カテゴリーアーカイブ:社会の見方

民間戦災被害者への補償

2021年8月7日   岡本全勝

8月2日の朝日新聞オピニオン欄、伊藤智章・編集委員の「戦災救済、民間置き去り 根底に「受忍論」、いびつさ見直しを」から。

・今の日本は原爆、沖縄戦などを除き、民間の戦争被害を救済する制度がない
・第1次大戦後から欧米は民間被害も補償した。戦時中の日本ですら制度があった
・国による慰霊や被害調査も不十分。当事者が存命のうちに救済立法を急ぐべきだ

・・・救済法は3月の参院予算委員会でも取り上げられた。政府は「すべての国民が何らかの戦争の犠牲を負った」(菅義偉首相)としたうえで、「政府は、雇用関係にあった軍人軍属らに補償の対応をしてきた」(田村憲久厚生労働相)と答えた。裏返せば、雇用関係のない一般国民の被害を補償する義務は国にはない、ということだ。
根底には、戦争という非常事態下、身体や財産の被害は、国民が等しく我慢しなければいけない、という「受忍論」がある。最高裁が68年の判決で打ち出した理屈だ。

実は戦争中の政府は、こんな非情は言えなかった。42年に戦時災害保護法を制定し、民間被害者に給付した。
「戦災者の栞 みなさん御存じですか こんな温い手があります」
45年6月8日付の朝日新聞記事が同法を紹介している。持ち家全焼は千円以内、遺族500円、救助中の死亡に千円を支給、とある。41年の国民学校(小学校)教諭の初任給が50~60円だった時代にそれなりの支給をした。
45年度支給額は7億8600万円。傷病軍人や遺族向けの軍事扶助法による支給額2億2800万円の3倍だ。
ところが戦後の46年、民間人の救済は生活保護などで対応するとして占領軍の指示で廃止され、それっきりだ・・・

・・・ 旧西ドイツは独立回復後に連邦援護法を制定し、軍民差別のない救済を進めた。英仏も同様だ。現地調査をした国立国会図書館元調査員の宍戸伴久さん(72)によると、欧州は国家総力戦になった第1次大戦を契機に、民間被害への支援を始めた。日本の多くの援護制度と違い、外国籍も救済する・・・

ドルショックから半世紀

2021年8月5日   岡本全勝

8月2日の日経新聞オピニオン欄、藤井彰夫・論説委員長の「1971年真夏の衝撃 米中とドル、教訓今も」が勉強になります。若い人には歴史でしょう。一読をお勧めします。

・・・新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下の東京五輪大会の開催。2021年の夏は日本人にとって忘れられない夏になるだろう。
今から50年前の1971年の夏もそうだった。キッシンジャー米大統領補佐官(国家安全保障担当)が極秘に中国を訪れ周恩来首相と会談。それを受けて7月15日にニクソン大統領は翌年の訪中を電撃発表した。1カ月後の8月15日、ニクソン氏は日曜夜の緊急テレビ演説で金・ドル交換の停止を宣言した・・・

あれからもう半世紀も経つのですね。私は高校生でした。キッシンジャー補佐官の極秘交渉で、ニクソン大統領が訪中することは、それなりの衝撃を持って受け止めました。
しかし、ドルショックの方は、それがもつ意味はわかりませんでした。まず為替相場の意味がわからず、「円高になると、1ドル360円が例えば200円になる」と聞いて、「なぜ円「高」といって、下がるの」という程度の認識でした。

この記事にもあるように、日本政府の関係者も何が起きるのか、よくわからなかったようです。
1ドル=360円で守られていた輸出産業が、変動相場の波に洗われることになりました。一つの経済的「開国」だったのですね。
現在では、定時のニュースで、円ドル相場と株式市場の動向が伝えられます。しかし、それまでは、1ドル=360円に固定されていましたから、円ドル相場のニュースはありませんでした。
日経平均株価を定時のニュースが伝えるようになったのは、いつからでしょうか。かつて気になって、NHKに問い合わせたのですが、「いつから報道するようになったかは、わからない」との回答でした。

失敗を許さない社会、失敗から学ばない社会

2021年8月1日   岡本全勝

7月25日の読売新聞言論欄、喜連川優・国立情報学研究所所長の「ITと日本社会 データの時代 失敗する勇気」から。
・・・背景には、日本の社会が抱える様々な問題があると思います・・・
・・・もう一つの大きな問題は、失敗を許さず、失敗から学ぼうともしない風潮が目立つ点です。
ITは新しくて変化が速い世界です。私たちIT屋は少々の失敗は当たり前と考えます。それを恐れていては前に進めません。ところが日本の社会では、ささいな失敗も批判にさらされがちです。
また、未開の分野に挑んで失敗することは、他の国より早く知恵が得られることを意味します。失敗のデータはすごい価値があるのです。しかし、失敗は隠されることが多い。だから貴重な経験知を次に生かすことができません。
米国でIT分野の起業家などが好んで使う標語があります。
Fail fast、cheap、smartという言葉です。
直訳すれば「速く、安く、賢く失敗せよ」。「速く」はどうせ最初は失敗するのだから、とにかく試みる、「安く」は失敗は傷が浅いうちに、「賢く」は失敗から上手に学ぶ、という意味でしょう。

