カテゴリーアーカイブ:経済

失われた30年からの脱出

2022年2月7日   岡本全勝

1月30日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、伊藤元重先生の「「新しい資本主義」「失われた30年」構造不況」から。

・・・1990年代にバブル経済が崩壊してから日本経済はジリ貧が続き、「失われた30年」とも言われる。低成長・低金利・低インフレ(デフレ)の3点セットである。顕著なのは、賃金の低迷、中間所得層の弱体化、所得格差の広がりで、長期停滞と呼ぶこともある。要するに、単に景気が悪化したというよりも、経済全体に構造的な問題があるということだ。
旧来の資本主義経済を擁護する人は、市場経済メカニズムが持つ資源配分機能や成長 牽引力を強調した。こうした考えをもとに日本でも規制緩和が進められ、市場経済をより有効に機能させるために多くの改革が実施された。これらの改革に意味がなかったわけではないが、その結末が「失われた30年」でもある・・・

・・・ただ、1970年代のインフレの経験を通じて、新古典派は、ケインズ的な過剰な政策的介入には好ましくない面も多いと、批判を展開した。そうした論争の中で、新古典派をさらに先鋭化させた市場原理主義の考え方が広がった。
しかし、日本に続いて世界の主要国が構造不況に陥ると、ケインズ的な考え方が復調してきた。日本でも、アベノミクスによる需要喚起策が効果をあげた。コロナ危機に際しては、多くの国がケインズ的な需要喚起策に頼っている。
財政や金融政策による需要喚起は、カンフル剤としての効果は期待できるが、経済の構造を変える力はない。日本の潜在成長率が依然として低迷を続けていることが、それを裏付けている・・・

・・・日本経済の構造を変えないと、人々が望む成果は期待できない。低成長やデフレ状況が続くだけでなく、貧困の広がりや中間層の弱体化などの多くの問題が、抜本改革を迫られよう。
ケインズ政策の基本が、政府や中央銀行による需要刺激策であるとすれば、今求められるのはそれだけではない。経済構造を変えるには供給サイドのテコ入れが必要となる。
ただ市場に委ねればいいという新古典派への批判も多い。供給サイドの構造を変えるには政府による何らかの関与が求められる。
供給サイドの基本は、経済の成長力を示す潜在成長率である。これを高める方策は、労働増加、資本増加、生産性の上昇の三つしかない。高い成長を目指すことに抵抗感を持つ人もいるだろう。しかし、日本経済の成長率を上げないと、賃金上昇も、安心できる社会保障制度も実現できない・・・

続きは原文をお読みください。

円の実力

2022年2月4日   岡本全勝

1月27日の日経新聞経済教室、岩本武和・西南学院大学教授の「いびつな成熟債権国を露呈 円の実力をどうみるか」から。

・・・自国通貨安が日本の対外純資産に為替差益を生み、それが所得収支に大きな黒字をもたらして、それにより経常収支の黒字を維持するという状況にある。こうした姿は成熟債権国としては、いかにもいびつである。世界最大の債権国(日本)が、世界最大の債務国通貨(ドル)建てで自国の対外債権を保有しているのである。自国通貨が強くなり円高になると為替差損が生じるという債権国は、歴史上ほとんど存在しない。
債務国が自国通貨建てで外債を発行できない(債務を持てないこと)を、バリー・アイケングリーン米カリフォルニア大バークレー校教授は「原罪」(original sin)と規定した。

第1次世界大戦前のロンドンの金融街シティーでは、米国をはじめとする当時の新興国の鉄道債などの起債が相次いだ。日本からも高橋是清らが日露戦争の戦費調達(戦債の起債)のためシティーに出向き、モルガンやロスチャイルドに頭を下げ奔走していた。
これらの起債は、債務国の自国通貨であるドル建てでも円建てでもなく、ポンド建てだった。そのポンド建て外債を英国人が保有していたので、英国の対外債権はポンド建てだった。債務国通貨(上記の事例の場合はドルや円)が安くなれば、その為替差損は債務国(米国や日本)が負う。このように本来、自国通貨安は回避されるべきものだ。

