カテゴリーアーカイブ:経済

市民社会と会社法制

2010年4月17日   岡本全勝

13日の日経新聞経済教室に、上村達男早稲田大学教授が、会社法制改革について書いておられました。私が興味を持った点を、要点だけ紹介します。
・・戦後の経済改革は、「経済の民主化」や「証券民主化」といわれたように、それまでの財閥中心の体制を個人ないし市民中心の体制に転換させようとしたものであった。その理念は、米国流の人民資本主義であり、市民が株主となって企業社会をコントロールする、企業社会と市民社会の結節点としての証券市場を構想するものであった。
しかし、その時点では、市場を担えるような資産を持った個人も市民も存在せず、証券市場抜きの株式会社制度が戦後日本の企業社会を特徴付けた。資金調達は銀行をはじめとする間接金融中心であり、株式会社とは経営者にとって経営の道具であり器でしかなかった。株式市場を支える個人層のいない日本では、法人株主が主役となった。
貧しい日本がこうした行き方によって急速な経済発展を遂げたこと自体は肯定されるべきだ。しかし、ルールや制度・規範という観点からすると、それは「いまだ戦後」なのであり、公正な証券市場の存在とそれに対応する株式会社制度の存在、そしてそれを可能とする法的システムの整備を通じて実現された成功とは言えない・・
そして教授は、株式会社が本格的に証券市場と対峙する状況にふさわしい、株式会社制度を提唱しておられます。これまでの株式会社法は、株を持っている株主だけを考えていた。株主からのガバナンスであり、株主への説明責任です。しかし、株の保有者である株主だけでなく、「株の買い手」である投資家(公衆・市民社会)と、「株の売り手」である投資家の、3者への責任を自覚した法制をつくるべきだ、と言っておられます。
経済社会と法制度の関わりを、明快に分析したご主張だと思います。極めて短く紹介したので、詳しくは原文をお読みください。

経済活動の基盤づくり・税制

2010年2月20日   岡本全勝

19日の日経新聞が、「海外の稼ぎ、国内へ。企業の配当、非課税化で22%増、09年4~12月」を伝えていました。
これまでは、日本企業が海外で稼いだお金を配当として日本に戻すと、最高40%の税金がかかりました。それを避けるために、企業は現地法人に内部留保を貯めます。その額は2007年に、20兆円にもなっていました。
2009年度の税制改正で、4月から、海外からの配当をほぼ非課税にしました。すると、この記事の見出しにあるように、4~12月に海外子会社や現地法人から国内に戻ってきた配当は、約2兆円と前年同期に比べ2割増えたのです。
当時、「そんなことをしたら、税収が減る」という意見も聞きました。でも、日本に返ってこない限り、課税はできません。日本に返ってきたら、そのお金は消費に回るか、投資に回ります。それが、日本経済を活性化します。そして、その時点で課税されるのですから、税収の面から見ても、問題ありません。
このように、税制というのは、経済発展のための重要なインフラです。

外国人旅行客

2010年2月13日   岡本全勝

今日の日経新聞が、中国では春節(旧正月)の大型連休中、海外への旅行客は1200万人に達する見通しと、報道していました。今日、新宿の街やデパートを歩いたら、気のせいか、ふだんよりアジアからの旅行客が多かったです。
一昔前に、日本人が、香港、ハワイ、パリに行って、たくさん買い物をしました。アジアからの旅行客が、日本でたくさん買い物をしてくれることは、ありがたいことです。これまで日本人が海外で落としたお金と同じくらいのお金を、日本で落としてくれると「元が取れる」のですが(失礼)。ただし、彼らが日本で買うものが、ルイヴィトン、エルメス、グッチでは、日本にお金は落ちませんね。
また、明日はバレンタイン・デーというので、お店はチョコレートで一杯です。これも、ベルギーやフランス製が人気のようです。和菓子が好きな私としては、和菓子に頑張って欲しいです。

