カテゴリーアーカイブ:社会の見方

責任の取り方、けじめ

2021年8月26日   岡本全勝

8月21日の朝日新聞オピニオン欄「過去の背負い方」、瀧川裕英・法哲学者の「責任果たす行為の難しさ」から。

・・・過去の悪事が免責されることはあるのでしょうか。法の世界には時効という制度もありますが、私たちが広く社会的責任について考える際に大事なのは、時の経過それ自体が何かを免責するわけではないということです。人が積み上げる行為こそが、その人を過去の悪事と切り離す。つまり責任を果たす行為によって過去は遠くなるのです。
ただ実際には、過去の責任を果たすことは非常に難しい行為でもあります。過去におかしたことは変えられない以上、できることは限られている。私たちにできるのはせいぜい、過去に自分がしたことの持つ「意味」を事後的に変えるだけかもしれません・・・

・・・では、社会に求められることは何でしょう。まず、責任が果たされていないときには、過去のその行為は悪いことであり、責任を果たすべきだと繰り返し宣明していくことだと思います。被害者を社会的に承認する作業です。
もう一つは、過去に区切りをつけて未来へ歩みを進めるためにはどうしたらいいかを考えることでしょう。責任をどう有限化するか、です。
過去の行為を許すことは、被害者にとっても意味がないわけではありません。加害者を許さない状態では、現在をうまく生きることができず、それは結局「自分」を許さないことにつながりうる。適切に区切りをつけられれば、未来への歩みを始められます。
私たちが責任について考え続けるしかない理由の一つは、責任の果たし方について決定をしなければならないからです。今回の「辞任ドミノ」でいえば、なぜ一方が辞任で他方は解任なのか。決定が適切に模索され、決定の理由がきちんと説明される。そのような議論の積み重ねが必要なのだと思います・・・

参考「責任の取り方
ところで、肝冷斎が、プロ野球、中田選手の暴行事件について、鋭い指摘をしています。暴行事件を起こし、日本ハム球団で出場停止になったのに、読売球団に移籍したらすぐに公式戦に出場していることについてです。

遅れてきた国家2

2021年8月25日   岡本全勝

遅れてきた国家」の続きにもなります。
地域や国家の「進化」の速度の違いは、先進国に挑戦する後発国のほかに、後発国国民の先進国への流出も引き起こします。
現代の大量の難民も、その一つです。よりよい暮らしを求めて、後発国から国民が先進国へと逃げていきます。
また、後発国には、国家建設に成功した国と、まだできていない国や失敗した国があります。アフガニスタンは、後者でしょう。

国際社会は、各国の主権を認め、平等な国家の集まりという建前ですが、各国を見ると世界秩序への考え方の違い、経済格差、法の支配や政治の安定度が異なります。
法の支配や民主主義、基本的人権は、人が幸せに生活するための基本的仕組みです。長年の苦労の末に、人類がたどり着いたのです。しかし、その経験のない後発国にどのように根づかせるか。
押しつけても定着せず、押しつけを嫌う支配者は「内政干渉だ」と反発します。先進国も、革命や戦争などによって手に入れたものです。難しいです。

遅れてきた国家

2021年8月24日   岡本全勝

世界の歴史では、繁栄した国や文明が、周辺の後発国や民族に取って代わられることがしばしば起こります。
繁栄した国も、当初は軍事力が強く、国家統一や周辺を征服するのですが。成功すると、軍事より生活を楽しむようになります。それを見た周辺国が、戦いを挑み、勝利します。中国の歴史、ローマ帝国の滅亡などです。
もちろん、戦争はこれだけでは説明できません。周辺国でないけれども、指導者が国民の支持を得るために、対外戦争を続ける国もあります。ナポレオンやヒットラーは、これに該当するのでしょう。そこには、政治指導者の夢、国民の支持、指導者の国民の支持のつなぎ止めなどの要素があります。

20世紀に大きな戦争を経験した西欧諸国は、「もうこんなことを続けるのはやめよう」と考えました。都市を消滅させることができる、人類を抹消することもできる核爆弾が発明されたこと、無差別攻撃の悲惨さ、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悪夢も、それを後押ししました。
ところが、周辺国は必ずしもそれに同意しません。「先進国は、さんざん好きなことをやっておいて、周辺国に、先進国の論理を押しつけるのか」とです。