日本がこうしたいびつな成熟債権国になったのは、これまでの政権が円高回避の政策ばかり実施してきたことが一因だが、それだけではない。根本的な原因は、日本や中国を含むアジア太平洋地域が主としてドル建てで海外との取引をしてきたことにある。
確かに日本は円高になるたびに、為替リスクを回避するため、輸出から海外直接投資(FDI)に切り替えてきた。また現地生産の動きが広がる前には、円借款を中心とする援助が実施されてきた。これらはいずれも「円の国際化」に通じるべき動きだった。だが現実には、97年のアジア通貨危機後に日本が中心となり推進してきた「アジア債券市場育成イニシアチブ(ABMI)」もこれまで目立った成果を上げていない・・・

・・・これに対し、同様に世界を代表する債権国であるドイツでは、かつて自国通貨のマルク高を国民は歓迎していた。ガソリン価格など日常品が安くなるからだ。しかし日本では、輸出を阻害するものとして生産者からは忌み嫌われ、消費者が円高の利益を国内で実感することは少なく、外国旅行に行って初めてそのありがたみがわかるぐらいだ。
円安が輸入インフレを招き国民生活を直撃するのが「いびつな成熟債権国」の姿である。米国に円高回避を働きかけるのではなく、明確な長期戦略の下で産業構造を転換していくべきだった。こうした対外経済政策の転換を進めるには既に手遅れかもしれず、今後もこのいびつな状況が続く可能性が高いとみられる・・・

ロボットは労働者の仕事を奪うか

2022年2月2日   岡本全勝

1月25日の日経新聞オピニオン欄イギリス・エコノミスト誌の転載は、「「ロボットが雇用を奪う」は誤りか」でした。

「新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が世界を襲った当初、失業率が急上昇した。米国では、2020年4月に大恐慌期以来初めて14%を超えた。高い失業率が長期化するとみる向きが多かったが、その予測は現実にはならなかった。
富裕な先進国を中心とした経済協力開発機構(OECD)加盟国の失業率は入手可能な最新のデータによると、21年11月時点でパンデミック前に比べてわずかに上昇したにすぎない。直近の実数ではパンデミック前と大差ない可能性がある。ロボットは労働者の味方なのか、それとも敵なのかー。先進国における労働市場の回復は、経済学者たちにとって、この経済学上の根本的な問いに対する答えを再検討するきっかけになっている」として、次のようなことが述べられています。

長年、「ロボットが人間から仕事を奪う」と言われてきました。しかし、人工知能と機械学習がもたらす雇用革命にあるといわれながら、2019年の先進国の就業率が過去最高水準になったこと。ロボットの利用が最も進んでいるとされる日本と韓国の失業率が最も低いこと。ロボットによる自動化が失業増加を招いている証拠はほとんど見つからず、人手不足の状態にあること。

どうやら、人工知能や機械化を進める企業は、新しい製品や分野に手を広げ、さらに経済規模を拡大しているようです。同じ製造過程で同じ量の製品を作っているなら、機械化によって雇用者数は減るでしょう。しかし、経営も経済も動いているのです。
経営はコストカット(経費削減)だけでなく、新製品と新分野への拡大もあり、後者のない企業は衰退するでしょう。

広告主からの報道への圧力

2022年1月28日   岡本全勝

1月22日の日経新聞夕刊、中野香織さんの「ハウス・オブ・グッチ公開 ブランドの闇 扱いに今昔」が興味深かったです。公開中の映画についての評論です。

・・・実は、ブランドの暗部でもあるこの話が映画化されたことじたい、モード記事を長年書いてきた私にとって驚きだった。10年ほど前までは、雑誌によってはこのエピソードに触れると、その部分は削除された。ブランドからの広告で成り立つ雑誌は、広告主がチェックし、不都合とみなすことは掲載されない。そういうビジネスモデルなのである。
広告主が関わらないメディアで「不都合な」話を書くと、ブランドからショーや展示会の招待状は来なくなる。見られなければ記事も書けない。日本に本来の意味でのファッションジャーナリズムが存在しえなかったことの背景の一つだ・・・

