カテゴリーアーカイブ:人生の達人

成果に結びつかなかった猛烈勤務

2019年6月27日   岡本全勝

6月27日の日経新聞「リクルート 遺伝子への挑戦者(3)」「脱「モーレツ」に向き合う」から。
・・・「起業家精神」と並ぶリクルートホールディングスを象徴するワードが「モーレツ営業」だ。そんなモーレツ時代をくぐり抜けたミドルが働き方改革に向き合っている・・・

・・・「24時間戦えますか♪」。働き方改革担当の執行役員、野口孝広(51)は、こんな栄養ドリンクのCMソングが流れていた1991年にリクルートに入社した。
配属は人事部門。担当は新卒採用だった。当時のリクルートは社員約3000人のうち約1000人が新卒。野口は十分に休みを取れないまま、「1年中絶え間なく採用活動をしていた」。
3年たって住宅の広告営業部門に異動すると、モーレツぶりは加速する。「会社に泊まることもあったし、それが美徳みたいな雰囲気もあった」。不動産事業者の店舗に朝晩押しかける「夜討ち・朝駆け」は当たり前だった。

働き方に関する考え方が変わるきっかけになったのは10年ほど前に社内で行ったある調査だった。従業員の業務成果と勤務時間の関係を調べたところ、「何の相関もなかった。衝撃的だった」・・・
この項続く

老人とは

2019年5月29日   岡本全勝

5月26日の日経新聞文化欄、久間十義さんの「令和の新老人」から。

・・・ぼうっとしているうちに平成が終わり令和が始まった。昭和(戦後)生まれの私は現在満65歳になる。恥ずかしながら、うかうかと時を過ごしてきた感は否めない。
20年前、まだ40代半ばだったとき、65歳は充分年寄りに見えた。というか、当時の私は65歳の方々を一仕事終えた老人と思いなしていた。あとは余生を過ごすだけの「一丁あがり」の人たちだ、と。
しかし自分がその歳になって、大変な間違いだと気づいた。まず「あがり」も何も、一仕事やった覚えが私にはない。気がつけば定年を過ぎたけれど、まだ老いて死ぬ間際という意識もない。身体はそれなりにくたびれてきても、頑張ってメンテナンスすれば後十年や二十年は図々しくやっていけそうな気配なのである。要はエセな新老人が一人、しゃあしゃあと生きているのだ・・・

・・・米国の「失われた世代」を代表する批評家マルコム・カウリーが『八十路から眺めれば』で、老化の目安を「美しい女性と街ですれ違っても振り返らなくなったとき」と断じていたが、まあ、すべてにそんな按配だ。
カウリーは他にも「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」とか「笑い話に耳を傾けていて、他のことはなんでもわかるのに話の落ちだけがわからないとき」とか、色々挙げていて、ぐさぐさくるボディーブローにうなだれる・・・

夫婦円満の秘訣

2019年5月18日   岡本全勝

5月8日の福島民報1面コラム「あぶくま抄」「奥会津水力館」から。
・・・会津若松市の東北電力会津若松支社の窓口にパネルが並ぶ。その一枚に夫婦円満の秘訣は「一緒にいないこと」と記されている。初代会長を務めた白洲次郎氏の言葉だという。互いに信頼し、自立する。夫は女房の前でも、かっこつけるべきだとも書かれてある・・・

「亭主元気で留守が良い」という名文句もあります。

先駆者の苦労、石井幹子さん

2019年5月11日   岡本全勝

5月5日の日経新聞、The Style 照明デザイナーの石井幹子さんのインタビューから。
東京芸大を出て、フィンランドで、照明器具製作会社に勤めます。帰国後、大阪万博の施設照明を手がけて有名になります。しかし海外での仕事を体験すると、日本の夜景の寂しさが我慢ならなくなってきます。

・・・京都での国際照明委員会の世界大会を控えた1978年、京都タワーから夜の街を見渡すと、見えるのは道路照明とネオンばかり。数々の歴史的建造物が光に浮かぶ欧州とは比ぶべくもない。大会までになんとかしなければとしない72か所の照明プランを市役所に持ち込むが、一顧だにされなかった。「これは実物を見せなきゃわからないんだ」
二条城と平安神宮の許可をもらって道路から照らすと、続々と見物人が集まる。手応えを感じ、仕事で訪れる街々で自腹を切って「照明実験」を続けた。名古屋、大阪、広島・・・。「もう布教活動ですよ。ライトアップ教」。8年目、横浜市内の12か所を照らした4日間のイベントで、来場者は10万人に達した・・・

いまは、普通に見ることができるライトアップ。先駆者は、苦労されたのですね。私が、当時の市役所の担当職員だったら、どのような対応をしたでしょうか。

『100年かけてやる仕事』

2019年5月10日   岡本全勝

小倉孝保著『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(2019年、プレジデント社)を紹介します。イギリス学士院が、100年かけて完成させた、中世ラテン語辞書の話です。

ラテン語といえば、古代ローマ帝国で話されていた言葉、そしてその後も、西ヨーロッパでの共通語であり、ローマ教会で使われていた言葉です。
ところが、長い時間の間に、またそれぞれの地域で、ラテン語が変化します。そりゃそうでしょう、千年もの間に、同じ形とが続くとは思えません。最も大きな変化は、スペイン語、フランス語、イタリア語への変化です。もっとも、ここまで変化するとラテン語とは言えません。
マグナ・カルタも、中世イギリスのラテン語で書かれています。しかし、これまでラテン語といえば、古代ローマ時代が正しく、その後の変化は「格下」と見られていたようです。使い勝手の良い、頼りになる辞書がなかったのです。

100年前のイギリスで、中世ラテン語辞書を作ろうという話が持ち上がり、1913年に学士院が事業として始めます。
ところが、最初の半世紀は、ボランティアによる単語集めです。かつては、教養とはラテン語を理解することでしたから、市井にラテン語がわかる人がたくさんいたのです。日本での漢文と同じです。
後半の半世紀で、専任の編集者を置いて、編集と出版に取りかかります。敵は、つぎ込んだ予算に対する成果を求める学士院です。その辺りの苦労は、本書を読んでいただきましょう。
残念ながら、前半のボランティアによる単語集めは、生存者がおらず、インタビューできていません。100年とは、それだけの時間です。

日本の辞書制作の話も、出て来ます。あらためて、諸橋大漢和辞典は、偉業ですね。