カテゴリーアーカイブ:社会の見方

デマが広がる要素と検証の必要性

2021年3月29日   岡本全勝

朝日新聞ウエッブ論座、野口邦和・元日本大学准教授・元福島大学客員教授の「福島からは「逃げる勇気」が必要だったか『美味しんぼ』「福島の真実」編に見るデマ・偏見・差別」(3月9日掲載)を紹介します。原文をお読みください。

・・・2014年、漫画『美味しんぼ』「福島の真実」編で描写された鼻血は一過性で、他の出血症状や急性症状がない。『美味しんぼ』の原作者が福島県内で受けた被ばく線量は、出血症状が起こる線量より桁違いに低い。鼻血の原因が被ばくであるはずはないが、原作者はさも被ばくとの因果関係があるかのごとく執拗に描写する。福島県内で行われている除染を無駄で危険と強く否定し、危ないところから逃げる勇気を持てと全県民に呼びかけてもいた。福島第一原発事故から10年を経ようとする今、本稿を通して私は、「福島の真実」編にひそむデマ、偏見、差別の実態をあばこうと思う・・・

・・・7年前の2014年4~5月、大騒ぎになったのが週刊ビッグコミックスピリッツ掲載の漫画『美味しんぼ』「福島の真実」編の鼻血描写である。
福島第一原発の敷地内をバスで視察した主人公が福島から戻ってから突如鼻血が起こる。同行した他の登場人物も「僕も鼻血が止まらなくなった」「私も鼻血が出た」と合いの手を入れる。また、主人公は「福島に行くようになってからひどく疲れやすくなった」と話す。さらに、前双葉町長が実名で登場し、「私も鼻血が出ます」「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」などと、さも意味ありげに話す。
・・・これは福島県民を侮辱する以外の何物でもない。だからこそ漫画を読んだ多くの県民が批判や抗議を原作者やスピリッツ編集部に寄せたのである。
そもそも福島第一原発事故後、鼻血が増えたというデータはない・・・

・・・「福島の真実」編は鼻血描写だけが問題なのではない。数多くのデマに満ち溢れており、正直読むに堪えないと言ったら言い過ぎか。
例えば大阪で受け入れた震災がれきを処理する焼却場近くの住民を調査した結果として、1000人中800人が鼻血、眼、呼吸器系の症状が出ているとする描写がある。大阪で受け入れた震災がれきは岩手県宮古地区のものなのだが、なぜ県名を意図的に隠して福島県の震災がれきであるかのごとく読者を錯覚させ、「福島の真実」と称して描写するのだろうか・・・

・・・「福島の真実」編から2年後、避難者に対するいじめの問題が各地で話題になった。「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。いままで何回も死のうとおもった」という小学生の手記も報道された(朝日新聞2016年11月16日付)。いじめは自主避難者にも強制避難者にも県内在住者にもある。こうしたいじめは福島に対する偏見や差別と表裏一体のものである。悲しい不幸な歴史を繰り返してはならない・・・

推奨されない検診

2021年3月28日   岡本全勝

朝日新聞ウエッブ「論座」に、緑川早苗・宮城学院女子大学教授/POFF(ぽーぽいフレンズふくしま)共同代表の「現在の福島では甲状腺検査を継続することは正当化されない 見直しを行わない「不作為」がもたらすもの」が載っています(3月8日掲載)。

詳しくは原文を読んでいただくとして。
・・・甲状腺がんの超音波を用いた検診に対する世界の認識は、検査開始後に出されたものではあるが、2017年のUSPSTF(米国予防専門委員会)による「症状のない成人に対して超音波による甲状腺がんスクリーニングは行わないことが推奨される」という勧告に代表される。さらにそれは2018年には世界保健機関(WHO)の外部組織IARC(国際がん研究機関)から、原発事故後であっても推奨しないとする提言が出された・・・
・・・超音波を用いた甲状腺がんスクリーニングが推奨されない理由は過剰診断による不利益(害)が非常に大きいからである。それは現在では世界の科学者の間では共通認識であろう。過剰診断とは、一生症状は出ず、命にもかかわらない病気を検診によって診断してしまうことである。後述するが、がんはその種類によっては早期発見早期治療が必ずしも患者のメリットにつながらないことが分かっており、甲状腺がんは、そうしたがんの代表である。

にもかかわらず、福島では甲状腺検査という子どもや若年者を対象にした超音波による甲状腺がん検診が継続されている。しかも多くの住民はいまだ過剰診断の不利益を知らずに検査を受けている。平均して毎日、数百人の検査が行われており、一定の確率で甲状腺がんが発見され、それらは放射線の影響とは考えにくく、かなりの過剰診断が含まれることが報告されている。
なぜ推奨されない検査が、福島で継続されているのだろうか? 一度始めた検査が変えられないのはなぜか、震災後甲状腺検査の担当者として携わった一人の内分泌内科医としての反省から、また現場からの改善の提案が様々な「不作為」の壁に阻まれた経験から、本稿ではその「不作為」に焦点をあてて考えてみる。甲状腺検査の課題の全体像を詳しく知りたい方は、拙著「みちしるべ」ご覧いただければ幸いである・・・