・・・自分のささやかな経験からの臆測にすぎないが、ブランド側も映画に協力しており、この話をどこに書いても削除されなくなったことに隔世の感を覚える。
関係者や遺族から「事実はああではない」とのクレームも来る状況で、自分の作品としてどっしり構えるスコット監督の勇気ある態度そのものが、映画の内容以上に感慨深い・・・

政府の政策PDCA

2022年1月15日   岡本全勝

1月4日の日経新聞オピニオン欄、上杉素直・コメンテーターの「賢い支出へPDCA回せ コロナ対策で見えた欠落」から。

・・・この2年、日本の政策運営にはいくつもの疑問符がついた。先の読めないパンデミックに対処するのはたしかに難しい。だが、四半期ベースで2度もマイナス成長に陥った21年は残念ながら、同じ災禍からの回復をたどる米欧の国々との差が歴然とした。
なぜ彼我の差はついたのか。人々の価値観に視点を当てた仲田泰祐東大准教授の研究は興味深い。「経済をもう少し回すこと」と「感染をもう少し抑制すること」は一定条件下でトレードオフの関係になる。そして、そのバランスをいかにとるかは社会の価値観を反映するのだそうだ。
そんな前提で「コロナ死者数を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいか」を試算すると、日本は約20億円に届く。米国の約1億円、英国の約0.5億円より高い(21年12月3日付日本経済新聞朝刊「経済教室」)。何十倍の違いを知ると、日本経済の低迷が必然とも受け取れる。

行政の構造問題も絡む。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会に経済学者を代表して参加した小林慶一郎慶大教授は縦割りの弊害が根っこにあると指摘する。自分たちの内輪の論理にこだわってさまざまな対策に取り組む厚生労働省は典型という。
そこに公衆衛生や医療の課題と経済活動への影響をトータルで捉える視点は生まれない。小林氏は「感染が増えても経済を回そうとは言いにくかった」と振り返る。結果としてコロナ死を減らすことに偏重し、膨大なコストを費やしたという反省は、仲田氏の分析とも重なり合ってくる・・・

・・・もう一つの不安はより深刻かもしれない。「C(点検)」は十分なのかという問いだ。
会計検査院が先の報告で取り上げたのは、19~20年度に予算が措置された5つのコロナ対策だ。総額77兆円が各省庁の854の事業へ投じられた。ところが、検査院がその使われ方を分析できたのは770事業にとどまる。
事業によってはコロナ対策とそれ以外の予算が混ざってしまい、使われ方を分別して調べることができないらしい。裏を返せば、コロナ対策と銘打った歳出が最終的にどう使われたかについて、全体図は示せていない。「C(点検)」が不完全なら、「A(改善)」だって期待しにくい。

いま学ぶべき先例は11年の東日本大震災への対応だろう。3月11日の震災発生から3カ月余りで基本法を成立させ、復興にまつわる歳出と歳入を複数年にまたがってパッケージで管理する仕組みを整えた。収支の全体像が明確になり、復興を我がことと捉える土台になったのではないか。

政府がまとめた22年度予算案はいわば新たな「P(計画)」。過去最大の中身は適切か、21年度補正予算と連なる「16カ月予算」の効果は見込めるか、国会などでしっかり論じてもらいたい。
そして併せて、国の政策を研ぎ澄ます検証プロセスや仕掛けづくりにも目をやりたい。そうした土台があってこそ、財政の賢さが育まれていくのではないか・・・