以外の人たちは、広辞苑にも載っていないので、理解するのに苦労します。カタカナ英語は、あくまで日本人同士の会話のためにあります。それも「私は、英語を知っているんだよ」という臭いがします。
2 もう少し、日本語に翻訳する努力をすべきです。ここでも指摘されている、アカウンタビリティー、コンプライアンス、ガバナンスなどは、元の英語を知っている人にだけ通じる日本語でしょう。
例えば「アカウンタビリティー(説明責任)」とある場合は、「説明責任」あるいは「説明責任(アカウンタビリティー)」と、表記すべきだと思います。
「いや、アカウンタビリティーは、説明責任ではない」とおっしゃる方がおられれば、「では、あなたが書いたアカウンタビリティーという単語は、読者にどのように理解されているとお考えですか」と聞いてみたいです。
私も講演の際に、カタカナ英語を使っては、聴衆の顔を見て、「これは理解されていないな」と反省することが多いです。
責任者は何と戦うか、その7。政権交代は野党が勝つから起きるのではない
オーストラリアでは、9月7日の選挙で、6年ぶりの政権交代が確実になりました。朝日新聞は、次のように書いています。
・・だが、野党・保守連合の政策が評価されたわけではなく、内紛と失策で労働党が「自滅」したのが実態だ・・
2009年の自民党から民主党への政権交代、2012年の民主党から自民党への政権交代の際も、「野党が勝ったのではなく、与党が負けたのだ」「与党内のごたごたや決められないことが、国民を失望させた」「野党は明確な対立する政策打ち出したわけではない」という評価もありました。イギリスでも、政権交代は与党が緊張感を失い、選挙民に飽きられることで起きると、言われています。
政権(与党)指導者は、野党と戦う前に、与党内部と戦っているのです。党内の各勢力を統合すること(反乱させないこと)、政策において成果を出すこと(党内の反対を抑えること)、与党議員に失敗や腐敗をさせないこと(緊張感を保たせること)などなど。
そして政権交代は、野党が勝つのではなく、与党が負けることで起こります。単純明快な争点を巡って争われることは少なく、政権与党は実績を国民に評価され、野党は国民の期待を受けるのです。
責任者は何と戦うか、その6。身内の敵が困る
先日の記事を読んで、読者から、「身内の敵が、一番やっかいです」とのメールが来ました。
そうですね、しばしば、前の敵より、後ろの敵が、扱うのが難しいです。「後ろから鉄砲が飛んでくる」「後ろから撃たれる」と表現します。
なぜ、後ろの敵の方が、前の敵よりやっかいなのか。
それは、前の敵は敵ですから、こちらから攻撃することができます。そのための鉄砲や矛があり、防御する盾があります。そこまでいかなくても、叩いても、怒鳴っても、しかられません。
しかし、後ろの味方には、それができないのです。鉄砲を撃つわけにはいかないし、盾で防御するわけにもいきません。そもそも、攻撃はできず、武器を持たないままに防御するしかないのです。
前の敵とは、対等に戦えます。殴り合いができます。でも、後ろの敵・身内とは、対等に戦えません。身内と戦うことが、リーダーシップを欠いていることや、支持を失っていることの証拠になります。
身内とは、いちばん小さな単位では、あなたの夫や妻であり、家族です。次に、課の職員であり、省内の部局です。さらに、政府にとっては与党であり、国内の各団体になります。もちろん、各党や各会社団体にとっても、構成員や支持者が、ここに言う身内です。
そして、ひどいときには、信頼していた身内に裏切られたり、反乱を起こされるのです。戦国時代の武将の内、何人が敵と戦って敗れたのか、それより身内の反乱にあって地位を失ったのでしょうか。
責任者は何と戦うか、その5。議会と世論
民主主義国家にあっては、大きな外交交渉や戦争は、議会の賛成が必要です。
シリアでの化学兵器使用に対し、イギリスのキャメロン首相は、議会の同意を取り付けることに失敗しました。アメリカのオバマ大統領は、大統領権限で武力行使をできるのに、議会の承認を得るという手続きを取っています。これはこれで、大統領と議会との駆け引きですが。
古いところでは、第1次大戦後、ウイルソン大統領が、国際連盟創設を唱えながら議会の賛成を得られず、アメリカが参加しなかった例があります。これに懲りて、ルーズベルト大統領は、第2次大戦後、国際連合を創設するに当たり、国会の賛同を得るべく議員にさまざまな働きかけをしました。アーネスト・メイ著『歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか』(原著は1973年。邦訳は岩波現代文庫、2004年)p13~をご覧ください。なおこの本は、アメリカの指導者が、外交での判断の際に、どれだけ過去(前例)を参考にしたか、また間違って参考にしたかが、書かれています。勉強になります。
対外交渉(国際政治)をしつつ、国内対策(国内政治)もしなければなりません。国際政治学では、これを「2レベルゲーム」と呼びます(ロバート・パットナム。例えば、藤原帰一著『国際政治』(2007年、放送大学教育振興会)p85)。
民主主義国家でなくても、日露戦争のポーツマス講和条約について、条件に不満を持った民衆が、暴動を起こしました(日比谷焼き打ち事件)。世論はしばしば冷静でなく、時にはマスコミがそれをあおります。
世論におもねらず、我が身の危険も顧みず、日本の国益は何かを考え決断する。小村寿太郎の苦労、サンフランシスコ講和条約に踏み切った吉田茂の決意には、悲壮なものがあります。そして、ご家族の苦労も。
TPPなど、これからさまざまな国際交渉が続くでしょう。近年の国際交渉について、わが国の「国内対策」を整理分析した書物はありませんかね。