では、どうしたらいいのか。
私は「やんちゃ」と「ぬくもり」がカギを握ると思います。
ここで言う「やんちゃ」とは、誰もやっていない、 尖ったことを考え、周囲は気にせず、失敗も恐れず、勇気を持って行動に移してしまうような人のことです。
私は東大で二番手になるな、それどころかナンバーワンも目指すな、と教えられました。挑むべきなのはオンリーワン、つまり誰も手をつけていない分野だと。そんな先生に恵まれ、やんちゃな研究生活を送ることができました。
グーグルの創業者もやんちゃな若者でした。中国の起業家はやんちゃどころではない。日本だと「規則ができるまで待とう」となるが、「規則がないならやってしまえ」となる。良い悪いは別として、それが活力を生んでいます。
良い意味でのやんちゃを評価する社会や仕組みは今後の日本にとって欠かせません。私は情報処理学会の会長を務めた2013~14年、理事に「やんちゃ若手枠」を設けました。これも若い発想や活力を引き出したかったからです・・・

苦境時の政策支援は企業にはもろ刃の剣

2021年7月31日   岡本全勝

7月21日の日経新聞経済教室、青島矢一・一橋大学教授の「コロナ後の日本企業 組織超え経営資源を結べ」から。
・・・しかし、こうした状況があるから「コロナさえ収まれば、経済は飛躍するだろう」などと楽観視することはできない。むしろコロナが収まり、政策的支援が細くなったときの経済状況が不安である。振り返ると、リーマン・ショック後にはエコポイントなどの強力な政策支援があったが、テレビ事業など日本のエレクトロニクス産業の凋落が顕著となったことを思い出す。東日本大震災後には固定価格買い取り制度など大胆な再生エネルギー普及政策がとられたが、この分野での日本企業の国際競争力は高まるどころか、むしろ低下した。
苦境期における政策支援は企業にとってもろ刃の剣である。それは、産業の崩壊を防ぎ、次の成長に向けた一時的な余裕を提供してくれる。しかしその一時的な余裕によって企業が自らの実力を見誤ると、後に大きな火傷を負いかねない。こうした時こそ企業は本来の目的に立ち返って、自らを冷静に見つめ、次の飛躍に向けた準備をしなければならない・・・

・・・バブル期にみられた無節操な多角化は問題だが、企業が自己を革新するには、時に従来の強みを捨て去り、新たな領域に踏み込むイノベーションも必要となる。それを否定されると、企業は自らの運命を特定産業の盛衰に委ねざるをえなくなる。こうした状況にあらがうには、事業ポートフォリオの刷新を行い、全社戦略の背後にある構想や将来シナリオを、投資家を含めて内外の人々に説得的に語れるかが鍵となる。経営者の腕の見せどころだ。

革新を起こす人材不足も大企業内でイノベーションを興しにくい理由の一つかもしれない。起業などの革新活動は一般に連鎖する傾向にある。革新を起こす人が身近にいると、主観的に感じるリスクが低下して、自分もできそうだという自己効力感が高まるからである。しかし長いデフレの中で企業が採用を絞った結果、部下のいない社員が若いうちに自分の責任で新しい仕事を成し遂げる機会が減ってしまった。そうした先輩の背中を見て育つ後輩たちにとって、イノベーションのリスクは高く感じられるはずだ・・・

国立競技場、黄昏の時代の象徴

2021年7月30日   岡本全勝

7月23日の朝日新聞文化欄、「建築批評家、五十嵐太郎・東北大教授に聞く」「国立競技場、黄昏の時代の象徴」から。

・・・東京は、ニューヨークや上海など活気ある他のグローバルシティーに比べ、もうあまりイケていないと思う。なのに、日本や東京はまずいのではないか、と気づいていない点がまずい。そういう意味では、まだ絶望が足りないと感じます。
2度目の東京五輪に2度目の大阪万博。そして2度目の札幌五輪も目指されている。過去の成功モデルばかりで心配になります。
建築の分野でいえば、五輪というのは普段できないようなプロジェクトの背中を押す意味がある。1964年の五輪でいえば、丹下健三設計の国立代々木競技場だけでなく、芦原義信の駒沢体育館や山田守の日本武道館ができました。武道館はシンボリックで、今も愛される建築です。

今回は、有明体操競技場(江東区)や東京アクアティクスセンター(同)などができましたが、五輪だからこそできたという特別感がない。国立競技場も含めて木が多用されています。木を使えば日本的だと言われますが、木を建築に使う国は世界中にあって、日本だけではない。64年の五輪のころは、日本の伝統をどう現代建築で表現するかという本質的な「伝統論争」があったんですが、それに比べて議論のレベルが低い・・・

・・・厳しすぎるかもしれませんが、時代が経ったとき、競技場は日本の転換点、衰退の始まりを示すものと思われるかもしれません。
丹下の国立代々木競技場は日本の高度成長の象徴でした。今度の競技場は黄昏の時代の象徴になってしまったと感じています・・・