持田先生・続き

2009年12月17日   岡本全勝

5 ナショナル・スタンダード
先生は、ここで、「ナショナル・スタンダード」という言葉を使っておられます。ナショナル・ミニマムという言葉は、よく知られています。「政府が国民全員に保障するべき最低限の公共サービスの水準」という意味です。(日本国憲法25条1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)
これに対し、ナショナル・スタンダードは、最低ではなく、標準的な水準といった意味です。
私は、地方交付税制度を解説する際に、交付税が算定している(財源保障をしている)行政サービスの水準を、ナショナル・ミニマムではなく、ナショナル・スタンダードだと説明しました。
例えば、拙著「地方財政改革論議」(2002年、ぎょうせい)p80で、地方歳出の水準論として、この議論をしました。次のようにです。
・・国が定めている内容・水準と国が期待している内容・水準が、国の予算と地方財政計画に計上され具体化される。地方財政計画が含んでいる歳出内容・水準は、ミニマムというより、ナショナル・スタンダードと呼ぶべきものであろう。
法律では、地方交付税を「地方団体がひとしくその行うべき事務を遂行することができるように国が交付する税をいう」(地方交付税法第2条第1号)と定義し、また単位費用については「標準的条件を備えた地方団体が合理的、かつ、妥当な水準において地方行政を行う場合又は標準的は施設を維持する場合に要する経費を基準とし」(同条第6号)と定めている。ここでは「ひとしくその行うべき事務」とか「標準的」、「合理的、かつ、妥当な水準」という言葉が使われており、「ナショナル・ミニマム」や「最低限」といった言葉はでてこない・・
地方財政計画と地方交付税の歳出内容は、標準的=スタンダードであって、最低限=ミニマムではない・・・
ひょっとしたら、このような文脈で「ナショナル・スタンダード」という言葉を使ったのは、私が最初かもしれません。

持田先生・続き

2009年12月12日   岡本全勝
3 小さな政府・大きな政府論
GDP比で測ると、日本は国民負担では小さな政府、歳出では中規模の政府になります(差は、借金)。大きい小さいは、国際比較です。(財務省の資料をご覧ください)
でも、子供のいる家庭に給付金を出せば、それだけ全体の財政がふくらみます。同じ金額を各家庭に減税すれば、全体の財政規模は小さくなります。効果は同じでも、手法によって、財政規模は変わるのです。
もう一つの例を、出しましょう。自賠責保険です。自動車事故に備えて、強制加入になっています。でも、実際の保険は、民間会社に任せています。政府がしているのは、法律で強制することと、無保険者が起こした事故についての補償です。国が保険を直営するより、はるかに歳出規模は小さくなります。
それはさておき、行政学にこの議論を広げれば、単に財政規模の大小ではなく、「範囲」と「程度」と「効率」の議論になります。
政府がどのような問題まで引き受けるかが、「範囲」の問題です。かつて、高齢者の介護は、家庭の仕事でした。その後、福祉として介護サービスを導入し、さらに2000年には公的保険制度にしました。これで、政府の仕事は増えました。以前より、大きな政府になったのです。
次に、どの程度まで介護サービスを提供するか、これが「程度」の問題です。もちろん、サービスを手厚くすれば、負担も増えます。そして、大きな政府になります。
さらに、「効率」の問題があります。同じサービスをするのに、自治体が直営するのか、民間委託にして、安くあげるのかです。ごみ収集や学校給食など、市町村の直営と民間委託とでは、コストに2倍の差があると報告されていました。
もう一度介護を例に出すと、昔は行政が直営し、ホームヘルパーは公務員が多かったのです。しかし、介護保険導入に際し、介護される人が、民間サービスを選ぶ形にしました。
かつての「小さな政府論」は、行政改革としての効率化、多くは民間委託の推進でした。しかし、それは、今の議論で言うと、最後の「効率」の話です。
私は、これからの政府と自治体は、「引き受ける範囲は広いが、効率的でスリムな政府」になるべきと考えています。
4 地方交付税制度による「所得再分配」機能
先生は、次のように書いておられます。
「・・日本では、大都市と地域、また近代部門と農業などの伝統部門との格差が大きい。このため所得階層間ではなく、むしろ地域間、産業間を基準にした再分配のウェートが高い。地方財政調整制度によって、ナショナル・スタンダードでのサービス供給の財源が保障されている・・」
指摘の通りだと思います。
地方交付税制度は、自治体間格差だけでなく、結果として個人間の格差も調整してきました。生活保護などは直接、学校教育などは現物給付として、公共事業産業振興は雇用を通して間接的にです。
この点に関して、私はかつて、地方財政制度(補助金と交付税)の機能として、「地域間再配分と国民間再配分を分けて議論すべき」と発言したことがあります。(パネルディスカッション「都市対地方:財政、公共事業、一極集中の是非をめぐって」日本経済学会2004年度秋季大会)
(この項続く)