「歴史」カテゴリーアーカイブ

『中央公論』11月号、世界史を学び直す100冊

月刊『中央公論』11月号が、「世界史を学び直す100冊」を特集しています。どんな本が取り上げられているのか知りたくて、買いました。
ヨーロッパ、アジア、アメリカ、イスラム・・・をそれぞれの専門家が、解説をつけて並べています。10冊で紹介するとなると、難しいです。担当した学者も、悩んだでしょうね。新書など、読みやすい本が挙げられています。10冊×10分野、書名を眺めるだけでも楽しいです。

「へえ」と思うような本もありました。読んだ本とともに、買ったけど読んでない本、読もうと思ったけど買わなかった本が、たくさん載っています。
あなたは、どれくらい読んでいますか。

これから歴史の本を読もうとする人には、良い道しるべになると思います。大学時代に、こんな紹介があったら良かったです。
書名、著者名、出版社名、値段が載っているのですが、出版年が載っていません。これは載せて欲しいですね。

はにわ展

挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展「はにわ」」を見に、上野の国立博物館に行ってきました。11月3日、三連休の中日です。事前に、インターネットで入場券を買っていきました。
10時過ぎに行ったら、正門前から塀に沿って長蛇の列ができています。これは結構早く通過できました。入場券も見せる必要がありません。どうやら、同時開催のキティちゃん展も大賑わいなので、その人たちも一緒だったからでしょう。と思ったら、平成館の前も、長蛇の列。
「三連休、昨日が雨で、今日は快晴。そのせいでしょう」と係の人は言っていました。

思ったより早く入ることはできましたが、今度は会場内が大混雑。はにわを見に来たのか、人の頭を見に来たのか・・・仕方ありませんね。小さな子どもたちもいたので、はにわは、人気なのですね。
たくさんのはにわが、並んでいます。実物を見るのは、良いですね。家形埴輪も大きいです。2メートルを超える円筒埴輪は、大迫力。挂甲の武人5体も素晴らしい。顔の部分にどのようにして兜をかぶせたのでしょうね。動物はにわは、かわいいです。

全国に古墳は16万基あるそうです。それだけでも圧倒されます。そしてその上と周辺を、はにわが飾っていました。たぶん、はにわ以上に、木製の装飾品があったと思います。でも、それは朽ち果てて残っていません。実際に古墳が創られた当時の光景は、どのようなものだったのでしょうか。

 

日本の発展の写真

国際協力機構(JICA)が行っている、発展途上国政府幹部への研修の一部を担当することになっています。これまでも、危機の際の政府幹部の役割として、東日本大震災での経験を話しているのですが。今回は、明治以来の日本の発展に果たした行政機構の役割を話せとの依頼です。
拙著『新地方自治入門』や現在連載している「公共を創る」で、それにあたることも書いているので、引き受けました。

論点や図表も、それらを活用することができます。配布・投影資料を作り、英語とフランス語に翻訳してもらいました。日本のことを余り知らない人が多いとのことで、どうしたら通じるか工夫しました。
さらに数字や文章だけでなく、見てわかってもらうのがよいと思い至りました。東日本大震災での経験も、写真を基に話しています。しかし、今回の主題では難しいです。知人に知恵を借り、明治以来の日本の発展がわかる写真を投影しようと考えました。

インターネットで探すと、さまざまな写真が出てきます。しかし、著作権の問題などがややこしいです。
長崎大学図書館に、幕末明治期の写真があります。申請して、使わせてもらうことにしました。もっとも有料で、1回ずつ支払わなくてはならないので、1度だけにしました。
さらに知恵を出して、農林水産省に農業の発展がわかる写真を、日本を代表する電器会社に工場と作業の変遷がわかる写真を、千葉市役所に町の景色の変化がわかる写真を探してもらいました。皆さん快く引き受けてくださり、何枚もの写真を提供してもらいました。その中からいくつかを選び、投影資料を作成しました。

なかなか良いものができたのですが、利用条件から、ここでお見せできないことが残念です。さて、研修生にうまく通じるでしょうか。

『中世イングランドの日常生活』

中世イングランドの日常生活』(2022年、原書房)を読みました。イギリス旅行で、「中世イギリスに生まれ変わったら、どんな生活をしたのだろう」と妄想したことがきっかけです。羊ではなく、農夫に生まれたらと思って、この本を買いました。

表紙に、「生活必需品から食事、医療、仕事、治安まで」と書いてあるとおり、かなり詳しく書かれています。
もしその時代に生まれたら、労働がつらいことや食事がおいしくないこと以前に、衛生状態と医療環境が悪いことに耐えられないでしょうね。21世紀を経験している私だから思うので、それを知らなければ、当時の状況が当たり前と思うのでしょう。
それは、古代や中世の日本に生まれ変わっても同じでしょう。今の時代、それも日本に生まれてよかったことを、改めて感謝しなければなりません。

9月にイギリスに旅行して、早いもので1か月が経ちました。同世代の知人とイギリス旅行の話をしたら、彼曰く「イギリスにいたとき、あそこも行こうと思ったんだけどな。また、来ることができるだろうと先延ばししたんだ。もう行くことはないかな」と残念がっていました。行けるときに行っておかないと、行けなくなります。
教訓「悩んだらやってみる」。参考「変わりたくない日本企業」。この記事が同じ日に掲載することになったのは、偶然です。

タクシー運転手の思い出

9月26日の朝日新聞投書欄「ひととき」に、「父を誇りに思う」という話が載っていました。
・・・横浜で一人暮らしをする80歳の父が、個人タクシーを廃業した。沖永良部島から出てきて神戸で働いていた時、亡き母との結婚が決まり、横浜に来たのが24歳。二種免許を持っているならと勧められ、タクシー会社に就職した。
カーナビなんてない時代、右も左も分からない新米ドライバーを支えてくれたのは乗客のみなさんだった。「運転手さん、次の信号、右折ね」など、道案内してくれた上にチップまでくれた、いい時代だったと父は懐かしむ・・・

これを読んで、思い出しました。私が25歳の時だったと思います、自治省の駆け出しの頃の出来事です。上司が、仕事が終わった頃(終わったと言うより、その日の一区切りがついたと言うべきでしょうか)、新宿に飲みに連れて行ってくださいました。
自治省の建物の前で、タクシーを拾います。私が助手席に座って、運転手さんに行き先を告げます。霞ヶ関から新宿ですから、そんな難しい経路ではありません。運転手さんが、道路地図帳を開き始めました。40年前は、カーナビゲーションがありませんでした。
「運転手さん、行き方がわからへんの?」と聞くと、「ええ、まだ東京で仕事を始めたばかりで、不慣れなんです」とのこと。「私が教えるから、出発して」と促しました。道案内しながら、事情を聞きました。

全:よくそれで、タクシー運転手が務まるねえ。
運:そうなんです。この間まで神戸でやっていたのですが、東京に出てきました。
全:試験があるでしょう。
運:ええ。試験官が乗って、行き先を告げられ、うまく行けるかどうか試験があります。2回不合格で、これでだめなら神戸に帰ろうと思っていたんですが。3回目は知っているところが出て、受かったのです。
全:よかったねえ。がんばってね。