今日は金曜日、今週も終わりました。連休明けの仕事、皆さん、お疲れではないでしょうか。さらに、東京も暑くなって、これもこたえますよね。
私も、今週は泊まりがけの出張のほかに、次々と部下が報告や相談に来てくれて、商売繁盛=自分の時間は確保できない1週間でした。でも、喜ばなければいけません。報告に来てくれるのは、仕事が進んでいる証拠です。相談に来てくれるのは、「次官に相談したら、何か役に立つことを言ってくれる」と、思ってくれているからでしょう。「今日も、職員は誰も来なくて静かだった」は、困ったことなのです。
その中で、どのようにして、自分の時間を確保するか。それは、朝早く出勤することです。そして今日も、17時半過ぎには退庁し、18時頃には都内某所で、「他社の人」と冷えた生ビールを飲んでいました。「みんながまだ仕事をしている」と思うと、一層おいしいです(笑い)。なぜ、みなさん、8時半出勤、17時15分退庁にしないのでしょうか。自治体や民間では、当たり前のことですよね。そして、20時過ぎには、「もう帰るのですか。いつもなら、これから飲む時間ですよ」という批判を聞きつつ、逃げて帰りました。今、ホームページを更新し、これから本を読む時間が取れます。
カテゴリーアーカイブ:仕事の仕方
復興庁の引っ越し
今日は連休の谷間。連休中に事務所が引っ越したので、新しい仕事場に出勤して、荷物の荷ほどきをしました。といっても、そんなにたくさんの荷物ではないので、すぐに片付きました。机やパソコンなどは、業者と職員が運んで据え付けてくれてあったので、直ちに使うことができました。ありがとう。机や棚の配置が変わったので、少し使い勝手が悪いです。もっとも、すぐに慣れるでしょう。
三会堂では、次官室や統括官室の前に職員たちの執務机が並んでいたのですが、新しい事務所では次官室・統括官室と職員たちとは、少し離れています。官庁らしくなったということでしょうか。職員にとっては、しょっちゅう次官がやってくるより、落ち着きますかね(苦笑)。
新しい執務室は、4号館(財務省の裏、法制局が入っているビル)です。窓からは、国会議事堂が見えます。10年前に、内閣府官房審議官(経済財政担当)の時に、このビルで2年勤めたのですが、記憶が薄いです。冬、窓際が寒くて、机を動かした記憶があります。
福澤武さん、社風を変える3
2002年9月、新しい丸ビルが開業します。
・・・それは社員の創意と改革の結晶でもある。
「これはビル部門だけの仕事ではない。支店を含めて全社から意見を出して欲しい」。建て替え計画をを決めたとき、社員たちに訴えた。丸ビルの建て替えは、新しい三菱地所をつくることでもあった・・・(4月29日掲載分)
福澤さんは、さまざまな「慣行打破」を進めます。建築工事を、コスト削減と透明な取引のために、建設会社の入札に変えます。テナント集めも、説明会に来た会社から選ぶだけでなく、入って欲しい店に出店をお願いにいきます。路面店が外壁や窓の装飾を変えることも認めます。
・・・当時は「休日の丸の内はゴーストタウン。商売にならない」と言われた。営業部隊では「上から下までオフィスの賃貸にしてくれ」という声も根強かった。そんな常識を打ち破ったのは、創造性に富む若い社員たちだった。
社内の空気は社長に就任したときとは別物である。ある営業の役員は取締役会でテナントの選定の理由を自信満々に説明していたが、何のことはない。「廊下でウチの若い社員に聞いてみました。私は知らない店だけれど、大丈夫です」と力説していた。
「ビジネス・オンリー」ではない街をつくる。米国駐在時代に学んだ教訓である。そんな意思の下で社内が一体となって動いていた・・・(4月29日掲載分)
さらっと書いておられますが、100年続く会社の前例を打破すること、職員の意識を改革するには、大変なご苦労があったことと思います。本になる際には、そのあたりのことを書き込んで欲しいですね。でもそれは、福澤さんの哲学には、ないのでしょう。ご本人は、丸ビル改築完成を待たずに社長を退き、後任者に花を持たせるのです。
福澤武さん、社風を変える2
日経新聞「私の履歴書」、福澤武さんの続きです。
福澤さんは、丸の内の再開発をされるまでに、三菱地所の「殿様商売」を徐々に変えていかれました。徐々にといっても、大変なご苦労があったでしょう。
かつて、1つのビルに同じ業種の店を複数入れることを禁じる「1業種1店舗」の原則があったそうです。うなぎ屋が入っていると、後から入った日本料理屋はウナギ料理が出せないとか。テナントの要望を聞くことなく、古い原則を守っていたのです。この原則を変えるには、現場の管理事務所の副所長ではできず、本社に戻って部長となって、担当役員に了解をもらって変えることができました(4月23日掲載分)。
日本の地価神話(右肩上がりが続くはずだ)と、丸の内という超一等地を抱えていることで、会社と社員は「改革意識」は薄かったでしょう。福澤さんは、その当たりのことを、詳しくは書いておられませんが。丸ビルなどが老朽化してきたこと、テナントの丸の内離れが起きていたこと、そしてバブル崩壊で、それまでの常識が崩れ去ります。
・・・ビルの営業部門はずっと増収増益だったのに、とうとう減収減益に陥った。テナントを引き留めるための値下げの連続に社内はとまどっていた。収益予測を調べさせたとき、部下の返答に絶句した。
「ウチの情報システムは値上げしか想定していません。値下げのときは計算できません。手作業になります」
苦笑いしか浮かべられなかった・・・(4月24日掲載分)。
逆境に逆転の発想を出す
朝日新聞の生田正治・元商船三井社長、郵政公社総裁の連載「経営、真っ向勝負」5月2日は、「禍転じて提携を生む」でした。
北米東岸航路で提携先の会社から突然、提携解消の通告を受けます。商船三井が単独で航路を維持するには船が足りない。仕方ないので、新しい提携先に世界有数のコンテナ船会社を選び、直談判して話をまとめます。そして、東岸だけでなく西岸も提携の提案をもらいます。
・・・そのとき、ふと思った。まだ歴史上にない、グローバルな提携をやったらどうか、と。太平洋も欧州もインドも大西洋も。世界をつなぐ提携です。利点は大きい。たとえば1社10隻の航路で、4社40隻が協力しあえば、立ち寄らずに済む港が多数うまれ、航海日数が短くなる。積み荷が届く速さが劇的に上がる。生産性は高まり、コストも大きく合理化される。航路ごとの提携が伝統だった当時の海運界では、突拍子もない発想でした・・
そしてそれに成功します。
・・・史上初のグローバル・アライアンス(提携)の誕生です。反響は大きかった。「発表は間違いだろう。そんなことできるわけがない」。他社からはそんな電話がありました。英ブリティッシュ・エアウェイズ、米デルタといった航空会社の幹部は、しくみを知ろうと訪ねてきた。航空会社の世界提携が始まる前でしたから。
我々の提携の優位性は2~3年は持つだろうと期待しましたが、他の船会社は1~2年で追随してきた。いま振り返ると、時代の要請だったのでしょう・・・
航空会社の国際的提携も、ここから始まったのですね。日本人が考えた「仕事(商売)の仕組み」です。