さて、中国の膨張主義は、「歴史は繰り返す」を見せるのでしょうか。
戦争、領土拡張以外の分野で、国の強さを国民に見せ、国民も満足できれば、戦争を回避できるのですが。他方で、国民の「一流国になった意識」をうまく制御できず、軍隊を統制できないと、戦争が起きます。
現代の先進国の論理は、戦争を回避することが政治指導者の責務ですが、過去の歴史や遅れてきた国家の論理は、戦争をして国民に強い国であることを見せるのが政治指導者の役割と思われています。

社会の意図した変化と意図しない変化2

2021年8月23日   岡本全勝

社会の意図した変化と意図しない変化」の続きです。
意図して変えた社会の変化には、政府などが主導してつくってきたものと、住民たちがつくったものとがあります。指示の主体が明確なんものと、そうでないものです。

教育内容は、政府が決めています。それによって、国民の知識やものごとの判断基準ができあがります。ごみの分別収集は、自治体が決めています。国民や住民はそれに従っています。この場合は、方向性がはっきりしています。宗教団体による教化も入れておきましょう。
これに対し、住民たちが意図して作ったものは、挨拶をするなど、地域の風習であり、気風です。民度にもなります。だれがどのように主導したかが明確でない場合が多いです。
一部の人や一部の地域で「このようにしましょう」と始まり、広がっていくのでしょう。地区の祭りや共同清掃。エレベーターの片側を急ぐ人のために空けておくこと(最近は、鉄道会社が「手すりにつかまって、歩かないでください」と呼びかけています)。

人間関係だけでなく、例えば街並みの景色も同様です。各建築主が、住宅や事業用の建物を建築します。それら建物は、(建築基準法の下で)それぞれの建築主と依頼を受けた設計・施工者の意図によって建てられます。そこには、設計があります。
では、それらが集まった街並みはどうか。それは、設計によってはできていません。(都市計画法の規制の下で)形や色彩、風合いが異なる建物が並んでいます。かつての、建築技術や素材が発展していない時代なら、その土地での共通した建築物が並びました。しかし、技術と素材の進化は、さまざまな建物を可能にしたのです。

さて「公共を創る」に戻ると、農村や発展途上時代に作られた私たちの考え方や風習は、成熟社会には適合しません。自由だけど孤独な暮らしに対し、どのようにして安心を確保するのか。成熟社会に適合した考え方や通念はどのようなものか。そして、風習や気風を、どのようによい方向に変えていくか。

なお、個人個人の意図は悪くないのに、それを積み上げると全体の結果が悪くなる場合は、経済学では「合成の誤謬」と言い、政治学では「部分最適が全体最適にならない」と表現します。参考「作為の失敗、不作為の失敗
少々まとまりの悪い文章になりましたが、ひとまず載せておきます。

顧客志向文化と製品志向文化

2021年8月23日   岡本全勝

「業績を左右する社風」の続きにもなります。8月17日の日経新聞経済教室、若林直樹・京大教授「顧客志向文化が企業を救う」から。

・・・市場で複雑かつ急激な変化が起きたとき、企業が顧客のニーズと将来像を中心に考える企業文化を持っていれば、経営者や社員が対応しやすくなる。米ハーバード大学教授だった故クレイトン・クリステンセン氏は自らのジョブ理論の中で、企業のイノベーション(革新)において、顧客の短期的なニーズだけでなく未来の生活や活動に求める将来像(ジョブ)を考える視点の重要性を主張した。
顧客志向的な企業文化は経営者や社員にこうした視点を意識させる。米国最高マーケティング責任者(CMO)協議会の2014年調査では、米国企業のマーケティング担当役員の53%が企業文化を顧客志向的に変革することを経営課題として挙げた(図1参照)・・・

・・・顧客志向的な企業文化が強いと、経営者や社員の思考方法、意思決定や行動はそれに影響され、市場や外部を意識したものとなる。ここでいう顧客志向的な企業文化は、製品志向的なものとは異なる。米メリーランド大学教授のローランド・ラスト氏らは、製品志向的な視点をとる企業組織は内向きの視点をとり、経営目標でも新製品開発でも、ライバルと数を競うことや市場占有率の増大を重視すると指摘した。
それに対して、顧客志向的な企業では視点が外向きとなり、顧客との関係が重視され、顧客忠誠心をもとにした収益力が重視され、顧客満足や顧客価値の上昇が目標となる。従業員も顧客の考えを代弁するようになる。そして、環境が変わり、従来のやり方がうまくいかず、ビジネスが混迷したときに、顧客に沿って考えるようになる・・・