外国人に通じない和製英語

2021年3月23日   岡本全勝

このホームページ定番の、カタカナ語批判です。3月20日の日経新聞別刷り「プラス1」(これもカタカナ語です)に「外国人に通じない和製英語」が載っていました。
・・・日本で生まれた和製英語は外国人に通じない。クイズで約1000人の読者に尋ね、正しい英語だと勘違いした人が多い順にランキングした・・・
順に並べます。
リフォーム、リストアップ、ライブハウス、フライング、マンツーマン、キーホルダー、アフターサービス、ワインクーラー、フライドポテト、コンパニオン。

あなたは、どれくらい知っていましたか。
このような言葉は、主にマスコミを通じて覚えるのでしょう。間違った英語を教えるマスコミの罪は大きいです。変なカタカナ語で新製品を売る企業も同罪です。新製品には、モノやサービスだけでなく、概念もあります。ソーシャルディスタンス、クラスター、SDGSとか。
カタカナ語乱造者

戦後民主主義の罪

2021年3月22日   岡本全勝

戦後民主主義」の続きです。
戦後民主主義は、日本に、民主主義、自由と法の下の平等、平和をもたらし、ひいては豊かさと安定をもたらしました。戦前と比べると、その功績は大きいです。クーデターや政治を巡る暴力的事態が起きなかったことも、成果でしょう。
そのような功績を残しつつ、いくつもの問題を抱えていました。また抱えています。それが「戦後民主主義」と、カギ括弧付きで語られるゆえんです。

平和主義について。
戦争放棄という理想は良いのですが、まだ現実世界はそれを実現する条件がそろっていません。北朝鮮が核開発を進め、ミサイルが日本上空を飛び越えます。中国軍は装備を増強し、日本領海をかすめます。
戦後民主主義の柱であった一国平和主義は、まことに身勝手な話でした。国内でも警察のない社会は理想ですが、現実的ではありません。
国連には加盟するが国連憲章の義務は果たさないという矛盾にも、目をつむります。(国連憲章第45条 国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。)

戦後民主主義の残る二つも、実質的であったか、定着したかという点で、疑問があります。
基本的人権も、大学の憲法で詳しく教えられますが、それは西欧の歴史が主で、国内での人権蹂躙については知らん顔を続けます。その一つの象徴が、ハンセン病患者です。憲法学の教授は、これについて発言してきませんでした。「憲法を機能させる、その2
代表制民主制についても、例えば、政権交代なく半世紀が過ぎました。アジアでは、日本より先に、韓国と台湾で平和的に政権交代が実現しました。その他の点で代表制民主制がどのような成果を残したかは、議論されるべきです。この項続く

「戦後民主主義」

2021年3月20日   岡本全勝

山本昭宏著『戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化』(2021年、中公新書)が、お勧めです。特に、日本の近過去を知らない若い人に、読んでもらいたいです。国政、論壇だけでなく、国民の意識や生活にまで目を配った、すばらしい分析になっています。

敗戦で、占領軍によってもたらされた憲法によって、民主主義が国民に受け入れられます。代表制民主制、基本的人権、平和主義(戦争と軍隊の放棄)です。
その後、代表制民主制と基本的人権は大きな争点になりませんが、平和主義は日米安保条約改定などで大きな争点となります。そして、革新勢力と呼ばれる側が「憲法を守れ」と、保守勢力と呼ばれる側が「改憲」を主張する「ねじれ」が続きます。

その後は、国民がこぞって経済成長に邁進し、憲法議論は棚上げ状態になります。米ソ対立、中国や北朝鮮が脅威にならないという国際条件も、それを支えます。
自国を他国(アメリカ)に守ってもらう、海外の紛争には関与しない、という一国平和主義を続けます。

そのご都合主義が破綻したのが、1991年の湾岸戦争です。最も多くの石油を輸入していながら日本は、そこでの紛争解決に軍隊を送ることができず、支援もお金だけ(後に掃海艇を派遣)で、国際社会から軽蔑される事態となりました。石油を買うためのタンカーは送るのに、支援物資を運ぶ輸送船は危険だからと航海を拒否するのです。この点は、岡本行夫さんの著作などを読んでください。「湾岸戦争での日本の失敗」。この項続く

著者は、1984(昭和59)年生まれだそうです。私は1955(昭和30)年生まれです。1960年の安保闘争は知りませんが、その後の日本の歩みは体験しました。彼にとって、昭和後期は体験していない時代です。よく調べたものです。