カテゴリーアーカイブ:人生の達人

仕事の仕方、回遊魚と根魚

2018年5月9日   岡本全勝

今日は、若手職員の質問に答えて、毛色の違ったお話をしましょう。

魚の生態で、回遊魚と根魚(ねざかな)の違いがあります。
回遊魚は、水温の変化やエサを追いかけて、大洋を移動します。マグロ、カツオ、サンマが代表例です。他方、根魚は、海底の岩礁や海草の間などに棲み、広範囲には動き回りません。磯釣りの対象です。根付き魚とも呼びます。

人の仕事ぶりでも、この対比は使えます。精力的に動き回る人と、じっとしている人です。
時と場合によりますが、動かなければならないときに、じっとしている人、遅い人は困ります。「不動明王」「鎌倉の大仏さん」と呼ばれます。情報を集める、人脈を広げるには、回遊魚でなければなりません。
もっとも、ただ動き回っているだけでは困ります。「あいつは落ち着きがないなあ」です。また、帰るべき本拠地がなく、動き回っているだけでも困ります。専門分野を持ちながら、回遊するのが良いのでしょう。この点は、『明るい公務員講座 仕事の達人編』でも、強調しました。

日頃の生活にも、例えることができます。休日に家で寝ているか、出かけるか。一度しかない人生なら、いろいろと見たいですよね。

ところで、マグロは「海中では口と鰓蓋を開けて遊泳し、ここを通り抜ける海水で呼吸する。泳ぎを止めると窒息するため、たとえ睡眠時でも停まらない」(ウィキペディア)のだそうです。これは、困ったものです。

手帳の書き込みと余白

2018年5月7日   岡本全勝

拙著『明るい公務員講座』で、仕事の管理は工程表で行い、時間の管理は日程表で行うことをお勧めしました。多くの人は、手帳で日程を管理しているでしょう。
私も、仕事については、秘書が日程表を作ってくれますが、私生活を含めて手帳で日程を管理しています。

で、手帳を見る際には、2つの観点から見ます。
まずは、書き込んである「業務の予定」です。書かれているのは、会議であったり、面談であったり、講義です。わたしにとっては、それが重要なのではなく、「次は、この準備をしなければならないな」と心構えをするためです。
「しなければいけないこと一覧」は別途作ってあるのですが、時間軸の中で準備作業の優先順位をつけなければなりません。これは、秘書に任せることはできません。

すると、手帳を眺めるもう一つの観点は、どこで自分の時間を確保するかです。手帳に書き込まれている「業務」でなく、書き込みがない白紙の時間を見るのです。「この時間帯に、あれを片付けよう」、「この準備は、この時間帯ででやるか」とです。
すると、手帳を見る際には、書き込みのある黒い部分でなく、書き込みのない白い部分が重要になります。
1日に何度か、このような視点から、手帳を眺めています。

勤務時間中だけ「労働を売っている仕事」なら、勤務時間そしてそのうちの業務の時間だけ、席に着いて仕事をしておれば良いのでしょう。しかし、企画立案を含む事務職では、そうはいきません。会議にしても、その時間帯に出席すれば良いのではなく、そのための準備が重要なのです。
すると、入っている予定の時間が重要な人と、入っている予定の時間の前の空き時間が重要な人に別れます。
学生も、授業時間に出席するだけではなく、その前と後の自習や、空いている時間に何をするかが重要になります。

「わたし」とは何か

2018年4月30日   岡本全勝

先日紹介した、加藤秀俊先生の『社会学』第6章「自我」に、「ラッキョウの皮」という項があります。p161

人は他者との関係において、さまざまな役割を使い分けます。子供を相手にする時は親であり、老親の相手をする時は子供です。妻の前では夫であり、会社では社員です。それも、部下の上司であり、上司の部下です。店頭に立つと店員であり、お店に行くと客になります。国民として投票に行きと、さまざまな役割があります。その度に、その役割にふさわしい演技をします。

加藤先生は、それをラッキョウの皮に例えます。他者との関係で「わたし」は存在する。「じぶんさがし」と言うが、それは、ラッキョウの皮を1枚1枚剥がしていくことである。最後に何が残るか。何も残らない。
アイデンティティというものがあるとすると、ラッキョウの皮の最後の1枚ではないか。「ほんとうのじぶん」は存在していないのではないか。

厳しいそして冷たい言い方ですが、先生のおっしゃるとおり「自分探し」をしても、何も出てこないでしょう。
オギャアと生まれた赤ん坊が、親に包まれて育ち、友達との付き合い、学校生活などを通して、大人になります。それは、原野で一人で育つものではありません。私たちは社会的動物であり、つねに他者との関係の中で生きています。
では、自分はないのか。「自分探し」ではなく、「自分つくり」だと思います。自我のない赤ん坊が、ラッキョウの皮を1枚1枚増やしていくのが、人生です。皮を剥いていくと、赤ん坊の自分が出てくるだけで、「じぶんらしさ」は出て来ません。

経験豊富な人は、その枚数が多いのでしょう。ある役割をうまくこなす(演じる)ことができる人は、皮の1枚1枚が大きく分厚いのでしょう。
痩せたたラッキョウになるのか、肥えたタマネギになるのか。干からびたタマネギになるのか、つややかなタマネギになるのか。
それぞれの局面での立ち居振る舞い、努力の過程、その結果が「わたし」であり、「わたしらしさ」です。私はそう考えています。

『名門水野家の復活』

2018年4月24日   岡本全勝

福留真紀著『名門水野家の復活』(2018年、新潮新書)が面白かったです。
刃傷松の廊下は、皆さんご存じでしょう。浅野内匠頭が、江戸城中の松の廊下で、吉良上野介に斬りかかった事件です。内匠頭は切腹、浅野家はお取りつぶしになりました(1701年)。
それと同様の事件が、1725年に起きました。今度は、松本藩主・水野忠恒が、松の廊下で、長府藩主世子・毛利師就を切りつけたのです。二人は初対面で因縁もなく、まさに殿ご乱心だったようです。
水野家は、徳川家康の生母の弟を祖とする名門譜代。しかしこの事件で、7万石の大名から7千石の旗本に転落します。お家の再興は、後を継いだ分家から入った養子に託されますが、若くして病死。で、その子、さらにその養子に託されます。
この2人は、老中になり、水野家は5万石まで戻ります。これは、その過程を書いた本です。なお、天保の改革の水野忠邦は、別の家です。

復活の過程において、大変な苦労があったようです。若年寄、勝手方(財政担当)に就任した際に、家来たちに命じた内容が残っています(p46)。将軍家の「家筋」であることを強調し、より慎重な勤務を求めているのです。
・ふだんの品行はもちろん、権高なふるまいは少しもないようにせよ。
・あらゆる人に対し、礼儀を尽くすことを第一とするように。
・外に出た際には、特に慎み、無遠慮なふるまいをせず、粗相のないように気をつけること。

自分自身に恥じない生き方

2018年4月16日   岡本全勝

4月13日の日経新聞夕刊、故野中隆史さん・元みずほ信託銀行社長の追想録(佐藤大和編集委員執筆)から。
・・・「おい、今日1日俺は男らしかったか。ひきょうなまねはしてないか。毎晩風呂で自分自身に問いかけるんだ」・・・だったそうです。